2021-03-18 第204回国会 衆議院 経済産業委員会原子力問題調査特別委員会連合審査会 第1号
地元では、このトラブル隠し、二〇〇二年のが代表的ですけれども、この二〇〇二年のトラブル隠し以前から東電の企業体質は何も変わっていない、笑い事ではなく、本当に恐ろしいことだと、これは柏崎刈羽の原発に反対している地元三団体の共同代表の矢部忠夫さんがおっしゃっているんですが、笑い事じゃないんですね、本当に。 委員長にお聞きしますが、これは本当に、東電に原発を運転する資格がない、能力もない。
地元では、このトラブル隠し、二〇〇二年のが代表的ですけれども、この二〇〇二年のトラブル隠し以前から東電の企業体質は何も変わっていない、笑い事ではなく、本当に恐ろしいことだと、これは柏崎刈羽の原発に反対している地元三団体の共同代表の矢部忠夫さんがおっしゃっているんですが、笑い事じゃないんですね、本当に。 委員長にお聞きしますが、これは本当に、東電に原発を運転する資格がない、能力もない。
梅棹忠夫さん、文化人類学の大家でいらっしゃいますが、生態学の観点、社会学の観点で文明論を論じられた方です。 この方がおっしゃっていたのは、人間にとって科学というのは業だ、カルマだというふうに言っておりました。知能は性欲だと。つまり、知的探求というのは人類の根底の欲求であって、文明はその結果なんだと。
同時に、今、梅棹忠夫さんのお話もございました。私も、好きでSF映画等々をずっとよく見てきたんですが、概して政治家が悪者というストーリーが多いですよね。せっかく科学者が忠告しておるのに聞かなかったとか。だけれども、数少ない例として、やはり、科学者が暴走する、素人がそれをとめるというものもあるわけで、そこら辺はうまくバランスをとっていく必要があるんだろう。
私が高校一年のときか何かに梅棹忠夫先生の文章がたしか国語の教科書に載っておって、電子計算機というものができてきている、しかし、機械に人間が支配されたらおしまいだというのを感銘深く読んだ経験もありますので、これからまた先生といろいろ議論をさせていただきたいと思います。
これに日本のその当時の政府の首脳を始めとする方々が大変な一種の問題意識をお持ちになって、総理官邸に私的懇談会、といいましても、総理官邸で何回か会議を行われまして、私も末席を連ねて、特にテレビの面からの話をいたしましたけれども、その際に、一つの文化発信必要の哲学というので、これは確か梅棹忠夫先生がおっしゃったことだと思いますが、文化は最上の安全保障であるというお言葉がございまして、この梅棹さんの説をだれよりも
新潟大学の古厩忠夫先生、十年前に岩波新書を出されまして、「裏日本」という本でございます。裏があって表の発展があった、表裏一体だったと、表の発展のために、表の日本の近代化のためには裏の存在は不可欠であったと、こう言われています。
しかし、明らかにアジアと日本はいわゆる同じ文明の中には属さないという言い方をする人は、日本人の中でも例えば梅棹忠夫さんなんかはそういう言い方をしていますし、あるいはハンチントンなんかも日本文明の独自を言っています。私が親しくしている朝鮮半島問題専門家で古田博司というのがいるんですが、彼なんかはもう完全にそう言っています。
ちょっと、これに関連して麻生大臣にお伺いしたいんですが、もう随分古い論文でありますけれども、元国立博物館館長の梅棹忠夫先生が著した「文明の生態史観」というものをお読みでしょうか。また、ここに持っているのですが、最近ベストセラーになっております「国家の品格」、この二つの、一つは論文、一つは書物について、お読みになったかということと、それらの書物、論文に対してどのようなことを思っておられるか。
梅棹忠夫という京都大学の民族学、比較文明学の先生なんですけれども、「情報産業論」という論文を四十二年も前に書いているんです。そこで、情報の値段の決まり方というのは、普通の物、産業社会で生み出される製品、物の値段の決まり方と情報というものの値段の決まり方は全然違う、これはすごいということを四十二年前に指摘しまして、さっきも言った限界効用ゼロの話。
○齊藤参考人 齊藤忠夫と申します。 きょうは、衆議院総務委員会において、放送・通信に関連して意見を述べさせていただくということで、御礼申し上げたいと存じます。 私は、もともと、東京大学で通信工学を教えていたエンジニアでございます。
安正君 亀井 久興君 ………………………………… 総務大臣政務官 上川 陽子君 総務大臣政務官 桜井 郁三君 総務大臣政務官 古屋 範子君 参考人 (日本放送協会会長) 橋本 元一君 参考人 (社団法人日本民間放送連盟会長) 日枝 久君 参考人 (東京大学名誉教授) 齊藤 忠夫君
