1969-07-04 第61回国会 衆議院 外務委員会 第31号
私の家内の証言によりまして、モスクワに行くのに生命、財産の危険はない、たとえ北極探険に行っても徳川義親公にお供をしてマラヤにトラ狩りに行っても、それは私の任意に選ぶ危険であって、政府がとめる危険は、ペスト、コレラの流行、その地方に広く内乱が発生した、そういうときに警告をして、そこに船が行くのをとめる、そういう場合に限られておるのであって、もっと危険なのは、当時は新宿裏のほうが危険でありましたから、うちの
私の家内の証言によりまして、モスクワに行くのに生命、財産の危険はない、たとえ北極探険に行っても徳川義親公にお供をしてマラヤにトラ狩りに行っても、それは私の任意に選ぶ危険であって、政府がとめる危険は、ペスト、コレラの流行、その地方に広く内乱が発生した、そういうときに警告をして、そこに船が行くのをとめる、そういう場合に限られておるのであって、もっと危険なのは、当時は新宿裏のほうが危険でありましたから、うちの
その証言には、さすがに外務省も困ってしまいまして、結局、外務省は私に、あぶない、あぶないと言いますけれども、あぶないならば、徳川義親公がマレーにトラ狩りに行ったときに、パスポートを出したのはなぜであるか。生命、財産に危険があるならば、北極探険にも行けないではないか。アルプスの雪山に登ることも控えたほうがいいということになるではないか。
○勝澤委員 この役員は、理事長が山下春江、理事が早川慎一、早川徳次、細川隆元、徳川義親、竹中錬一、塚田十一郎、松田正雄、南喜一、足立正、安西浩、水野成夫、鈴木一郎助、藤本敏文、それから監事が、白井規矩稚、大泉善一郎、こういうようになっておりますが、大体役員はそうですか。
○政府委員(吉村清英君) これは資料の「その二」をごらんいただきまして、その九ページをごらんをいただきますと、ここにそれぞれ出ておりますが、上のほうから、大日本猟友会会長の徳川義親さん、それから狩猟研究家の大森誠さん、それから元日本クレー射撃協会会長の植月浅雄さん、それから全日本狩猟倶楽部会長の赤尾好夫さん、以上四人でございます。
という結論のもとに、徳川義親、衆議院議員辻寛一、愛知県知事桑原幹根、愛知県会議長、市会議長、名古屋商工会議所会頭、名古屋鉄道株式会社社長、中部日本新聞社会長、名古屋工業研究所長、愛知県商工館長、名古屋商科大学教養部長、少くとも名古屋における財界、政界、知名の士が、田中理事長の良識ある善処を求めておられる、こういっております。
その当時の農林省ではやはり機械開墾をやろうというので委託をしたときに、あそこには徳川義親氏の名前をかりた団体が行って荒し回ったところなんです。機械農業ということについては非常にあの辺では苦汁をなめている。金は取ったけれども、あと残ったのをずっとやっていってしまったところなんです。
たれかの援助を仰がなければならないというようなことで、とつおいつ考えておりましたときに、私ども学生時代から非常に恩顧を蒙つておつた徳川義親さんに私はこの問題を打明けるべくお目にかかつたのであります。