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8件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2011-04-14 第177回国会 参議院 内閣委員会 第4号

水戸藩の九代藩主徳川斉昭公、偕楽園弘道館を造られた方ですが、最も好んで使った言葉は、備えあれば憂いなしという言葉だったそうです。まさに、どんな状況に遭遇しても柔軟な対応ができる、資質を高める、魅力を高めていく。備えをするというのはとても大事なことだろうと、私はそう思っていますので、是非お願いをしたいと思っています。  今回の震災で多くの方々が住むところを失いました。

岡田広

2005-03-10 第162回国会 参議院 国土交通委員会 第3号

正に、天災は忘れたころにやってくるという言葉がありますけれども、水戸弘道館偕楽園を造った徳川斉昭公、七百年近く続いた武家政治に最後のカーテンを引いた人は徳川慶喜公であります。その慶喜公のお父様でありますけれども、この斉昭公が最も好んで使った言葉は備えあれば憂いなしという言葉でありました。

岡田広

1999-07-16 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

そこで、幕末に至り、ペリーの艦隊が来航した際、薩摩の島津斉彬が提案し、水戸徳川斉昭に協力を得て、安政年間、当時の政府である江戸幕府は、白地に日の丸旗日本船印、御国総標というふうに定めました。  これが、単に船の旗ではなくて、当時から日本を代表する国旗だと認識され、現に機能しておりました。  

所功

1998-04-22 第142回国会 参議院 本会議 第22号

大河ドラマで登場する水戸藩主徳川斉昭は、日本一の藩校弘道館を開校しました。その弘道館において吉田松陰が尊敬しました会沢正志斎総裁のもとで、徳川慶喜先見性実践性国家的視野を重視する水戸学の真髄を学んだのであります。  今、第三の国難の時代と言われておりますが、総理、進むも引くもあなた御自身の選択であります。

小林元

1997-03-03 第140回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

開国をすると、いわゆるアジアと同じように、軍事力に差がありますから、日本は占領されてしまうだろう、したがって尊皇攘夷だ、絶対に入れちゃいかぬという徳川斉昭の考え方も一つの考えだったんですね。長崎で一戦を交えたら、完全に火力が違いますからバンザイをした。  開国をして、まず最初に始めたのが経済力立ち上げ軍備力の増強ですよ。そうじゃないと日本は守れないということで、富国強兵策に転じました。

大畠章宏

1958-04-23 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第33号

当時藤田東湖はこの幕末水戸学派中心人物でありますが、徳川斉昭に仕えた藤田東湖でありますが、彼は神武紀元を二千五百二年前であるということを言っておるのです。それは当時何も歴史学が別に発達しておるわけではないから、ただかれは自分の何と申しますか、独断的な成論からわが国の建国は二千五百年前であるということを言っておるのであります。しかし藤田東湖の言っておることは、何ら科学的根拠のあるものではない。

稻村隆一

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