1994-10-26 第131回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第3号
我が国社会の、徳川封建幕府以来差別されてきたという社会的な一つの立場というか身分というか、そういう少数者の問題であります。 そのことと、我が国多数者がみんなして運営しておる我が国経済の構造と非常に深くかかわっておるということで、同和対策審議会の答申は経済の二重構造ということを言っておるんです。
我が国社会の、徳川封建幕府以来差別されてきたという社会的な一つの立場というか身分というか、そういう少数者の問題であります。 そのことと、我が国多数者がみんなして運営しておる我が国経済の構造と非常に深くかかわっておるということで、同和対策審議会の答申は経済の二重構造ということを言っておるんです。
徳川封建幕府以来差別され続けた六千部落 のうち、四千六百三部落は平等であれと言っておるのじゃないんですね。すべて国民は、法のもとに平等である。しかもそこに、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」こうなっていますね。「すべて国民は、」ですよ。
もうこれは大変な国益の問題ですからね 同和対策の事業を組むと言うたら、国益でなくて、日本の国の徳川封建幕府以来ひこじっておる差別の問題を解決してやるんだという気持ちが起きるかもわからぬけれども、これは国益の問題なんですからね。そういう観点で考えていただきたい。 そして、もう余り時間がないから、さらに私の言いたいことを申し上げておきます。
それで、そこのところのやりとりで余り長くやってもいけませんから申し上げたいと思いますが、例えば我が国の徳川封建幕府以来、士農工商穢多非人というあの六階制の身分差別の仕組みの中で生まれてきた、それは先ほど政務次官が言われたように親を選ぶ権利はなかった、だから生まれてきても、わしがなぜこんなところに生まれてきたかといって文句を言うこともできなかった。
それにしても、一つの社会的な、徳川封建幕府以来の引き続いた社会の仕組み、便宜上残存物と言ってもいいですよ、今厳密に、社会科学的に議論するんじゃないから。私は残存物とは思ってないけれども。だから、社会の仕組みの延長線上の問題ですよ。その社会の仕組みの延長線上にあって、そういう格差があるということはどうやって解決するのですか。
部落差別というものは、全く社会の経済的な動きと関係なしに、いわば徳川封建幕府の時代の封建的感覚の残滓というような単純な見方をしてはいけない、こう思っておるわけで、これは部落問題のみならず人間の関係をどのように合理的にしていくかということがすなわち民主主義を追求する道でありますから、そういう意味で、きょうは全体の質問の流れというものがそんな考え方で尋ねておるわけでございますので、それをひとつ念頭に置いて
そういう観点に立ちまして、総務庁及び人権擁護局の方に再度お尋ねをしたいと思いますが、大まかに言いまして、どうも総務庁と法務省は、同和行政に関してはもう大方のものは済んだのだ、時代は新しい社会的な中身を加味しながら、徳川封建幕府以来の差別というものが最大限に使われながら社会経済は動いておるわけでありますが、もう大方済んだのだ、こういうふうな感覚のようでありまして、しばしばそこは意見の対立するところなのであります
そして、ここは総務庁長官に来ていただいている場所ではありませんから、先ほどちょろちょろと私は同和問題に触れさせていただきましたが、先ほど出しました神林村なんかは、裁判所が制度の適用をしなさいと言っておるのにいまだにしてないということと、労働大臣にも経済企画庁長官にもこのことをわかっておいていただきたいと思いますけれども、今全国におよそ六千部落、徳川封建幕府以来差別され続けてきた部落が存在すると言われておりますが
それで、くどいようですけれども、私が言いたいのは、そういうルーズな我が国の経済の仕組みの最底辺に徳川封建幕府以来四百年間の部落差別があるのですよ。
○小森委員 これは大臣にお尋ねをいたしますが、我が国における徳川封建幕府以来のこの差別は、全体として解決しなければ部分的に解決しても国民の意識を払拭することはできないと思うし、またその差別に苦しむ者の立場がいわゆる人間的に解放されるとも思いませんが、先ほどの話では、民間運動団体が言われておることは承知しておるけれども政府とすればよく知らないというようなことでこの問題の解決ができるとお思いですか。
徳川封建幕府以来差別され続けてきておる、そういう立場、そういう運命に生まれ合わせた者とすれば、こんなルーズなことをやってもらっては困る。そして一方では、いややり過ぎだ、とり過ぎだというような意見も出てくるわけでしょう、こんなことをやると。どうしてこんなに小刻みになるのか。ある人がいみじくもこの間ある委員会で言いましたね。こんなことは政府が意地悪しているのじゃないか、これは政府の意地悪ではないか。
