2021-04-09 第204回国会 衆議院 厚生労働委員会 第10号
昨年の九月でしたか、私がこの委員会で熊本の菊池恵楓園におけるハンセン病の患者さんの遺体の解剖の問題、同意なき、ほぼ強制的な解剖問題、四百七十九人を取り上げて、その後、十二月には、星塚敬愛園で千八十一人、また、この三月には岡山の長島愛生園で千八百三十四人、いずれも、ほぼ入所時に、同意というには余りにも不確かな形で、お亡くなりになった後の解剖が行われております。
昨年の九月でしたか、私がこの委員会で熊本の菊池恵楓園におけるハンセン病の患者さんの遺体の解剖の問題、同意なき、ほぼ強制的な解剖問題、四百七十九人を取り上げて、その後、十二月には、星塚敬愛園で千八十一人、また、この三月には岡山の長島愛生園で千八百三十四人、いずれも、ほぼ入所時に、同意というには余りにも不確かな形で、お亡くなりになった後の解剖が行われております。
きょう私が取り上げさせていただきたいのは、ハンセン病に関する資料保存の必要性ということでありまして、実は、この間、ハンセン病については、例えば胎児標本があることがわかって、それが六園くらいであったかと思いますが、そういうことの調査も必要だと言われ、今回は、二〇一三年のことですが、熊本日日新聞の報道から、熊本医科大学で、ハンセン病療養所菊池恵楓園のハンセンの患者さんの骨格標本をつくっていたと。
○田村国務大臣 今委員おっしゃられましたとおり、菊池恵楓園における調査報告書、入所者二千名強の方の中で三百八十九名以上が病理解剖を受けたということで、これ自体、本人の入所時の同意があったとはいえ、非常に重いものがあるというふうに認識いたしておりますし、故人の御遺体を丁寧にお扱いしなきゃいけないわけでありますし、尊厳というものを守るべきでありまして、倫理上は大変遺憾であるわけであります。
○阿部委員 では、これが最後の質問になろうかと思いますが、大臣ももしかしてお目にとまったことがあるかもしれませんが、菊池恵楓園では、金陽会、入所者の皆さんの絵画サークルがあって、大変貴重な作品が八百点余り保存をされております。
私は、政務官という公的な立場をいただいておりますので、沖縄愛楽園、宮古南静園、そして熊本県の菊池恵楓園、鹿児島県の星塚敬愛園を訪れまして、自治会や関係者の方々から、ハンセン病問題をめぐるさまざまなこれまでのお話、そして現在の状況についてもお聞きをしております。 菊池恵楓園では、自治会長と副会長の方の御自宅も訪問させていただいて、さまざま、本当に膝を突き合わせて、よもやま話もさせていただきました。
二〇一〇年から一三年に、福岡県の公立小学校の先生が授業の中でハンセン病は体が溶ける病気と説明し、誤解した児童が、怖い、友達がかかったら離れておきますなどと記した感想文を恵楓園に送り、その連絡で教育委員会が事実関係を調査したとされております。 文科省は、昨年の秋、家族訴訟で原告が提出した書面で初めてこの問題を知ったといいます。
今日は資料をお配りしておりますが、二〇〇三年、熊本県のある温泉のホテルが国立療養所の菊池恵楓園の入所者の宿泊を拒否しました。当初はホテルに対する批判が相次ぎ、法務局も人権侵害の是正を勧告するなどいたしました。ところが、ホテル側が県に責任を転嫁する発言を行ったために、これ恵楓園の自治会側が謝罪の受入れを拒否いたしました。すると、風向きが一変しました。
○坂本副大臣 私の選挙区には、日本で一番多い入所者がいらっしゃいますハンセン病療養所恵楓園がございます。千人を超えていた恵楓園ですけれども、今はもう四百人を切りました。しかも、今委員言われましたように、平均年齢が八十二歳を超えました。これまでボタンをはめていたものがボタンもはめられなくなった、そういうようなさまざまな問題も起きております。
今後、公募の実施、また利用者の選定等の手続を行い、二十四年四月を目途に開所が可能となるようにしていきたいと思っておりますが、また、国立療養所菊池恵楓園についても、多磨全生園と同様、保育所利用のための計画を進めているところでございます。 いずれにしましても、今後とも入所者や施設管理者等の意見をよく聞いた上で、各施設の地域開放に向けた取組を進めていきたいと思っております。
本案は、全国の十三の国立ハンセン病療養所、すなわち、松丘保養園、東北新生園、栗生楽泉園、多磨全生園、駿河療養所、長島愛生園、邑久光明園、大島青松園、菊池恵楓園、星塚敬愛園、奄美和光園、沖縄愛楽園、宮古南静園の入所者等の方々の福祉の増進、名誉の回復等に関し現在もなお存在する問題の解決の促進に関し、必要な措置を講じようとするもので、その主な内容は次のとおりです。
本案は、全国十三の国立ハンセン病療養所、すなわち、松丘保養園、東北新生園、栗生楽泉園、多磨全生園、駿河療養所、長島愛生園、邑久光明園、大島青松園、菊池恵楓園、星塚敬愛園、奄美和光園、沖縄愛楽園、宮古南静園の入所者等の方々の福祉の増進、名誉の回復等に関し現在もなお存在する問題の解決の促進に関し、必要な措置を講じようとするもので、その主な内容は次のとおりです。
