2021-09-15 第204回国会 衆議院 厚生労働委員会 第32号
ということで結論づけておられるわけですけれども、そうすると、菅総理が言う明かりではなくて、これはやはりまだ悲観的な予測というのが必要だというふうに私は感じました。 尾身先生として、今後の見通しなんですけれども、やはりまだ新たな変異株が表れる可能性、やはりワクチンを打ち続けて、数年間私たちは新型コロナとつき合っていかなきゃいけない、こういうふうに私は感じるわけですが、尾身先生、いかがでしょうか。
ということで結論づけておられるわけですけれども、そうすると、菅総理が言う明かりではなくて、これはやはりまだ悲観的な予測というのが必要だというふうに私は感じました。 尾身先生として、今後の見通しなんですけれども、やはりまだ新たな変異株が表れる可能性、やはりワクチンを打ち続けて、数年間私たちは新型コロナとつき合っていかなきゃいけない、こういうふうに私は感じるわけですが、尾身先生、いかがでしょうか。
先生が言ったように、地球規模の課題でなかなか合意を世界共通で持つのが難しい世界で、時に、先生言ったような悲観論が、本当にできるのかといったことが広がりかねないことは事実です。しかし、その中でも決して諦めない。我々はやればできたじゃないか、これからだってできる、そういう思いを持って、しっかりと国際交渉などにも臨んでいきたいと思います。本当にありがとうございます。
けれども、ただ、インド型の変異ウイルスがどうなるかというようなこととかもリスクとして反映されていないものもあって、やはりリスク管理の要諦です、もう本当に、悲観的に考えて楽観的に行動せよという指針があるとおり、一番の悲観的な状況を想定してシミュレーションしておかなければ私はいけないと思いますので、是非それも含めたお取組をお願いしたいと思います。 官房長官、御退室いただいて結構です。
NHKは、オピニオンリーダーであることを自己認識され、国民を過度に悲観主義に導かずに、希望を与える報道、これを引き続き期待したいと思います。 ところで、NHKの番組の中身が日本の国以外でも意図的、恣意的な使われ方をすることがございます。 過日、杉田水脈委員が、軍艦島が舞台の、昭和三十年に放送された「緑なき島」の映像に関して質問をしておられました。
悲観的に報道するのか、楽観的なのか、あるいは、個々の事象を全体像から取り上げるのか、それだけに特化して取り上げるのか、そういう姿勢の差が大きな結果の差になるというふうに思います。 残念ながら、どちらかというと悲観的な取り上げ方というのが若干目立つのではないか、その結果、日本人が余りにも後ろ向きで自虐的になる、そんな嫌いもあるように感じております。
ただ、観光立国の責任者としての観点からいいますと、これは別に、残念ではありますが、全くこれからの観光立国政策としては悲観しているというわけではございませんで、本大会は、改めて言うまでもなく、世界中から日本にスポットライトが当たる一大イベントでありますし、世界中にアピールできるまたとない機会であるというのは間違いないわけでございます。
悲観的にならないような社会をつくっていかなければならない。 今、やはり再チャレンジしづらい社会だと思います。そういったところも、できれば、不利にならない働き方とか職場の環境、共働きしやすい環境、今もちろん取り組んでいただいているのは承知していますが、ここに対してのこの意識の変革というのは重要だと思っております。
結果としては、おおむね悲観的であります。 国民の多くの予想は、ワクチン接種は進むものの、変異種の流行により終息の見通し立たず、経済状況も停滞あるいは悪化すると予測しております。これは経済学的に見ても極めて憂慮すべき状況で、こういった悲観的な国民の予想は今後の日本経済にも悪影響を及ぼす可能性があります。
ただ、一方で、私が余り悲観をしていないのは、間違いなく、気候変動に対する危機感、そして、何かしなければいけないかもしれない、世の中変わってきたというこの雰囲気、そして機運というのは間違いなく高まっていると思います。
先生が出された、これはたしか四年前だというふうに思いますけれども、「人口減少時代の土地問題」という著書を発行なさっておりまして、この中で、地籍調査、不動産登記制度の限界ということの中で、ある意味では課題が多過ぎてなかなかこの問題は解決できないんじゃないかなという、そんな悲観的な御意見を伺ったこともあります。
私の身近にいる漁業関係者も同じようなことを言っておりましたが、やはり、この風評被害を未然に対策するとはいえ、本当に出ないかといえば、そこの点についてはかなり悲観的に見られているのが実際の状況であります。ですから、今のうちから、その対象となる方々にどのような解決策を示すのか、ここはとても関心が強く持たれているところでもあります。
