2017-03-13 第193回国会 参議院 予算委員会 第11号
それは、「忠にはげみ」、「孝をつくし、」、まあ忠孝一致と言われていますけれども、天皇に対して忠誠を尽くせということ、そうしたものが我が国の国柄の精髄で、教育というのはまさにそういうものに基礎を置くというふうに言っております。
それは、「忠にはげみ」、「孝をつくし、」、まあ忠孝一致と言われていますけれども、天皇に対して忠誠を尽くせということ、そうしたものが我が国の国柄の精髄で、教育というのはまさにそういうものに基礎を置くというふうに言っております。
○稲葉分科員 そうすると、親に対して孝という言葉は、日本の伝統では忠孝一致ということがずっと叫ばれてきたわけですね。そうすると、親に孝であり、同時にそれは天皇に対する忠ということも日本人の間から押し流されてしまったのだ、こういうことに連結するのでしょうか。
それは、先ほど申し上げた「ひの神」の子孫である天皇とその氏子である国民との結びつきによって天皇をいただき、万世一系、君民一体、忠孝一致の日本の国、これこれが実現して日本が本来の日本に立ち帰ったときに初めてしずめられる、こう書いてある。私が今指摘したここも、やはり論争はしませんが、日本国憲法の精神と相いれるものか相反するものか、その点だけを簡潔に答えていただきたい。
これを解決する手段は、「「ひの神」天照大神を中心として氏神と氏子の結びと、天照大神の日継の皇子として天皇を戴き、万世一統、君民一体忠孝一致の日の本の国、」、そして、この思想が流れてくると、「先づ日本をして本来の日本ならしめよ」、これが本来の日本だ。今私が読み上げたような本来の日本にならなければ、東西二大陣営の国際紛争は解決できないと、こういう御名論です。なるほど用語がむずかしい。
神勅に基く皇国の道に則るものでありましたからして、ただ忠君愛国、忠孝一致、詔を承われば必ず謹しむというような、勅語であるが故に、これを拳々服膺する、この詔を承われば必ず謹しむというその精神でできていたのであります。それでありますから、民主政治の時代になりまして、主権は国民に存する自主的の民主国民の教育とは異らざるを得なかつたのであります。主権在民ということは、政治の源泉は国民にある。