2021-05-13 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第12号
そもそも、孔子学院という名前は、約二千五百年前の中国の思想家、孔子の名前を冠していますが、論語や儒教とは直接の関係はありません。文化大革命では迫害の対象となった孔子も、現在においては世界に冠たるブランドネームとして中国共産党に重用されており、胡錦濤政権に続く習近平国家主席もソフトイメージを使ったこの海外工作を殊のほか重視しており、外遊先では積極的に孔子学院を訪問しています。
そもそも、孔子学院という名前は、約二千五百年前の中国の思想家、孔子の名前を冠していますが、論語や儒教とは直接の関係はありません。文化大革命では迫害の対象となった孔子も、現在においては世界に冠たるブランドネームとして中国共産党に重用されており、胡錦濤政権に続く習近平国家主席もソフトイメージを使ったこの海外工作を殊のほか重視しており、外遊先では積極的に孔子学院を訪問しています。
私は、この際注目したいのは、私とは全く思想、信条が違う、そういうイタリア人思想家の発言内容に賛同できる主張があるということでございます。ジョルジョ・アガンベンという思想家でありますが、この発言の契機となっているのは今回のパンデミックです。イタリアでも、規模は全然違いますけれども、本質的には日本と同様のことが生じています。
デジタル化を唱えない者は経世家でもなければ思想家でもない、改革を進める者でもなければ国民に対して働く内閣でもない、このような状況でデジタル化ということを皆さん言っておるのでありますが、何をもってデジタル化とするのか、何を進んでデジタル化を進んだということにするのか、そのことの中身については、残念ながら、ほとんど茫漠として、理解をすることはとてもできないと思っているのが私の観察であります。
この点、啓蒙思想家のジョン・ロック、所有権の絶対性というものを述べています。財物について、放棄も含めてどのような処分をするかは、本来、所有者の自由である権利なのです。人間の自然権、基本的人権なのです。 私は、今回の国庫帰属の手続ができたことで、この土地所有権の放棄の議論が後退してしまうということを懸念しています。
マキャベリというと、いわゆるマキャベリズム、一般に評されるのは、目的のためには手段を選ばないとか、ある政治目的を達成するためにはたとえ非道徳的な行為でも許される、結果がよければ許されるとか、そういったことをよく言われる政治思想家でありますけれども、総理はそういったマキャベリズムというものを信奉されているんでしょうか。
地方自治は民主主義の学校であるというこの言葉なんですけれども、フランスの政治思想家であるアレクシ・ド・トクヴィルの言葉であります。 国や地方を統治する王や諸侯から、ブルジョア革命によってブルジョアジーが、そして、プロレタリア革命によってブルジョアジーから今度はプロレタリアートにヘゲモニーが移行していく中で、土地や生産手段を持たない大多数の民衆が政治を動かすデモクラシー、民主主義が始まりました。
十九世紀のイギリスのジャーナリスト、思想家として知られるウォルター・バジョットは、議論による統治を近代の指標としました。議論による統治があって初めて同意による統治が可能になり、民主主義が成立すると言われています。力の強い者が弱い者を、多数派が少数派を抑え込もうとすれば、社会は常に亀裂と分断を生じ、国家の安定と秩序は維持できなくなります。
先日の新聞報道でも特集で取り上げられておりましたけれども、ジャーナリストの山際氏という方は、これまでその新聞によると保守的な考え方の方だというふうに書かれていましたけれども、一体この質問書は誰が作ったのか、つまり文科省が本当に作ったのかということをおっしゃっているんだと思いますが、前川氏の授業に対する過剰な介入は政権に反旗を翻した役人に対する政権側からの嫌がらせにしか見えないとか、思想家の元大学の先生
幕末の思想家であり、同時代の精神的指導者、教育者でもあった吉田松陰は、こうした地方の改革の積み重ねの大切さをこう表現しました。一人の策を積みて一家の策をなし、一家の策を積みて一国の策をなし、一国の策を積みて天下の策をなす。御努力これを祈る。
