2018-05-24 第196回国会 参議院 外交防衛委員会 第16号
しかしながら、それまでには、イラク派遣に関する上級部隊の命令などやそうした指示などが一般に日報の報告要領が定められている文書、これが特定できなかったことから確たることを申し上げられなかったというふうにお答えしてきたところでございますが、その後、陸上自衛隊の日報作成の根拠となった文書につきましては、省内で探索を行った結果、第六次、第八次及び第九次隊のイラク復興支援群等の派遣、交代等に関する陸上幕僚長指示
しかしながら、それまでには、イラク派遣に関する上級部隊の命令などやそうした指示などが一般に日報の報告要領が定められている文書、これが特定できなかったことから確たることを申し上げられなかったというふうにお答えしてきたところでございますが、その後、陸上自衛隊の日報作成の根拠となった文書につきましては、省内で探索を行った結果、第六次、第八次及び第九次隊のイラク復興支援群等の派遣、交代等に関する陸上幕僚長指示
資料の一番最後になりますが、まだ全部明らかになっていないいわゆるイラク日報、この中で、二〇〇五年十二月七日のイラク復興支援群の日報から抜粋をしました。「本日の業務」、「イ アントノフ問題」というところを御覧いただきたいと思います。
御指摘の文書は、平成十七年四月二十六日に出されています第六次イラク復興支援群等の派遣、交代等に関する陸上幕僚長指示であり、当該文書は、平成十七年の二月から六月の間イラクに派遣された第五次イラク復興支援群が第六次イラク復興支援群と交代するに当たって定められたものであり、第六次隊が報告すべき定時報告の種類、報告の時刻、報告要領等が定められたものと承知をしております。
五月三日、憲法記念日の報道ステーションで、二〇〇四年五月から八月までイラク・サマワで復興支援群長を務めた今浦勇紀さんがインタビューに答えていました。日報一つとっても教訓の宝庫であって、法律論だけではなくて、現地が実際どうなのか、現地の我々の活動を見ることによって確認できると思う、こう述べていました。
その中で、例えば二〇〇六年一月二十二日の復興支援群の日報には、サドル派事務所付近に英軍車両が停車し、周辺をパトロールし始めたことに反感を持ったサドル派民兵が射撃をし始めたことに端を発して戦闘が拡大、イラク警察及びイラク陸軍が治安回復のために介入という記述があります。
○副大臣(佐藤正久君) 私の知る限り、私は二〇〇四年の一月から八月まで約七か月間派遣されておりましたが、その間、毎日日報という形で先遣隊長あるいは業務復興支援隊、あるいは復興支援群という中で報告がなされていたというふうに認識しております。
陸上自衛隊のイラク復興支援群などの部隊は、イラク人道復興支援特別措置法、それから基本計画、実施要領に基づいて、活動内容や活動地域等が規定されておりました。
この陸自がまとめた内部文書で、第一次復興支援群長を務めた番匠幸一郎氏は、イラク派遣は純然たる軍事作戦だったと、こういうふうに書かれております。実際、宿営地等への攻撃は十四回にもわたり、宿営地内の着弾もありました。陸自部隊が群衆に取り囲まれて投石を受けるという事態もありました。こういう事態、生々しいことの報告を隠すためじゃないかと。
内訳は、イラク復興支援群が作成した日報が三百十九日分、イラク復興業務支援隊が作成した日報が二十六日分、後送業務隊が作成した日報が三十一日分の計三百七十六日分であります。
少し前になるんですけれども、私たち公明党としても、第五次イラク復興支援群長を務められました太田清彦氏にいろいろお話をお伺いしたことがございます。そのときに太田氏からは、法案について賛意を示していただいた上で、ただ、これまでの国会での議論を見てくる中で一つ欠けている視点があるんじゃないかということを御指摘いただきました。
二〇〇五年十二月四日、復興支援群長ら幹部たちが、修復した養護施設の祝賀式典に参加をしておりました。会場のそばで反米指導者サドル師派と自衛隊を警護していた豪州軍との銃撃戦が起こりました。銃撃戦に続き、ノー・ジャパンなどと抗議しながら群衆が押し寄せてきました。幹部らは建物に閉じ込められ、外で警備に当たっていた隊員も群衆に包囲されました。
中谷防衛大臣、第一次イラク復興支援群長の番匠幸一郎さん、この方は中谷大臣と防衛大学校で同期じゃないでしょうか。この方を中心に、これは前書きも番匠さんがお書きになって、私は、とても誠実な、一生懸命イラクで活動された方だと思うんですが、この審議に当たって、この黒塗りの部分は公開していただかないと、この法案の実のある審議ができないと思いますが、防衛省として公開していただけますか、いかがですか。
