1953-07-31 第16回国会 衆議院 法務委員会 第27号 その後母の手で育つて、住所を泊居に移して小学校に入学、約一箇月にして塔路に移つて、小学校三年のときさらに北名好に移りましたが、ここで恵須取中学在学中に勤労動員で伊藤という軍需工場に徴用されて終戦まで働いておつた。終戦が近づくにつれて艦砲射撃がはげしくなり、母はそのために終戦のとき死亡して、爾来孤児となり、自分の国籍がはつきりしておらないというふうな事情でございます。 戸田正直