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34件の議事録が該当しました。

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2004-11-10 第161回国会 参議院 本会議 第5号

昭和三十年六月、森永乳業徳島工場で製造された粉ミルクの中に砒素が混入しました。その結果、当時の厚生省の発表でも一万二千百三十一名もの赤ちゃんが砒素中毒にかかり、そのうち百三十名が亡くなりました。  ところが、森永陳情を受けて厚生省が設置したいわゆる五人委員会は、約半年後の十二月十五日に補償金額を死者は二十五万円、患者は一万円と決定し、森永はこれを盾にして被害者救済を拒み続けました。  

前川清成

1993-10-29 第128回国会 衆議院 労働委員会 第2号

その徳島工場で、十月末でですか、全員解雇という問題が出てきているわけなんです。聞いてみたら、四月から六月ごろでしたでしょうか、雇用調整助成金が支給されている工場なんです。雇用調整助成金というのは、ずっと引き続き雇用ができるようにという立場からお金を出して面倒を見てきている。中小企業と大企業の支給の仕方は違うけれども、面倒を見てきている。  

寺前巖

1993-10-29 第128回国会 衆議院 労働委員会 第2号

七瀬政府委員 三立電機は、昭和四十二年に徳島工場を設置いたしまして、同工場でただいま御指摘のあった企業関連企業として、CDラジカセなどを製造してきたわけでございますが、現下の経済情勢のもとで、元請会社発注停止による工場閉鎖問題をめぐって関係者間の話し合いが行われているというふうに承知いたしております。  

七瀬時雄

1993-10-26 第128回国会 衆議院 商工委員会 第3号

私、三立電機徳島工場に行ってきました。仕事はもちろんですが、技術設計から材料から主要設備計器類、すべて三洋電機からの貸与ですね。新機種の生産に当たっては必ず三洋から技術指導を受ける。ですから文字どおり、確かに会社としては一応三洋でない形になりますが、完全に三洋の一ライン組み立てラインそのものなんですね。

吉井英勝

1993-10-26 第128回国会 衆議院 商工委員会 第3号

私はそこで、少し具体的な実例に基づいて次に伺っていきたいのですが、三洋電機の子会社で三立電機というのがありますが、ここの徳島工場ことしの春まではパート、下請の方を含めて、関連従業員約五百人というところでした。現在は従業員百六十八人で、CDラジカセ組み立て工場があるのですが、三洋電機がこの十月末で発注を打ち切るということで、工場閉鎖の危機に見舞われております。

吉井英勝

1976-05-18 第77回国会 衆議院 社会労働委員会 第11号

島本委員 そうすると、いままで実際行われていた行政の中では、この産業廃棄物に対する実態の把握が不十分であった、それからこの有害物質としての基準の強化ということに対しても不十分であった、こういうようなことからして、あの六価クロムによる被害はいまでもまだ続いておりますが、最も悲惨なのは、北海道栗山町から日本電工徳島県の阿南市の徳島工場へ全部移った、それらの人がほとんど鼻中隔せん孔になっていて、そういうような

島本虎三

1976-05-18 第77回国会 衆議院 社会労働委員会 第11号

それから、現在生産されておりますのは日本電工徳島工場日本化工徳山工場でございます。それらにつきましてはもちろん現行の廃棄物処理法の政令で定めております厳しい基準に従いまして無害化処理をした上で、周辺の環境を汚染することのないような構造の埋立地に安全に処分しておるというのが現状でございます。     〔委員長退席、竹内(黎)委員長代理着席

西村純幸

1976-05-11 第77回国会 参議院 社会労働委員会 第3号

ちょうど私の町の中に日本電工徳島工場がございまして、廃棄物処理について数多い私の村の人たち陳情を受けてまいりました。国会がこのような形でまともに議論ができないまま、調査の案件がいろいろとできないままで過ぎてきたということで、非常に内心じくじたるものがある、こういうようなものであります。

片山甚市

1976-05-11 第77回国会 衆議院 社会労働委員会 第6号

全部これは北海道栗山から百三十五人の人が徳島県の阿南徳島工場の方へ移されましたね。そして優良な設備のもとにやっていれば何でもないということだったけれども、あにはからんや、ほとんどの人が鼻中隔せん孔になっていましたね。そして、そういうような工場の中には、労働基準局長の優秀だという賞状が張られていましたね。行政というのはこういうものなんです。労働者被害を受け、そしてもう死人まで出している。

島本虎三

1975-11-19 第76回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第2号

これが本年の八月以降大変大きな問題として各方面で論議を呼んだわけでございますが、これはかなり古くから重クロム酸ソーダ等の六価クロム化合物を製造しておる工場がございまして、現時点では日本電工徳島工場、日本化学工業徳山工場、この二工場でしか生産されておりませんが、それ以前にはほかの場所で他の工場生産をしておりました。

堀川春彦

1975-11-18 第76回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第3号

またその高等学校の生徒がどの地域に住んでいるかということも問題があるかと思いますし、ただいま御指摘ございましたように、当委員会でも御視察になりました日本電工工場との位置的な関係というものも考えなければいけないと思いますし、また、それが直ちに日本電工徳島工場から排出されたクロムによります大気汚染の結果というふうにも、因果関係というものを明らかにするのは、現在の段階では非常に困難ではないかというふうに

野津聖

1975-11-11 第76回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第2号

私は一つ一つ、これはどうなっている、これはどうなっているということを聞いてもいいが、たとえば日信化学武生工場で働いていた人、あるいはまた東亜合成徳島工場で働いていらっしゃった方、しかも、これは作業員三人が、四十七年六月に塩ビモノマーのガスを吸って倒れておる。こういうような事件があっても、その後の追跡調査あるいはそういったことが本省の方で全然わかっていないわけですよ。