菊池恵楓園というハンセン病療養所の、熊本にあります菊池恵楓園という、入所者といいますかハンセン病元患者の人たちが黒川温泉に宿泊を申し込みました。しかし、その黒川温泉のある施設は宿泊を拒否しました。それは、ハンセン病元患者ということで拒否されたんですね。彼らの理由は、この間の日教組のプリンスホテルのあれではないですけれども、ほかのお客さんに迷惑を掛ける、だから断ったと。
もう一つはハンセン病元患者、すなわち社会の中でも問題になりましたが、あの熊本恵楓園のハンセン病療養所の方々が黒川温泉に宿泊に行ったときに拒否された、それが問題になった。
熊本恵楓園という療養所、ハンセン病療養所があります。そこに彼はどんなはがきを送っているかといえば、おまえたちハンセン病にかかったやつらはハンセン病発病の時点で人間ではなくなった。ダニやゴキブリやハエやノミやシラミやウジ虫よりもばかであほでうざったくて汚い下等単細胞生物になったのである。あるいは、ハンセン病、おまえたちふざけたことをするのもいい加減にしろ、本当に承知しないぞ。
ちょっと例を挙げさせていただきますけれども、その象徴が菊池恵楓園に隣接いたしまして開設されました、一九五三年でございますけれども、癩刑務所にあったかと思います。 もとより、行政警察的な発想はこれにとどまりませんが、絶対隔離政策の結果、ハンセン病の医療、予防ということも療養所の中だけに隔離されるということになりました。これは先ほど議員御指摘のとおりだと思います。
そういう意味では、例えば、つい先日、数か月前ですけれども、熊本のホテルにおけるハンセン病回復者の宿泊拒否、その後の恵楓園への抗議あるいは差別ファクスや手紙が集中しているというふうな問題も聞いております。これはほんの一例ですけれども、こういった人権侵害や差別といったものが頻発している今の国内の状況を見たときに、この人権十年は是非第二次の取組が必要ではないかというふうに私は思っております。
その一つが、菊池恵楓園の由布園長の発言問題です。同園長は、菊池恵楓園の自治会機関誌「菊池野」二〇〇二年一月号に寄稿した「二〇〇二年 年頭挨拶」において、次のように述べております。
私は、旧制中学三年生、十六歳のときに、熊本のハンセン病療養所、菊池恵楓園に入所しました。病院で診察を受け、ハンセン病であることがわかった日の翌々日の入所でした。 このように急いで療養所に入所することになった理由は、私がハンセン病であることがわかれば、保健所が来て家を徹底的に消毒してしまうことになるからです。
さて、きょう、私がまず取り上げたいのは、全国に先駆けて、最初に訴えを起こした鹿児島県星塚敬愛園九名、熊本県菊池恵楓園四名の皆さんの問題であります。 全国の先駆けとなった、この十三名の方々に、この機会に心からの敬意を表したいと思います。その中に何名かの日本共産党員が含まれていることを私は心から誇りに思います。
私自身、東京の出身ですが、現実に身の回りにそういう問題をほとんど全く意識しないで育ってしまいまして、こちらの熊本に住むようになって初めて、自分の県に菊池恵楓園というものがあることでこの問題に興味を持ったわけでございますけれども、そういう中で、本当にこの患者さんたちの生のお声を聞かせていただきました。
私は、熊本の菊池恵楓園のすぐそばに住んでおりまして、議員になる前から十年来園に出入りして、友人である多くの元患者の皆様から人権侵害や差別の生の声を聞いてきた者として、初めから党内でも一貫して強く控訴させてはならないと訴えてまいりました。その意見集約を党の中でも受けまして、控訴断念を党の方針と決めて、神崎代表らが首相と会い、控訴しない政治決断を強く申し入れておりました。
実は、私は、菊池恵楓園がある熊本の出身でございまして、本当に恥ずかしい話ですが、今まで一度も訪れたことがなかったという立場でございます。それで今回、二十六日、翌日に早速訪れまして、患者さんたちのお話を聞いてまいりました。
熊本の菊池恵楓園、鹿児島の星塚敬愛園、東京の多磨全生園などをお訪ねいたしまして、現憲法下でこんなひどいことが行われてきたのをこれまで見逃してきた責任を痛感しております。この機会に患者の皆さんに心からおわびをしたいと思います。 ところが、この問題の責任者である大臣は、一昨日の所信で、大変厳しい結果、対応を検討などと述べるにとどまっておられます。
瀬戸内海に浮かぶ小島にある長島愛生園、熊本の郊外に今なお高い塀が残る菊池恵楓園に参りました。そこでたくさんの涙を吸ったであろう住まいの畳の上に座して皆さんのお話を伺いました。それは、まさに筆舌に尽くしがたいほどの人権侵害の歴史でありました。らい予防法によって人間として生きることすら拒否された人々のうめきであり、叫びでした。
それで、現に菊池恵楓園にあることも知っておりますし、その管轄が小倉の医療刑務所の支所としてあることも知っております。しかし、現実は受刑の方が二人、それでしかも職員が十人、こういうような現実なわけですね。ですから、そういうことも、私はせっかく大臣が前向きに取り組んでおられるなら、やはり鈴木内閣の閣僚ではあるし、法務大臣ともそういう点は十分御相談できるはずだと、こういうふうに思っているわけです。