○茂木国務大臣 まず、篠原委員の議論の前提でありますけれども、中国の基本戦略といいますか、確かに、経済見通しなんかではよく、コーシャスリーオプティミスティック、注意深く、しかし楽観的に、こういう言葉を使うんですが、外交、安全保障政策の見通しについては、私は、一方的に楽観的であったり、また悲観的な見解を持つことは適切ではない、その時々の安全保障環境の変化などを常々分析、検討していく必要がある、このように
そして、各国での国内の批准プロセスというか、そういうのも注意深く見てきましたけれど、では、これから一か月、二か月でミャンマーでこのRCEP協定が承認されるかというと、それについては極めて悲観的です。
そうしたことはしっかりやってもらいながらも、ちょっと明確な答弁ではないんですけれども、私は、前向きにというか、どちらかというと悲観的な結論じゃなくて、やっぱり関係人口を増やす、交流人口を増やす、観光立国としてそうしたものを増やしながら、そこになくてはならない公共交通機関、JR四国、JR北海道には活躍していただきたいと、そして人材の流れもつくっていただきたいと、そういうふうな思いで今回は法案を提出させていただいたところです
この理想に近づかない限り、やみくもに相続登記を義務化しても、ただいま議員御指摘のとおり、違反事例の捕捉に困難があるばかりで、費用や手続の面で国民に過重な負担を求める結果に至るという悲観的な見通しを抱かざるを得ませんでした。これが、御指摘の二〇一八年五月二十二日の本院の国土交通委員会において、私が所見を述べた段階における見方でございました。
技術の進化による失業という悲観論が議論される場合もありますが、私は、歴史的に見れば、技術は新しい雇用を生み、人々を豊かにするというふうに思っております。 ただし、取り残される人が出ないようにということは大切で、社会全体で包摂していくということが必要だと思います。そのために、適切な教育、職業訓練をしていくということが必要になると思います。
○川本参考人 各種国際調査を拝見しても、日本人は実態よりも悲観的になりがちな傾向はあると思います。 日本は、安全で、生活で誇れる点がたくさんありますけれども、もしネガティブな雰囲気があるとすれば、少子高齢化もあり、若い人が希望を持てる社会なのかという懸念があります。
川本さんは、かつて、佐々木かをりさんとの対談で、サッチャー時代の改革を舞台としたイギリスの「リトル・ダンサー」という映画についてお話をされておりまして、私も大変好きな映画で、ダイバーシティー、多様性の視点からも非常にすばらしい映画だなと思っておりますが、その対談の中で川本さんは、イギリスの変化は社会を覆っていた悲観主義からの克服だというふうなお話をされていて、私もそのとおりだなと思うんです。
○斎藤(洋)分科員 北方領土の返還交渉ということにつきましては、今、ロシア国内の状況を考えますと、相当悲観的にならざるを得ないと考えています。 と申しますのは、憲法改正を彼らがしたということもありますし、構造としても、北方領土を返還しなくても日本からの経済協力が受けられるんだというところでは、インセンティブがなかなか働かないだろうと考えています。
この今の、アメリカが緊急事態宣言を出して、しかも、オリンピックに対しては科学的な根拠に基づいて開催されるべきだと言っている国が果たして選手を出せるだろうかということ、もっと言えば、予選や選考会を行って、何とか六月二十九日まで物理的に間に合わすことができるだろうかということを考えますと、やや悲観的にならざるを得ないところも正直あるんですね。もう物理的なもの。
もう一つの監査につきましてでございますが、これにつきまして、ASBJの明確化を踏まえたところで、今度は公認会計士協会が、監査人が過度に悲観的な予測を行い、経営者の行った会計上の見積りを重要な虚偽に判断することは適切ではないということに留意するという点を周知しているところでございます。
それは、仮に、例えば省エネ技術でイノベーションが起こらなかった、そういう悲観的なシナリオにおいても必ず電力の安定供給を確保できる体制をつくらなきゃいけない、そういう思いに基づくものなんですけれども、それなくして、電源別の割合を上げたり下げたりとか、そういう具体的な数字の議論をするというのは私はちょっと大きな違和感があります。
これは、コロナによる消費の落ち込みもございましたし、作柄はまずまずだったということで、多くの生産農家が、これは米価相当厳しいということを、天候もよかったので、もう初夏の時点でかなりおっしゃっていて、マイナス四桁は避けられないのではないかという悲観的な声がかなりありました。