2011-07-13 第177回国会 衆議院 財務金融委員会 第27号
○竹内委員 戦後の間もない復金インフレの場合は供給サイドの問題があったということで、戦前の高橋インフレのときは需要サイドの不足だったというふうに私は思っておるんです。そういう違いはあるけれども、しかし、インフレの怖さというのは非常に我々としてはよく認識をしておかなければいけない事例だというふうに思っています。 次に、今度は最近の世界経済の動向からお話を進めたいんです。
○竹内委員 戦後の間もない復金インフレの場合は供給サイドの問題があったということで、戦前の高橋インフレのときは需要サイドの不足だったというふうに私は思っておるんです。そういう違いはあるけれども、しかし、インフレの怖さというのは非常に我々としてはよく認識をしておかなければいけない事例だというふうに思っています。 次に、今度は最近の世界経済の動向からお話を進めたいんです。
復興金融公庫の債券が引き金となって生じましたいわゆる復金インフレにつきましては、今先生御指摘のとおりでありますけれども、日本銀行としてもこの件に関しまして大変関心を持っておりまして、私どもとして評価を申し上げたいと思います。
○与謝野国務大臣 政投銀の歴史は、戦後の復金から始まって日本開発銀行。日本開発銀行は、どちらかというと、電力とか鉄鋼とか、基幹的な部分に融資をするという業務を担ってまいりました。
最初は復金とかなんとかというような格好でやりました。見返り資金なんかありましたが、だんだんだんだん郵貯中心の形になってきましたので、財投資金というものをどうするかというのは国会でもいろいろ御議論があって、国会にもいろんな形での御報告を申し上げて御審議をいただくような格好になってきております。 そういった意味で、取り扱いとしては一体どうしていくのか。
○説明員(桝原勝美君) ただいまの御質問でございますが、ガリオアというよりも復金の貸付金の延滞利息の問題だと承知してお答えしたいと思いますが、この点につきましては、和泉委員すでに御案内のとおり、この発生につきましては債務者との貸付約款の中の特約条項によって発生したものでございますし、またその管理につきましては、ただいま御説明のありました管理要領によりまして適正を期しておるわけでありますが、ただそれぞれ
また、もう一つの復金関係の貸付金の問題点といたしましては、すでに相当時日を経過いたしておりますので、債務者の死亡でございますとか、あるいは老齢化というような回収上の困難な問題点が残っております。 以上でございます。
まず、国土庁にお尋ねをいたしますが、昭和二十八年の十二月二十五日、奄美大島が日本に復帰した際、アメリカから日本に承継債権として移譲されたガリオア復金の回収状況と、問題点があるとすればどういう問題点が現時点において残されておるか、その点を御説明を願いたいと思います。
次に、日本開発銀行から当公庫が承継いたしました復金承継債権等につきましては、回収促進に努力いたしました結果、二百八十八万円余の回収を行い、昭和四十八年度末残高は、八百五十九万円余となり、当初承継しました百十九億八千八十三万円余の九九・九%を整理いたしたことになります。
次に、日本開発銀行から当公庫が承継いたしました復金承継債権等につきましては、回収促進に努力いたしました結果六百九十八万円余の回収を行い、昭和四十七年度末残高は一千百四十八万円余となり、当初承継しました百十九億八千八十三万円余の九九・九%を整理いたしたことになります。
そのほか復金の貸付金につきましては鋭意回収に努力いたしまして八五%ばかり回収しておるわけでございますが、それ以外のものにつきましては、居所不明であったりいたしまして回収不能のものも相当額あるわけでございます。こういったものにつきまして、いつけりをつけるかということでございますが、こういったものを原資といたしまして振興開発基金というものができておるわけでございます。
次に、日本開発銀行から当公庫が承継いたしました復金承継債権等につきましては、回収促進に努力いたしました結果、一千三百七十三万円余の回収を行ない、昭和四十六年度末残高は一千八百四十六万円余となり、当初承継いたしました百十九億八千八十三万円余の九九・八%を整理いたしたことになります。
前回この国会審議におきまして御説明した際の、開銀の復金承継分の石炭貸し付けの残高は四十八億円でございます。三十七年首からのこの回収状況を調査いたしました結果、四十七年九月までに回収いたしました金額が二十六億八千五百万円でございます。償却した金額が十億八千六百万円、四十七年九月末現在の残高が四億六千五百万円でございます。