しかし、この今私が申し上げておりますポイントというのは、現に差別を受けておる者が自分の住環境について、あお、これは徳川封建幕府以来の差別が起因してこんなことになっているな、あるいは明治以後の政府がそのことについて何にも手をつけていなかったからこんなことになっているなというところの、いわば地域の状況の分析力、その分析力というものは、一番その根底にあるものは、我も人なりという、この世の中に人間として生まれてきたという
手を挙げるというのはなかなか議員の皆さん方におわかりにくいかもわかりませんけれども、自分の地域が徳川封建幕府以来四百年間差別され続けてきたいわゆる被差別部落なのです、よって我々は、本当はそれを今までずっと隠してきておったけれども、隠したところで世間はみんな知っておる、だから、問題は明らかにしてその差別の根本的要因を取り除かなければいつまでたってもこの問題の解決はできない、こういういわゆる自覚に到達した
だからこれは、政府あるいは県、市町村が先回りをして、運動側も一生懸命やっているけれども、寝た子を起こすなというふうな考え方では最終的には物は片はつかないのだから、同対審答申にもそう書いてあるんだから、みんなで運動と名がつくほど組織的でなくともよいが取り組みをやろうじゃないか、そして、この時期にやるべきことをやって、徳川封建幕府以来四百年の封建的な問題を解決して、真に近代国家としてふさわしい状況に持っていこうじゃないか
そのときに、私が書記長になってから解放同盟の運動方針の中に人間疎外という言葉を使い、しかもその人間疎外というのを自己疎外というところまで広げて使っておるわけでありますが、考えてみると、徳川封建幕府以来四百年間にわたって我々の先祖は、しかも今日も、いろいろな現象においてよくその本質を見きわめてみると、人間疎外を受けておる。
私らは、確かに徳川封建幕府以来抑圧されてきた。だから問題を解決したい。しかし、問題を解決したいが、個々人、能力のある者は、うまく自分だけ一生涯何とか生きていく道ぐらいは探す力を持っておるんですよ。助けてくれというのじゃないんですよ。
徳川封建幕府以来差別され続けてきた者が、よほど社会的に、近代社会の市民として成熟しない限り、私は差別されておりますと言えますか。成熟してこないから運動というものを盛り上げて、その気持ちにみんな意識を統一して、当面不利に見えても部落問題を社会的に明らかにして、政府に要求すべきことは要求し、国民の協力を得なければならぬことは協力を得なければならぬということになるのが、人間の成熟度の問題でしょう。
これは明治百年を期に我々が政府と談判をして、そして戸籍の問題については、そういうものは全部封印して法務省の書庫に入れてしまう、こういうことになったのでありまして、片方でよいことを言うても、片方で物事が進まなかったら、それは我々のように徳川封建幕府以来四百年間歴代差別に苦しんできて今もなお、私自身もそうであるが、親兄弟がさまざまな差別を受けておる者の立場からすれば、そういう考え方を持つのは当然でしょう
そこで、今日我が国社会の差別の状況というのは、例えば郵政省にかかわることでは、電波監理の問題で我々がいろいろ議論をさせてもらっておるわけでございますが、パケット通信、弁護士が戸籍など請求するときの用紙を横流しする、それは弁護士だけでなくて、司法書士、行政書士、それは興信所が使って徹底的に身元調査をして、徳川封建幕府以来差別を受けてきた者の身元を調査して結婚や就職のときの妨害する立場からの材料にする、
○小森分科員 お互いの理解を深めるためにお尋ねをするのでありますが、差別というこの差別の感情とか、大きく言えば思想、それは徳川封建幕府の時代あるいは明治初年から末期、大正、こういうふうにずっと時代が進んでいっておりますが、その時代の進展とともに解決の方向に向かっておると思われますか、お考えを聞きたいと思います。
そこで、そのこととさらに関係をするわけでありますが、御承知のとおり、この零細な企業というのは、同和対策審議会答申の中に書いてありますように、徳川封建幕府以来歴史的、社会的な事由で差別を受けておる者がやっと立ち上がって、零細企業にしがみついて、努力をして、骨身を削って何とかやっておるのでありますが、俗に言われる中小企業の中のもう一つ底辺を支える零細企業のところに被差別部落の企業者が多いわけですね。
それは徳川封建幕府の時代からそういうふうにやってきて、明治以後もそうなんです。そのことに今大臣がおっしゃるように差別的なことはしていない、自分がやらなかったら差別的なことをしていない、普通はこう思いますわな。しかし、客観的に存在している差別の事実を今日の近代的な行政の施策の中でどう解決するかということが問題なんですよね。