2006-12-01 第165回国会 参議院 教育基本法に関する特別委員会 第7号
このことを、近現代の教育思想界に大きな影響を及ぼしましたフランスの教育思想家であるコンドルセという人物は、次のような言葉で語っております。 教育の目的は、既成の意見、既にある意見ですね、既成の意見を神聖化するのではなく、既成の意見を次々の世代の自由な検証にゆだねることにあると、このようにコンドルセは申しております。
このことを、近現代の教育思想界に大きな影響を及ぼしましたフランスの教育思想家であるコンドルセという人物は、次のような言葉で語っております。 教育の目的は、既成の意見、既にある意見ですね、既成の意見を神聖化するのではなく、既成の意見を次々の世代の自由な検証にゆだねることにあると、このようにコンドルセは申しております。
なぜ大学教育ないしは思想界においてこの議論がなかったかというのにはさまざまな要素があると思います。 ただ、今、山本委員は御自身の経験をおっしゃいましたが、私自身の経験からいっても、私は敗戦の年に中学一年生でございましたので全くの戦後派教育を受けてきた者でありますけれども、その間、日章旗と君が代を歌ったり見たり敬礼したことは一度もございません。
一番サボったのは、私は国会が国旗・国歌の問題を取り上げて議論しなかったことだと思うんですけれども、大学の世界でも、いわゆる思想界の世界でもほとんど国旗・国歌問題に触れなかった、昭和二十年代、三十年代。その間にオリンピックと相撲で、そしてもう一つは、文部省がしゃにむに歌え歌えとやって、日の丸掲げよとやっていく中で定着したと私は思うんです。
先ほどの大学紛争もそうでございますが、いわゆる戦後の思想界といいますか言論界といいますか、戦後の言論をリードしてきたいわゆる進歩的文化人という人たちがいるわけですね。この進歩的文化人という人たちは、戦後の言論をリードし、学生とか社会に対する影響も大変大きかったのです。
理論、さらにはその下にある直感といいますか、あるいは非常に多くの人々の中に生きている生命観といいますか、そういう非常に意識の下にまで根を持っている生命観というものを掘り出してくることはできない、こういうふうに考えてきておりまして、そういう中で安楽死法というものが出てきて、それがもっぱらアメリカの一部の学者の理論あるいは州における法制化、そういうものに基づいて出されてきておるということは、今日の世界の思想界
たとえば最近シルクロードというものが思想界にまで取り上げられている。絹に対する郷愁のあらわれだ、私はこう見るのであります。それから女子大学の謝恩会で着ているものというものは、ほんとうの意味の純絹でなければ見劣りするというので、一つの絹に対するあこがれというものの価値的のあらわれではないか、こう私は見る。
また、自民党の中にもそういうものは中共に現に出かけて、そうして交渉を持っている人がいるじゃないか、また、財界、産業界あるいは思想界、言論界等々にもいるんじゃないか。そのとおりだと思う。いわゆる国民外交というのはそういう意味で望ましい。私はそういうように積み重ねられて、そうしてりっぱな外交の成果をあげることは望ましいと思う。政府自身そういうものを全部ためるつもりはございません。
次に、人づくりの懇談会のあり方でございますが、これは思想界、教育界あるいは報道関係、一般評論家、あるいは労働関係等の人に集まっていただきまして、いろんな点につきまして忌憚のない意見を申し出てもらうことにいたしております。
そうしますと、そういうような複雑な思想界に関係のある教育法人、そういうものの役職員が、調停委員が作った調停案というものは、多数ではあるけれども、妥当ならずと判断する場合もあるし、事実私は妥当ならざる場合もあり得ると思う。これは日本の歴史が幾多こういうことを証明してくれておると思う。だからこそこういう憲法もできておる。
こういう言葉は今日はもう思想界になくなっておるのですか。
わが国の民主主義発達の状況、それから国民の考え方その他いろいろな社会状況、政界の状況、思想界の状況等を見ますと、この法律の対象になるような政治的暴力行為は、遺憾ながら相当長期にわたって存在をするものであって、これに対処する側も、一つ腰を据えた持久戦のかまえをもってする必要がある。
当時、第一次大戦が終わり、ソビエトの「十月の嵐」が吹いたあとだけに、「人民の中に」の運動が思想界を風靡していました。君は、民人同盟会から建設者同盟と、思想運動の中に身をゆだね、検束と投獄の過程を経て、ごく自然に社会主義運動の戦列に加わったのであります。
それからまた日本の思想界を指導していますところの大学教授というもののうちに、やはりマルキストが多くて、これらがジャーナリズムの寵児でございまして、暴力革命のフィロソフィーをときどき今説いておる。
文芸の中に勧善懲悪を入れるというのが儒教の立場からの、たとえば馬琴などに見られます文芸の特徴でありまして、デモクラシーの時代に歴史にそういう修身を入れてくるというふうなアナクロニズムはとうてい私たちには理解できないのでありまするが、これがはなはだ進歩的たという考え方が日本の教育学界なり思想界では行われているようであります。
すなわちボイラーから冷蔵庫へ人間を入れるようなことが起きる、経済界には恐慌が起きる、思想界にも非常な混乱が起きる、二大政党主義をとって、そうして衆参両院が政気化するようなことになれば、そういうことになるのだということを第四に私はお伺いした。第五にお伺いしたのは、政党というのは万能じゃないのだ。
昔から言っておったような社会主義の傾向が、やはり相当思想界には強いし、ことに教育界には強い。これは今差し当って民主主義に反するとは申しません。
そうしてみますと、今日教育思想界を見て非常に紛淆を来たしておるもとが、憲法の条文に主権在民という言葉が現われて参りまして、これが民主主義であるというふうに解釈する方があって、憲法の改正に当りましても、この主権在民ということがすなわち民主主義だ、こう理解してこの点は変えないというふうに考えておられる方がたくさんあるのであります。
特にわが国におきましては、まだ思想界も相当動揺したものがございまして、一体どっちに国民が向っていっていいのか、その帰趨に迷っているような者も少くなかろうと思います。自衛隊員の中にもそういう者が出てこないとも限らない。自衛隊がせっかく国を守るための訓練を受けても、そのほこ先がどっちに向いていくかわからぬということでは、国民はきわめて不安であります。
従つて私はこれは文部大臣の今後の慎重なる御考慮というか、これを煩わすと同時に、千葉県の教育委員会を代表されて参つておられる郡司さんに私は要望いたしますが、これは一千葉県の問題ではなくして、今やはり日本の教育界あるいは日本の思想界、こういうものが全部あなた方の決定というものに非常な関心を持つて注意しておる。
しかし文教の府、しかもある意味において道徳の中枢を握つているような教育者がここまで行つたということになれば、およそ日本の思想界がどの程度に行つているかということから、国際間の信用も阻害されるものだと私は思う。こういう点から見まして、教育者のあり方ということも少し考えなくてはならないと思う。この意味において、大臣はどういうお考えを持つておるか。
○参考人(関口慈光君) 白蓮社と申しますのは、宗旨にとらわれませんで、各宗の志を同じうする者が寄り集まつた団体でございまして、菩薩道を黙々として実践して行こうということがスローガンでございまして、戰争後の思想界に対して僧侶としてしなければならんこと、例えば戰争による戰歿者の慰霊、供養、それから戰争犠牲者の遺家族救済というようなこと、更に仏教を海外に普及しようというようなことに微力を盡しておりますので