この際、総理に、中世ヨーロッパの政治思想家ニッコロ・マキャベリの名言をお伝えしておきます。その大著「フィレンツェ史」の中で、マキャベリは次のように述べています。戦争は、誰かが望んだときに始まるが、誰かが望んだときに終わるものではない。 総理には、慎重な上にも慎重に、かつ思慮深い外交姿勢で職務に当たられることを切望します。決意のほどをお伺いいたします。 次に、内政について伺います。
しかし、きょうの性犯罪の、性に対する理解というところで、道徳の中学生の教科書を読んでおりましたら、フランスの啓蒙思想家ボルテールの言葉がございました。互いの知識を持ち寄り、互いに許し合わなければならない、たった一人の者が見解を異にしたとしても、この者を大目に見なければならない。その下に、アンドレ・ジッド、フランスの小説家の言葉。
権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する、これは、イギリスの歴史家、思想家、政治家、ジョン・アクトンの有名な格言です。森友学園や加計学園に関する疑惑に象徴されるように、安倍総理による政治の私物化は、今や明白な形でその姿をあらわし始めました。私たちは、そのような政治は断じて認めるわけにはまいりません。
もう一つ、僕は思想家でも何でもないんですが、哲学者でも何でもないんですが、日本の一般国民の感情として、この農家の皆さんがこういうことを本当に言ったかなと思って、言ったとすると極めて残念な言葉なんですが、農場の経営者は、取材に対して、産経新聞の取材にですね、天皇陛下を罵ったと言うんですよ。で、日本の農政を、政策を批判した。
それで、籾井会長に聞きますけれども、ボルテールという、何というか、思想家ですね、一七〇〇年代の方なんですが、私はあなたの意見には反対だ、だが、あなたがそれを主張する権利は命を懸けて守るという言葉があるんです。もう一度言います。私はあなたの意見には反対だ、だが、あなたがそれを主張する権利は命を懸けて守りますという、これ、この言葉どう思います。
最後になりますけれども、中世のヨーロッパの政治思想家マキャベリ、このマキャベリの言葉を私たちこの委員会に身を置く議員は重く受け止めるべきだと個人的に考えております。マキャベリはこう言いました。戦争は、始めたいときに始められるが、やめたいときにやめられない。
ホッブズ、ロック、ルソー、カントといった近代立憲主義の基礎を築いた政治思想家たちは、いずれも、この問題に回答しようとした人たちであります。 近代立憲主義は、そうした社会生活の基本的な枠組みといたしまして、公と私とを区分することを提案します。 私の領域におきましては、各自がそれぞれ、自分が正しいと思う世界観に従って生きる自由が保障されます。志を同じくする仲間や家族と生きる自由も保障されます。
御存じかどうかわかりませんが、岩波書店の岩波茂雄氏は後に、この事件は、学者、思想家がその後に凶暴な軍部や右翼に屈する端緒になった、そういうふうに評価をしている事件であります。
まず初めに、中国に孔子という思想家がおりまして、いろいろな名言を吐いております。十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず。不惑の四十というところでございますが、私ごとですけれども、きょう、誕生日でございまして、四十五になりました。
国家の本質をめぐりましては、古来、多くの思想家たちが様々な見解を唱えてきました。このうち、私どもが国家の本質を考える上で参考になるのは、社会契約説と国家有機体説ではないかと思います。そこで、この二つの代表的な国家論を基に、国家とは何かを考えてみることにします。 まず、社会契約説ですが、この国家論の代表的な主張者は、言うまでもなく十七世紀の思想家ホッブスやロックです。
その著書「法の精神」で立憲主義、権力分立論を唱え、フランス革命やアメリカの独立にも大きな影響を与えたフランスの思想家モンテスキューの言葉です。後に、ナポレオンも、チャンスをもたらしてくれるのは冒険であると述べています。 そう、今、この日本に求められているのは新陳代謝、イノベーション、そして欠けているのは、それを実現するためのベンチャースピリット、冒険者精神ではないでしょうか。