1962-04-12 第40回国会 参議院 商工委員会 第20号
○国務大臣(藤山愛一郎君) お話のような点は、海外移住振興会社にあったわけでございまして、当時の事情から申しますと、海外移住振興会社の新しい移住地が、必ずしも南米でなくても、東南アジアなりあるいは中近東方面、特にあの当時は、イランからカスピ海の沿岸に日本の米作農業移民をするというような話もあったので、当時の大志摩社長が、東南アジアからあの辺を回られまして、そうしてその可能性を検討されておったわけです
○国務大臣(藤山愛一郎君) お話のような点は、海外移住振興会社にあったわけでございまして、当時の事情から申しますと、海外移住振興会社の新しい移住地が、必ずしも南米でなくても、東南アジアなりあるいは中近東方面、特にあの当時は、イランからカスピ海の沿岸に日本の米作農業移民をするというような話もあったので、当時の大志摩社長が、東南アジアからあの辺を回られまして、そうしてその可能性を検討されておったわけです
移住会社の大志摩社長が貴地訪問するについては、特段の御配慮と使命達成の援助を頼むという文書が出されておるということですから、これは私信の紹介状ではありません。それから思い出していただきたいと思いますが、帰りにイランからの帰途インドネシアに立ち寄った大志摩氏がジャカルタのインドネシア公使館から三千字にあまる長文の報告が、当時ラングーンに出張中の岸外務大臣に打電、報告されたといわれます。
従って大志摩社長が外務省の参与の資格で旅行し、外交旅券を持っていかれたことも妥当であります。大志摩社長の旅行は、私用ではなくて公用であり、移住に関するあらゆる範囲の報告があったんじゃないかと思います。今のクエートの問題は、詳しく知りませんが、移住は単に農業だけではなく、技術移住その他相当広い範囲に移住が考えられますから、必ずしもそれでもおかしいとは考えません。
また大志摩社長は、私実は高等学校時代の友人でございまして、親しいことは事実でございます。
それから賞与の二重取りというようなことが出ておりますが、これは前の初代の田中社長と大志摩社長とが交代いたしましたときに、前の社長に月割りで十六万円を差し上げて、あとの大志摩社長がたしか六万円でございましたか、月割りで出しておりますので、これも二重取りという事実はございません。大体以上でございます。