○中谷国務大臣 御指摘の質問は、イラク復興支援活動行動史に掲載された番匠第一次イラク復興支援群長のコメントの一部でございます。 御指摘の部分を読み上げるわけでございますが、 その第一は、「イラク人道復興支援活動は、純然たる軍事作戦であった。」ということである。隊旗授与式において、小泉総理は「自衛隊の諸君にしかできない任務」と訓示された。
文書の冒頭には、これですけれども、二編のところの一番最初に、第一次イラク復興支援群長を務めた番匠氏が巻頭言として言葉を寄せています。この中で番匠氏は、イラクでの自衛隊の活動についてどのような任務だったと述べているか、報告ください。
(拍手) 第一次イラク復興支援群は、北海道旭川の第二師団を主力とする部隊でありましたが、留守を守る旭川市民も、派遣された自衛隊員の無事を祈って黄色いハンカチを掲げる黄色いハンカチ運動を行っていましたのは、記憶に新しいところであります。
概況説明、質疑に続き、実際に第十次イラク復興支援群として現地に派遣された隊員四名を交えた懇談が行われました。隊員からは、派遣前の訓練により自信を持って任務に向かうことができた、想定外の事態にも遭遇しなかったとの発言がありました。
私自身も、平成十六年一月の十六日に防衛庁内で行われましたイラク復興業務支援隊隊旗授与式と、また、先般、七月の二十九日に実施をされました陸上自衛隊第十次イラク復興支援群隊旗返還式の方に出席をさせていただきました。隊旗返還式の方には防衛庁長官また麻生大臣ともに御出席をされておったわけでありまして、大変多くの自衛官またその家族の皆さん方を前に、私も非常に胸が熱くなったことを覚えております。
陸上自衛隊の第十次イラク復興支援群の人員については、七月二十五日にすべての隊員の帰国が完了し、二十九日には隊旗返還式を実施いたしました。また、イラク後送業務隊の人員については、引き続き、クウェートにおいて物品の後送に必要な作業を実施しております。
なお、イラク復興支援群については、第十次群が五月二十六日以降活動をしております。 ムサンナ県における全般的な治安状況は、イラクの他の地域に比べ、比較的安定しております。 また、四月十七日以降のサマワ周辺の情勢について、主な事件は以下のとおりです。 五月十一日、サマワの東約三十五キロメートルの道路上で、陸自との契約に基づき食料品を輸送していた民間車両一両が損傷する事案がありました。
しかし、今、第九次の復興支援群が現地に赴いているわけでありますが、派遣期間というのがそれぞれありますので、例えばこの五月辺りですと交代の時期を迎えるわけですね。第十次の支援群を派遣するのか、だとすれば、今、方面ごとにローテーションでやってきておりますから、次の部隊がやっぱりいろいろ準備をしなければならないわけですね。
なお、現地では第八次イラク復興支援群が十一月十二日以降活動をしております。 十月二十七日以降のサマワ周辺情勢について、主な事件等は以下のとおりです。 十一月七日、現地部隊において、発射音及び飛しょう音を確認しました。詳細については確認中ですが、宿営地北東方向の相当程度離れた地点からロケット弾と見られる砲弾が発射され、宿営地南西方向の宿営地外に一発着弾した可能性が高いと考えられます。
サマワに派遣されていた自衛隊、今やもう、伊丹の第三師団を主力とする第六次群が帰国をし、第七次の復興支援群に活動が引き継がれております。しかしながら、現地の状況、これまでにもこの委員会等で相当議論も重ねられてきたとおり、派遣当初とは相当状況が変わってきたことは皆さんも御承知のとおりであります。
なお、現地では第七次イラク復興支援群が八月十九日以降活動をしておりますが、十月十一日に第八次群への交代命令を発出いたしました。八次群の第一波は十月二十二日に出国しております。 十月十一日以降のサマワ周辺情勢について、主な事件等は以下のとおりでございます。
なお、現地では第七次イラク復興支援群が八月十九日以降活動をしておりますが、十月三日に第八次群の編成命令を発出いたしたところでございます。 八月三日以降のサマワ周辺情勢については、主な事件等は以下のとおりでございます。 八月七日、サマワ市中心部で、電力不足等に係る県政への不満を背景とした二千人規模のデモが発生いたしました。