2019-03-28 第198回国会 参議院 内閣委員会 第6号
水戸藩の九代藩主でありました徳川斉昭公、偕楽園、弘道館をつくられた人ですが、最も好んで使った言葉、備えあれば憂いなしという言葉だったそうです。
水戸藩の九代藩主でありました徳川斉昭公、偕楽園、弘道館をつくられた人ですが、最も好んで使った言葉、備えあれば憂いなしという言葉だったそうです。
水戸藩の九代藩主の徳川斉昭公、偕楽園や弘道館を造られた方ですが、最も好んで使った言葉は、備えあれば憂いなしという言葉だったそうです。まさに、どんな状況に遭遇しても柔軟な対応ができる、資質を高める、魅力を高めていく。備えをするというのはとても大事なことだろうと、私はそう思っていますので、是非お願いをしたいと思っています。 今回の震災で多くの方々が住むところを失いました。
正に、天災は忘れたころにやってくるという言葉がありますけれども、水戸の弘道館や偕楽園を造った徳川斉昭公、七百年近く続いた武家政治に最後のカーテンを引いた人は徳川慶喜公であります。その慶喜公のお父様でありますけれども、この斉昭公が最も好んで使った言葉は備えあれば憂いなしという言葉でありました。
そこで、幕末に至り、ペリーの艦隊が来航した際、薩摩の島津斉彬が提案し、水戸の徳川斉昭に協力を得て、安政年間、当時の政府である江戸幕府は、白地に日の丸旗を日本総船印、御国総標というふうに定めました。 これが、単に船の旗ではなくて、当時から日本を代表する国旗だと認識され、現に機能しておりました。
大河ドラマで登場する水戸藩主徳川斉昭は、日本一の藩校弘道館を開校しました。その弘道館において吉田松陰が尊敬しました会沢正志斎総裁のもとで、徳川慶喜は先見性、実践性、国家的視野を重視する水戸学の真髄を学んだのであります。 今、第三の国難の時代と言われておりますが、総理、進むも引くもあなた御自身の選択であります。
開国をすると、いわゆるアジアと同じように、軍事力に差がありますから、日本は占領されてしまうだろう、したがって尊皇攘夷だ、絶対に入れちゃいかぬという徳川斉昭の考え方も一つの考えだったんですね。長崎で一戦を交えたら、完全に火力が違いますからバンザイをした。 開国をして、まず最初に始めたのが経済力の立ち上げと軍備力の増強ですよ。そうじゃないと日本は守れないということで、富国強兵策に転じました。
例えば幕末時代に水戸の徳川斉昭、九代の藩主でございますが、尊皇攘夷の急先鋒のように言われておりますが、水戸史料の「出交易論」という本によれば、唯一の開港論者であった。
当時藤田東湖はこの幕末の水戸学派の中心人物でありますが、徳川斉昭に仕えた藤田東湖でありますが、彼は神武紀元を二千五百二年前であるということを言っておるのです。それは当時何も歴史学が別に発達しておるわけではないから、ただかれは自分の何と申しますか、独断的な成論からわが国の建国は二千五百年前であるということを言っておるのであります。しかし藤田東湖の言っておることは、何ら科学的根拠のあるものではない。