2013-11-08 第185回国会 衆議院 国家安全保障に関する特別委員会 第9号
ちょっと飛びますけれども、「帰途の電車の中、乗客が一人、涙ながらに悲憤慷慨する。「我が国が何故に今回の戦争に突入しなければならなかったのか、納得し得られない。政府や軍部の発表せる所は事態を糊塗して、国民を愚弄するものである。又戦局の進行に付ても、着々順調な経過を辿っているが如き楽観の報道のみを掲げ、無条件降伏を必要とするような悲惨な情況に迫っていたことなど、一言も公表せられたことがない。
ちょっと飛びますけれども、「帰途の電車の中、乗客が一人、涙ながらに悲憤慷慨する。「我が国が何故に今回の戦争に突入しなければならなかったのか、納得し得られない。政府や軍部の発表せる所は事態を糊塗して、国民を愚弄するものである。又戦局の進行に付ても、着々順調な経過を辿っているが如き楽観の報道のみを掲げ、無条件降伏を必要とするような悲惨な情況に迫っていたことなど、一言も公表せられたことがない。
それにしても、このときの三党の横暴な国会運営は、今思い返すだけでも悲憤慷慨せざるを得ません。ちょうどそのころは六月二十一日の会期末直前でした。しかし、実際には、増税法案審査のため会期が延長されること自体は確実視されていました。つまり、六月二十一日で国会が終わるなどというのは誰の目にもフィクションだったのです。
中通りの市町村は、著しい被害と認められないので復興交付金の対象とならないということにもなっている、その著しい被害の自治体から大量の避難者を受け入れているのにそういう扱いになっていると、悲憤慷慨されておりました。
特に、鳩山総理、あなた自身の発言がどれだけ多くの県民を落胆させ悲憤慷慨させてきたか、想像したことがおありでしょうか。先日も、総理御自身の北海道の支援者の前で、普天間なんて、皆さん、知らなかったでしょうなどと無節操なことをおっしゃっていることからすれば、きっと県民の苦しみを想像したことなどないと思います。このどこが友愛政治、友愛外交なのですか。
大企業なら何をやってもいいのかということで、時の労働大臣が悲憤慷慨したということを私はふと思い出したわけでございます。 そして、我々関係の他の閣僚も力を合わせて、二万人の首切りに対して対応しようと。
そういったコミュニケーションギャップみたいなものを、一私人として、ジャーナリストとして非常に悲憤慷慨しております。これは教育の罪というよりは一種のモラルであって、そして逆に言うとコミュニケーションというものをべっ視しているお気持ちがどこかにあるんじゃないか。
おまけに、菅代表と竹中大臣とのやりとりを見て、余りにもうそが多いので、悲憤慷慨して手紙を添えて出しているわけでありまして、「報道で名前の挙がった鈴木銀行第一課長は竹中大臣に対してウソをついています。」「鈴木課長の意向をお伺いしました。そのとき鈴木課長は「監査法人がいう三年には根拠がない」と断言して、監査の独立性を無視した発言を繰り返されました。
悲憤慷慨、一切公言すべきではないと思っていたけれども、 金融庁の役人たちが、本来果たすべき監督責任について言及することなく、私どもや監査法人に責任を転嫁しているさまを毎日のように見せつけられ、だんだん彼らを許せなくなってきました。特に、菅代表と竹中大臣との質疑に関する報道をみて、「こんなことをもう許してはいけない。
私は、これほど人権といいますか、が分かっていないといいますか、でたらめな国はないともう非常に悲憤慷慨したんですが、日弁連もそのことについて、小泉さんの行動に対して特段のコメントはなかったやに思うんですが、あったらごめんなさい。 本当にこんなことで人権というものが、本当に有識者も含めて、理解されているのかどうか極めて疑問だと。
そのときの初心忘れるべからず、いまだに悲憤慷慨しておられることは私よく分かるんですが、私のような陣がさ大臣にそんな大きい質問をされてもどうも答えようがないんですけれども、しかし、まあこれは、国会の会期延長するどうのこうのということ、これは国会がお決めになることでありますから、是非ひとつ国会で審議を終了すると、政府が出したものに対して一応イエス、ノーを明確にして審議を終了していただくということを国会自身
