1991-09-25 第121回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第2号
大体、考えますと体で忍苦といいますか、そういうものに対する値上がりというものが余り上がらずに、例えば美容院の美容師さん、それから理髪店の理髪師、それから大工さんとか庭師さんとか、そういう方たちの工賃の上がる率よりも、食品に対するもの、それから住宅、土地に対するものの値上がりというものが随分上がりが大きいと思います。
大体、考えますと体で忍苦といいますか、そういうものに対する値上がりというものが余り上がらずに、例えば美容院の美容師さん、それから理髪店の理髪師、それから大工さんとか庭師さんとか、そういう方たちの工賃の上がる率よりも、食品に対するもの、それから住宅、土地に対するものの値上がりというものが随分上がりが大きいと思います。
「忍苦にならされた東北農民の低劣な労働条件につけ入って策を行わんとするがごときことは、むしろ東北農民をして植民地並みの取り扱いを強めこそすれ、それより農民の解放せんとする振興的意義を暢達するゆえんではない。」「資本家の独占利潤に奉仕せざるを得ないなら何もこうした国策会社の形態を最初からとらなければよかったのではないかと思う。」こういう結論まで出しているわけですね。
成田君、かくて、君の休息を知らぬ忍苦と精進の一生は、社会党の指導者として栄光に満ちたものであったが、日本における社会主義の躍進を記録するには、その道いまだ半ばにあったと言わなければなりません。しかし、人生の値打ちは、その人の手がけた事の成否によってのみ定まるものではなく、それに取り組んだその人の真剣さによるものであるといわれております。
原爆をたたきつけられて、その忍苦の中に、日本民族だけでなく、世界の悲劇を救おうという理念があの平和憲法の前文にも躍動しているんです。これが明治憲法に戻ったらどうです。統帥権の問題一つがあったばかりにでも、どうすることもできなかったじゃないですか。
いずれにしましても、この運用ということが、いままでのいろいろな法律を施行する段階におきまして非常に大事である、そしてその姿勢は、中小企業というものはエゴを言っているという、そういうことをもう一度お考え直していただいて、そして中小企業を、日本の産業というものは中小企業を基盤として今日まで世界列国が驚異的に見たほどの成長発展を遂げた、それはやはり中小企業が今日忍苦に耐え、そして大企業の下積みになって働いてきたんだと
言うまでもなく、この仲裁裁定の制度こそは、公企体労働者のスト禁止に対する見返り担保の機能を担うものであり、したがって、もしそれ、政府当局によってとの保障が一方的に否定されるならば、彼ら公企体労働者は、わけても忍苦に耐えて法秩序を守り抜いている鉄労、全郵政等同盟傘下の労働組合は、その労働基本権をいかに確保すべきでありましょうか。
ですから、過去十年前から、こういう被害で、現地では訴訟を起こしながら、またこの事故に対処するために相当な忍苦と、それから金子をかげながら一つ一つを処理しているというふうに見ることができるんです、この資料から見ましても。
この意義深い現実の前に、われわれは、さきの大戦以来、想像に絶する犠牲と苦難と忍苦に耐え、そして、それを乗り越えて今日までこられた沖繩百万の同胞、並びに、あるいは戦争に倒れ、あるいはその後、世を去られた数多くの先人の心情を察するとき、厳粛にして敬虔なる気持ちを持って、国をあげて沖繩の今後の発展と百万同胞の福祉向上のため、できる限りの力を尽くすべしとするものであります。
しかし、これは、沖繩県民のあの長い忍苦を考えると、当然新しいものを考えてしかるべきじゃないかと私は思うのであります。役人の小手先だけで内規、これをいじくり回したところで根本的な解決にならない、そう思いますがゆえに、私は、自衛隊と駐留軍との土地代の算定基準が違う、これは一体どうすればいいか、こう考えて、もう考え方ができておるだろうと思って、実は私はお聞きしたのであります。ところがこのていたらくだ。
(拍手) 四半世紀の長きにわたる沖繩県民の忍苦を思い、一刻も早く真の平和の生活を希求する心情を察する者は、どんな苦労を重ねても、できる限りの好条件をかちとってあげなければならないことは申すまでもありません。むずかしいといって投げてはいけません。相手があるからといって言いわけばかりしてはいけません。