戦後についてごく簡単に申し上げますと、敗戦直後の復興金融金庫、いわゆる復金債の日銀引き受けによるインフレ政策はいましばらくおくといたしまして、昭和二十八年八月の時点では、すでに政府保証債が準国債として、すでに国債の代替物としての機能と役割りを演じておりました。
次に、日本開発銀行から当公庫が承継しました復金承継債権等につきましては、回収促進に努力いたしました結果、二百五十三万円余り回収を行ない、昭和四十五年度末残高は三千二百二十万円余となり、当初承継しました百十九億八千八十三万円余の九九・七%を整理いたしたことになります。
復金のような性格から、これは今後本土全体のことを見るような形に変わってくるのですから、しかたがないと思いますが、この戦略的改正をしていくのについて金融制度調査会、こういうところでの意見はなかったのでしょうか。
次に日本開発銀行から当公庫が承継しました復金承継債権等につきましては、回収促進に努力いたしました結果四百七十四万円余の回収を行ない、昭和四十四年度末残高は三千四百七十三万円余となり、当初承継しました百十九億八千八十三万円余の九九・七%を整理いたしたことになります。
次に、日本開発銀行から当公庫が承継しました復金承継債権等につきましては、回収促進に努力いたしました結果、昭和四十三年度におきましては八百二万円余の回収と七十万円の償却を行ない、年度末残高は三千九百四十八万円余となりまして、当初承継しました百十九億八千八十三万円余の九九・七%の整理をいたしたことになります。
かつての復金時代、それから、現在、これほど高度成長をしておるとき、一般金融のほうが相当いま高度成長で伸びているときに、さらにこれに拍車をかけるよりも、むしろ地域開発、その中にはいまの職住近接、一体となったところの地域開発が今後相当伸びなければならない。それについて、その道を開くべきだという意見を私は出しております。
それから融資の金利でございますが、イタリアでは船主負担金利が利補後五・一%、西ドイツにおきましては政府融資の場合二・五%、復金融資の場合五・五%、フランスの場合は復金融資の場合で四・五%、日本は、現在の船主負担金利は利子補給後平均いたしまして五・六五%ということになっております。こういう例を見ましても外国とほぼ同等、あるいは国によっては外国のほうが手厚いという状況であると思います。
次に、日本開発銀行から当公庫が承継しました復金承継債権等につきましては、回収促進に努力いたしました結果、昭和四十二年度におきましては、九百三十六万円余の回収と百四十万円余の償却を行ない、年度末残高は四千八百二十万円余となりまして、当初承継しました百十九億八千八十三万円余の九九・六%の整理をいたしたことになります。
この問題については、現地にも復金基金債務者救済対策委員会、こういうものがあるわけですが、ここへは全然話はないそうです。これは私会長に会いました。現地に行っても、ほんとうに保護生活者という低い生活程度の人たちに何人か会っただけで、そうしてそういう関係のところには全然行ってない。大蔵省からも人が行ったそうですけれども、それも五分か十分ちょっと話しただけで、さようならと言って帰ってきてしまった。
調査につきましては、これは現地にございます奄美群島振興信用基金といいますか、向こうが調査をいたしました資料等をもとにいたしまして、債権管理法等の趣旨をも照らし合わせまして、これはガリオア、エロアと通常申しておりますけれども、これは復金の区分だけでありまして、いわゆる現地において精密な調査を要する、あるいはガリオア物資代の問題につきましては、現地調査の結果を見なければなりませんので、その分ではなくて、
実はガリオア物資代に関連しましてのクレームがありましたのと、それから復興金融基金の貸し付け金の承継をいたしましたのと、違う性質のものが二つございまして、いま先生のお話の重点は、復金のほうの貸し付け金の回収不能をどうするかというお話だろうと思いますが、奄美のこの基金が承継をいたしましたのは対象が当初二千人でございます。いまそれが千人でございます。
その後三十年の九月に、復金に出資という形で、日本政府から今度は基金の設置に伴いまして出資をいたしました。それは特別措置法の第十条の三というのがございますが、第十条の三で、その債権を、奄美群島保証協会が国から承継し、奄美群島信用保証協会に対して国から出資されたものの額に相当する額というようなことで、ここで受け入れをいたしております。
ただ、延滞利息の関係でありますが、それだから延滞利息はというお話でございますが、これはガリオア物資代には関係がなくて、例の復金の貸し付け金、これは復金のころに貸し付けました約束契約がございまして、それに五分、六分、七分という三種類の利息があるのでありますが、期限内に払わないというような場合には、履行期限を延滞いたしました場合には二倍の延滞利息をつけるということがありまして、そこで延滞利息がつく。