本日は、参考人として、日本放送協会会長橋本元一君、社団法人日本民間放送連盟会長日枝久君及び東京大学名誉教授齊藤忠夫君、以上三名の方々に御出席をいただいております。 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
四十年ぐらい前に梅棹忠夫さんという人が「文明の生態史観」という本を書いて、日本は極西の国だというわけですね。それはどういう文脈かは忘れましたけれども、まあ一種の文明論の世界からそういうことを言っているわけなんですけれども。
平成十七年八月五日(金曜日) 午前九時開議 出席委員 委員長 橘 康太郎君 理事 衛藤征士郎君 理事 萩山 教嚴君 理事 望月 義夫君 理事 山口 泰明君 理事 阿久津幸彦君 理事 金田 誠一君 理事 土肥 隆一君 理事 赤羽 一嘉君 岩崎 忠夫君 宇野 治君 江崎 鐵磨君 木村 隆秀君 河本 三郎君 佐藤
小林千代美君 樽井 良和君 辻 惠君 松野 信夫君 松本 大輔君 村越 祐民君 山花 郁夫君 江田 康幸君 富田 茂之君 ………………………………… 法務大臣 南野知惠子君 法務大臣政務官 富田 茂之君 外務大臣政務官 小野寺五典君 国土交通大臣政務官 岩崎 忠夫君
平成十七年七月二十七日(水曜日) 午後四時一分開議 出席委員 委員長 橘 康太郎君 理事 衛藤征士郎君 理事 望月 義夫君 理事 山口 泰明君 理事 阿久津幸彦君 理事 金田 誠一君 理事 土肥 隆一君 理事 赤羽 一嘉君 岩崎 忠夫君 宇野 治君 江崎 鐵磨君 加藤 勝信君 木村 隆秀君 木村 義雄君
平成十七年七月二十二日(金曜日) 午前九時二分開議 出席委員 委員長 橘 康太郎君 理事 衛藤征士郎君 理事 萩山 教嚴君 理事 望月 義夫君 理事 山口 泰明君 理事 阿久津幸彦君 理事 金田 誠一君 理事 土肥 隆一君 理事 赤羽 一嘉君 岩崎 忠夫君 江崎 鐵磨君 江藤 拓君 岡本 芳郎君 小西 理君
平成十七年七月八日(金曜日) 午前十時開議 出席委員 委員長 橘 康太郎君 理事 衛藤征士郎君 理事 萩山 教嚴君 理事 望月 義夫君 理事 山口 泰明君 理事 阿久津幸彦君 理事 金田 誠一君 理事 赤羽 一嘉君 岩崎 忠夫君 江崎 鐵磨君 木村 隆秀君 河本 三郎君 佐藤 勉君 佐藤 錬君
決するを可とする議員の氏名 安倍 晋三君 逢沢 一郎君 赤城 徳彦君 秋葉 賢也君 麻生 太郎君 甘利 明君 井上 喜一君 井上 信治君 伊藤 公介君 伊藤 信太郎君 伊藤 達也君 伊吹 文明君 石崎 岳君 石田 真敏君 石破 茂君 石原 伸晃君 稲葉 大和君 今井 宏君 今津 寛君 岩崎 忠夫君
平成十七年六月二十九日(水曜日) 午前八時三十分開議 出席委員 委員長 橘 康太郎君 理事 衛藤征士郎君 理事 萩山 教嚴君 理事 望月 義夫君 理事 山口 泰明君 理事 阿久津幸彦君 理事 金田 誠一君 理事 土肥 隆一君 理事 赤羽 一嘉君 岩崎 忠夫君 江崎 鐵磨君 江藤 拓君 木村 隆秀君 河本 三郎君
平成十七年六月二十八日(火曜日) 午後一時一分開議 出席委員 委員長 橘 康太郎君 理事 衛藤征士郎君 理事 萩山 教嚴君 理事 望月 義夫君 理事 山口 泰明君 理事 阿久津幸彦君 理事 金田 誠一君 理事 土肥 隆一君 理事 赤羽 一嘉君 石田 真敏君 岩崎 忠夫君 江崎 鐵磨君 岡本 芳郎君 奥野 信亮君
一雄君 環境大臣 小池百合子君 国務大臣 (内閣官房長官) 細田 博之君 国務大臣 (国家公安委員会委員長) (防災担当) 村田 吉隆君 国務大臣 (郵政民営化担当) 竹中 平蔵君 外務副大臣 逢沢 一郎君 財務副大臣 田野瀬良太郎君 国土交通大臣政務官 岩崎 忠夫君
晋三君 逢沢 一郎君 青山 丘君 赤城 徳彦君 秋葉 賢也君 麻生 太郎君 甘利 明君 井上 喜一君 井上 信治君 伊藤 公介君 伊藤 信太郎君 伊藤 達也君 伊吹 文明君 石崎 岳君 石田 真敏君 石破 茂君 石原 伸晃君 稲葉 大和君 今井 宏君 今津 寛君 今村 雅弘君 岩崎 忠夫君
晋三君 逢沢 一郎君 青山 丘君 赤城 徳彦君 秋葉 賢也君 麻生 太郎君 甘利 明君 井上 喜一君 井上 信治君 伊藤 公介君 伊藤 信太郎君 伊藤 達也君 伊吹 文明君 石崎 岳君 石田 真敏君 石破 茂君 石原 伸晃君 稲葉 大和君 今井 宏君 今津 寛君 今村 雅弘君 岩崎 忠夫君