私は、先ほど来申しますように、沖繩県民が戦時中また戦後を通じて多大の犠牲と非常な忍苦に耐えてきた、これを十分理解して、そうして国民もこれらの県民をあたたかく迎えるようにこの上とも努力すべきが当然だ、かように思いますので、ただいまのお話は御鞭撻をいただいたことについて感謝いたしますと同時に、この上ともよろしくお願いいたします。
ところが、私はどの系統にも属しない立場でものを考えますが、いろいろな要求についてもほとんどそういった養蚕家の苦労というもの、養蚕家の忍苦というのは全然あらわれていないのではないかと考えます。 御承知のとおり、繭をつくる仕事というのは、これは集中的な作業、しかも短時間で不眠不休の状態で繭の生産にかかっていっているわけです。
戦後二十三年、よく忍苦に耐えてくださった沖繩県民に対し、深く感謝申し上げたいと思います。(拍手) 申しわけない気持ちで一ぱいの私たちに、主席公選という民意の表明の機会を与えられたそのお答えが、私たちの推す革新陣営の屋良朝苗氏、その当選であったことであります。そして県民が沖繩の黎明を祝福しておること、まことに意義深いものがございます。
第七は、日本軍の命令に従って強制引き揚げを余儀なくされた旧島民が帰島し、その生活の再建をはかるために、これに必要な再建資金に関しては、特別の長期低利の融資を行ない得るよう特段の措置を講じ、引き揚げ旧島民の長期にわたる忍苦の生活にこたえるよう特に要望するものであります。
白米、自由も人権の尊厳も無視されて、この二十二年間忍苦の日々を送ってきたというのですけれども、しかし現在沖繩県民の諸君は、あれは戦争だったんだ、そうしてまた戦争の結末をつけるためだったんだ、だから本土一億の諸君の安全を確保するためにはこれはやむを得なかったこととして、いまことさらに本土を恨んでいるわけではないという。しかしながら問題はきょうのことなんでございます。
そこで私は、それは政治の公平を欠く、山間僻地には忍苦をしいる、これを救済する基本的な対策を立てないというところに今日私が取り上げた大きな原因があったのです。 新潟県における地すべりは、統計上から見ましても全国一であります。その件数においても、その面積においてもきわめて大きい。
しかも、それをこういう地帯の人々に忍苦をしいておるような忍苦主義の状態で対策を盛っておるということであれば、まことに遺憾な状態になると考えざるを得ない。 そこで、私はなかなかこれはむずかしいと思う。防止工事あるいは復旧工事等もなかなかむずかしいらしい。私は、技術屋でないのでわかりませんが、非常にむずかしいようであります。むずかしいようでありまするが、やはりやらなければならぬじゃないかと考える。
ことに、そういう山間僻陬の地に発生しがちなので、往々にして政府当局なるべくこれはまあ苦痛にたえるようにがまんしてもらおう、忍苦の対策、こういうようなものの考え方でおってはたいへんなのです。そういうことのないように。したがって、たとえば、 これまた、実際地すべり対策というものは、予想外の経費がかかるように聞きます。
多分村上局長が一切黙って忍苦に耐えておって何も返事をしなかったからでございましょう。 清水 かばうところはかばってもらいたい。 藤井 不当処分だ、撤回しろ。 前山 処分撤回について誠意ある回答を得られなかったので、明日継続交渉する。 竹内 業務の規制をする。残った仕事は局長の責任である。 竹内 誠意がない。余分のことまで書いてある。確認書に調印しろ。
従いまして、従来に比べて警察が手薄であるというようなことは決してないのでありますし、また、あのときの警察の活動状況をごらんになれば、挑発した、こういうような空気は全く私は見られなかったと思うので、第一線の警察官は、私どもとしましては、実に忍苦に忍苦を重ねて阻止を全うし、そうして職責を遂行することに努力をしたと考えておるのでございまして、警察側がこれを挑発して、誘導して構内に入れたというようなことは、
真に生命を捨てて戦い続けた十数年の間のこの人たちの忍苦にこたえるためには、もっと積極的に抜本的な政策をもってその士気を鼓舞して、日本国民のほんとうの大自然の中に戦っていくところの姿を形成するように、政府はもっと力強い政策をなすべきものであると私は考えますが、しかしながら、竿頭一歩を進めて、不満でありますけれども、一応ここで一段階としてのこうした方策をやられるということでありますので、賛成の意を表する