岡本富夫

1975-11-11 第76回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第2号

また日本電工徳島工場では、四十五年に事故を起こして、付近住民が大量のクロムを吸い込み、人体被害を起こした。このことは、この委員会でも話がありました。こうしたクロムあるいは塩ビモノマーによる大気汚染について、現在の大気汚染防止法で規制が可能かどうかということを伺いたいのです。

米原昶

1975-09-09 第75回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第21号

それで、今度は松田信日本電工社長参考意見を伺いますが、栗山工場は四十七年に事実上一〇〇%出資の電工興産に移管され、すべて、この機能は徳島工場の方へ移り、百四名も一緒に移った、こうなっておるのですが、肺がん発生昭和三十七年から出ておりますが、四十七年まで十年間、当時からすでにこういうような肺がん発生がありましたけれども、また鼻中隔せん孔も出ておりますけれども、こうわかったままに徳島工場へ移転

島本虎三

1975-09-09 第75回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第21号

○田中(覚)委員 時間がございませんので、次の問題に入りたいと思いますが、日本化工徳山工場日本電工徳島工場は、日本クロム製品を集中的に生産をしておられるわけでありますが、この両工場については、労災上も、そしてまた公害環境的見地から見ても、全然、問題のない工場である、こういうふうに受けとめてよろしゅうございますか。

田中覚

1975-09-09 第75回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第21号

この徳島工場設備については、これは社長の方から出された資料ですけれども、これによりますと、世界的技術水準設備を設置しており、作業環境についても十分な整備に努めております。さらに緑化、環境改善等地域社会等に云々と、ずっと書いておりますが、世界的な完全な十分なる設備、これを完備してある、こういうようになっているのであります。

島本虎三

1974-05-24 第72回国会 衆議院 大蔵委員会 第34号

東亜合成徳島工場、南海化学土佐工場大阪曹達松山工場東亜合成坂出工場日本電工徳島工場、東洋電化神戸製鋼高知工場東京製鉄高知工場土佐電気製鋼宇治電気化学、三菱化成、住友鉱山佐連工場大王製紙川之江工場東洋テックス高松工場丸善石油松山工場日本セメント土佐工場大阪セメント高知工場、以上でございます。

岸田文武

1973-06-28 第71回国会 参議院 運輸委員会、地方行政委員会、公害対策及び環境保全特別委員会連合審査会 第2号

それからもう一つ、同じく東亜合成化学工業徳島工場——この坂出徳島いずれも電解法によります苛性ソーダを製造いたしておりますが、二十九日に漁民の決起大会がある予定でございまして、その場合の混乱を避けるという意味合いにおきまして、二十九日の午前十時から三十日の午前十時まで二十四時間操業を停止するということを会社のほうできめております。

齋藤太一

1972-04-06 第68回国会 衆議院 社会労働委員会 第13号

この事件は同年の六月ごろより発生していたものと思われますが、岡山大学医学部究明によりまして、原因森永乳業徳島工場で製せられましたドライミルクであるというふうに判明いたしまして、その結果に基づきまして厚生省がこの事件を県より報告を受けたのが八月二十四日、こういうことでございます。  

浦田純一

1971-08-26 第66回国会 参議院 公害対策特別委員会 閉会後第1号

それで海洋投棄しておるわけですが、現在、三井東圧の名古屋、泉北工場、それから信越化学直江津工場、あるいは東亜合成徳島工場、旭ペンケミカル千葉工場山陽モノマー水島工場日産石油化学千葉工場等は海洋投棄しておるわけですが、これはどこに海洋投棄しておるのか、おわかりでしょうか。また、こういう毒物海洋汚染防止法ができるまでほおっておいていいのかどうか、この点お聞きしたいと思うのです。  

内田善利

1969-07-10 第61回国会 参議院 大蔵委員会 第28号

問題をしぼってお伺いしたいと思うのですが、それは、工場事業所統廃合等の問題でありますけれども、この「中期計画」の内容を見ますると、「拡充計画」の(2)でありますが、「新工場の建設」、これは、函館工場盛岡工場金沢工場臼杵工場、それから高松徳島工場――これは合併、新工場設置ということになるのだと思いますが、それから新東京工場北関東工場、大体こういうものが一応予定されておるようでありますね。

戸田菊雄

1968-11-29 第59回国会 参議院 決算委員会 閉会後第7号

当然衛生当局者等によりまして原因究明が進められたわけでありますが、約二カ月後の八月二十日に岡山大学死亡児の解剖結果、砒素中毒によるものということが判明いたし、さらに三日後に森永乳業徳島工場製の粉ミルクから砒素化合物が検出されまして、中毒原因毒物被害との結びつきが明らかになりましたので、またしかも衛生当局の告発も当然予測されましたので、八月二十九日に強制捜査を行なっております。

小野島嗣男

1957-06-07 第26回国会 衆議院 農林水産委員会 第49号

恩田説明員 この一番初めの福島県の研究所の分でございますが、MNというのが——MFというのが前に徳島工場でありましたが、MNというのが福島工場の記号になっております。その次の七というのは、五七年の七になっておるわけでありまして、次の二というのは二月、二一と申しますのが二十一日、それからAというのは、一回、二回、三回と分けて作ります場合の一回目の製品、こういうことでございます。

恩田博

1957-06-07 第26回国会 衆議院 農林水産委員会 第49号

だから単なる不良品程度のものではないわけなのですから、こういう点に対してはかっての森永徳島工場における粉乳事件という事例もあるのだから、厚生省としては、もう少し積極的に責任のある行動が必要だったと思うのです。部長は就任早々だというお話ですが、この点に対しては、その後の経過等に対してもう少し具体的な説明をお願いしたい。

芳賀貢

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