私は、時代は変われども、これは外交の一つの基本姿勢として真理だというふうに思っておりまして、今回国民の皆さんが悲憤慷慨している背景には、残念ながら、今日までの我が国の軟弱外交とも言うべき極めて弱々しい外交姿勢というものがあり、それに対する長い間の国民の皆さんの不満やうっぷんというものが背景にあって、今回の事件はそこに火をつけてしまった、こういうふうに思っているところであります。
もうちょっとこういう、これこそ日本人の法意識、法文化の問題の根源じゃないかと悲憤慷慨、今でもしているんですが、御感想をお聞かせいただければ。
一般論として、具体的な事実の特定をしませんで申し出る苦情、あるいは抽象的な提言とか悲憤慷慨とかいろんなものがあるわけでございますが、そういったものについては、法律上のここで言うところの苦情という形では扱えないのではないかと、このように考えているところでございます。
これはいずれも、まあ出席者の方がそのときの金融・経済情勢を私に質問すれば大ざっぱなお話をしましたし、やはりその四元さんという方は、国を思う一念の固まった非常な古武士みたいな方ですから、そういう政治のことについての、悲憤慷慨ではありませんけれども、そういうふうなお話も承り、比較的そういう雑談風なことで会があったことは事実でありますけれども、この件に関しては全くないということは今申し上げたとおりであります
今自民党の議員から、カンボジアの和平のために国際貢献をしておる者がカンボジアにおいて殺される、殺すような勢力なり殺す者はだれであるかわからぬが、けしからぬという悲憤慷慨に満ちた御意見がありました。全くそのとおりでしょう。 私は、約一カ月前になりましょうか、たしか四月九日であったと思いますが、大臣就任早々、中田さんが亡くなったときの現地カンボジアにおける背景、だれが殺したのか。
老い行く往年の勇者たち、慌ただしく迫ってくる人生のたそがれの時期を迎える中で、なお問題を軽視する政治に翻弄されている逆境に対して悲憤慷慨し、このままでは死んでも死に切れない、せめて最後に悔いを残さない思い切ったことを展開してみるべきだという思い詰めた意見が集中的に出たというわけですね。
御承知のように宮崎は二区が減区になるところでございまして、わかりやすい表現で言えば非常に皆さんが悲憤慷慨をしておられるわけですね。それで、今、過密・過疎の話もございましたけれども、我々党内でこうした議論を進めていくときには、基本的には選挙区の定数というのは有権者のもの、国民のものであるということ、これは基本だろうと思います。
○国務大臣(塩川正十郎君) 私もその要望を承りましたが、市長、市議会の方々なんかもなかなか悲憤慷慨しておりました。 おっしゃるように、焼却場の問題はいわば汚い施設となっておりますので、住民の方の協力を得るというのは容易なことじゃないです。やっと話がまとまってきたら厚生省が予算つけてくれぬ、何だ、これはもう爆発するのは当然だと思うんです。
○塩川国務大臣 それは、おっしゃることよくわかりますけれども、悲憤慷慨しておられることはよくわかりますけれども、これは政府に対してそうおっしゃっていただいても、政府としてはそれはどうにもできないことでございまして、一政治家として判断しろとおっしゃるならば、それは総理がおっしゃっているように、そういうことがもしあるとするならば非常に残念なことだなと。
特に、どんどんと高齢化が進んでいるわけでございますし、どなたといえども先祖の跡すら訪ねておるというのが今日の世界の現状でございますから、ましてや、自分が現に生まれ、ただ日本の政策によってそうした目に遭わなければならなかったという方々の悲憤慷慨、そうした思いを私たちも自分の思いとして持たなければならぬ、かように私も考えますので、きょうこうした立派な御質疑をちょうだいいたしましたので、早速そうした心を心