2019-04-03 第198回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第3号
そのヒントを、再び吉川先生の「日本の分断」という本の中にこのヒントを求めたいと思うんですけれども、吉川先生、現代日本のレッグス、いわゆる低学歴の若者たちの取っておきの長所として、努力主義のエートス、エートスって社会学の用語なんですけど、心性、メンタリティーというものを挙げているわけですね。 これ、大きな資産を持てるようになるかどうかは本人の努力次第だという努力主義のスコアですね。
そのヒントを、再び吉川先生の「日本の分断」という本の中にこのヒントを求めたいと思うんですけれども、吉川先生、現代日本のレッグス、いわゆる低学歴の若者たちの取っておきの長所として、努力主義のエートス、エートスって社会学の用語なんですけど、心性、メンタリティーというものを挙げているわけですね。 これ、大きな資産を持てるようになるかどうかは本人の努力次第だという努力主義のスコアですね。
それから、ちょっと話がかわるんですけれども、射幸性には、多幸性とかわくわく感を求める心の心性も含まれているというふうに思います。脳の中でこのような活動をつかさどっているのがいわゆる報酬系と言われている部位でございまして、近年、このような活動は主に脳の機能的MRIというのを使って研究されています。 ギャンブルにおいても、ギャンブルに勝ったときなど、この神経系が活性化されていることがわかっています。
アイヌの心性と、そして日本の心性を比較するというような単元でありますけれども、内容についての説明は省きますけれども、その文章の一部を読み上げさせていただきます。 日本人の心性を最もよく表現している物語は何か。僕はそれは「桃太郎」だと思う。あれは一方的な征伐の話だ。鬼は最初から鬼と規定されているのであって、桃太郎一族に害をなしたわけではない。
そういう青年たちを都会へ連れていって企業戦士として働かせるなどということはとても無理だから、彼らの心性に合ったような、そういうスローな働き口を何とかつくっていこうじゃないかというふうなことを話し合ったことがあるんです。
第六に、国の講習内容に対する統制や、これまで申し上げてきた、身分の不安定化、不安感、多忙化、自主的研修の減少、人事管理の厳格化といった状況の中で、教師のマインド、心性といったものの変化がさらに一層促される可能性があると私は考えています。端的に言えば、子供、保護者に対して直接に向き合う教師から、行政機関の末端としての教師への変化です。
そういった教師の心性とかマインドの変化というものに、今回の更新制はまた流れにさお差すような影響を及ぼすのではないかというのが私の考えです。 以上です。
○石井(郁)委員 もう一点、これも勝野参考人に伺いたいんですけれども、先ほどの意見陳述の中の最後に、教師の心性、マインドの変化を促進するんじゃないかということを言われまして、これは私も大変重要な問題と受けとめたものですから、最後にお聞きをしたいと思います。 今、教師に対してあるいは学校に対して、非常に保護者からの非難というか、いろいろあるということがありました。
こういう時代にあって、例えば教育の分野でも、日本的な文化とか伝統を重んじ、日本的心性というかそういうものを持った日本人をつくる、一方では国際的に競争し得るような日本人をつくる、こういうものがテーマになっているわけですけれども、農業においてもしかりではないかというふうに思うわけです。
常用障害がなぜ思春期に起こるかについて今ちょっと言ったわけですが、思春期に起こる常用障害というのは、思春期心性の一つの表現にすぎない。では、思春期心性というのは何かといったら、それは、親に対する依存とか親を理想化していくという考え方が自分の中で弱くなってきて、そこから離れよう、そして、そういうのを自我理想といいますが、新しい自我理想をつくっていこうという、モデルを求める時期です。
ですから、戦争はもう嫌だ、平和を希求したいという国民のエートス、心性というものが憲法第九条にはよくあらわれている、戦後の日本の国民の感情がよくあらわれているということが言えると思いますけれども、しかし、それではどこにも、自分の国を守る、国民を守る軍隊があるということは、憲法を見ている限りでは絶対わかりません。
私は、日本がこれから世界に誇るべきは、逆にこのような日本人のメンタリティー、それは西欧であれば消し去ってしまったかもしれない、この存在を守っていこうという心性にあるように思います。 知事には、重ねて今回の御経験をそのような方向に深めていただければと思います。 お時間の関係で終わります。
一般的に申しますと、思春期の心性というのは非常に不安定で動揺しやすいということが昔から言われておりますけれども、やはり心身の発達が非常にアンバランスになる子供がいるわけですね。そして、非同時性といいまして、知的な能力や体力は大人並みになるけれども、人間的な感情というのがまだ未熟なままにとどまる子供が多くて、そういう子供がたまたま重大な事件を起こすことが多い。
日本の歴史とか文化、日本人の心性にも合っている理念なんですが。この前のケルン・サミットにおける債務削減の論議で非常に残念だったのは、自助努力のためには円借款を出すべきであろう、円借款をやめたら自助努力がなくなるのじゃないかといったような議論が一部であったのが議論の方向をちょっとゆがめたのじゃないかという気がしております。
そういう心性というか、心のさががあるのではないか、それをつくってしまった歴史があるのではないかなと思うわけなんです。 裁判という言葉自体が使われたのが江戸の末期なんですね。それ以前には裁判という言葉が出てこないんです。
○参考人(高山憲之君) 住宅につきましては、日本人の心性といいますか特性によるところが大きいと思います。新し物好きなんですね。古代より日本はみそぎの精神といいますか、古いものをイギリス人のように愛着を込めてめでるという、そういうカルチャーがないんですね、伊勢神宮もああいう形で建てかえす国柄ですから。
これは大体心性が発達をしてきます十歳前後、大体中等教育のころから、実は歴史と地理、人間が過去どういう歴史で今日までたどってきたのかという縦の系列と、地理という、今日非常に狭くなりましたが、世界の広がりという横の軸を教える。さらに中学校では公民という教科があるわけでありますが、公民という人間社会の約束事というものを学習をしていくわけであります。
時間がありませんが、届け出数の信潟心性についてでありますが、ことしは六十万を割っておるようでありますが、しかし実際はこの二倍から三倍と言われております。実際はどうでしょうか。
それから高校に入学、進学戦争の圧迫で、それによって子供たちが非常に心性が動揺しておる、こういう書き方をしてあります。そこで東京私立中学高等学校協会の生活指導主任会では具体的方策を検討中ということが、これも週刊朝日に載っておるわけです。 そこでもう時間がございませんのではしょりますけれども、この問題で週刊朝日も取り上げ、週刊読売も取り上げ、それから週刊新潮もこれを取り上げております。
それは結局二十三年の春から二十三年中におけるところの情勢をごらんになれば、敗戦後のいろいろの施策の点から――むろんこれはその当時は日本が自立して、すなわち独自の政治をしておつた時代ではございませんが、しかしながらちようどドイツの亜心性のインフレーシヨンに向うと同じような形勢が、日本に現われておつたのです。
従いまして、品種の心性といたしましても、その育成上において葉いもちなりあるいは穂首いもちなり、あるいは節いもちなりの検定は一応しておりますが、それを土壌別に一体どうかというところまでは残念ながらやはりこれは経費と人というような関係から、手が伸びておりません。
筋道といたしましては、職務上の権限行使の独心性というものは、だんだん確立して来ているというふうに私ども考えておるのであります。