2020-06-18 第201回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号
衛藤大臣、ことし五月十五日の沖縄復帰記念日における沖縄地元紙の新聞社のインタビューの中で、製造業の割合は他県の四・五分の一である、せめて倍近くにするなどの問題が残っているんだ、課題が残っているんだというふうな御認識を示されました。振興計画の総点検を今やっているさなかのこの大臣の御発言だけに、やはり注目度が高くて、その指摘は大きな意味を持っているのだろうと私は思いました。
衛藤大臣、ことし五月十五日の沖縄復帰記念日における沖縄地元紙の新聞社のインタビューの中で、製造業の割合は他県の四・五分の一である、せめて倍近くにするなどの問題が残っているんだ、課題が残っているんだというふうな御認識を示されました。振興計画の総点検を今やっているさなかのこの大臣の御発言だけに、やはり注目度が高くて、その指摘は大きな意味を持っているのだろうと私は思いました。
五月十五日、沖縄の祖国復帰記念日です。おととい、沖縄は、一九七二年に祖国に復帰してから四十六年目の復帰記念の日を迎えました。 この間、五次にわたる沖縄の振興開発計画、それから振興計画というふうに国の予算が投じられ、内閣府によると、復帰後から二〇一八年度当初予算までの累計は、沖縄関係予算は約十二兆五千億円投じられています。
私はこの本を読んでいて、こんなに違いがある中でも、山中先生、それに佐藤栄作総理大臣は、本当に沖縄の心を持って、考え方の違ういろいろなところに、復帰記念日にも屋良朝苗さんは出なかったんですから、東京の大会に。
○芝博一君 実は、昨年、沖縄の祖国復帰記念日を真の主権回復の日として全国民で祝賀し、日本の結束を世界への強いメッセージとして発信するために、沖縄復帰の五月十五日を国民の祝日に制定する旨の請願活動が昨年から続いております。
○岸田国務大臣 まず、御指摘の主権回復・国際社会復帰記念式典ですが、サンフランシスコ平和条約の発効による我が国の主権回復及び国際社会復帰六十周年の節目を記念して、我が国における国際社会の平和と繁栄への責任ある貢献の意義を確認するとともに、これまでの経験と教訓を生かして、我が国の未来を切り開いていく決意を確固としたものにする、こういった趣旨で実施されるわけです。
昨日五月十五日は、沖縄県にとっては本土復帰後三十三回目の復帰記念日でした。その記念日に、多くの県民と全国から駆けつけてくださった支援者合わせて二万三千八百五十人が、普天間基地を包囲し、世界一危険だと言われる普天間基地の閉鎖、返還を求め、そしてその代替施設となる辺野古の海の埋め立てに反対をして、手をつなぎ、人間の鎖を成功させました。
先日お亡くなりになりました山中貞則初代沖縄開発庁長官、昭和四十七年五月十五日の沖縄復帰記念式典におきまして、当時、総理府の総務長官でありましたが、こんなふうにあいさつをされています。県民各位が心から復帰して良かったと喜んでいただける条件を整えるべく全力を尽くすことが、政府を始め沖縄を迎える国民全体の義務であり、せめてもの償いの道であると考えますと。
そういう外務省や政府の姿勢について県民はどう見ているかという問題なんですが、沖縄の新聞に、これは復帰記念式典が終わった直後の沖縄の新聞の社説です。「日米同盟の“蜜月関係”に酔いしれる小泉首相には、目を覚ましてもらわねばならない。」こう言っているんですよ。 皆さんは、日米関係が重要だとみつ月関係を言っている。
○島袋宗康君 小泉総理が行かれるわけですから、是非沖縄に何らかのお土産を持参していただいて、この復帰記念の成功を願っておきたいというふうに思います。 さきに、沖縄開発庁二十年史というのが発行されております。
橋本首相は、復帰記念式典で、沖縄にはまだ解決すべき問題が残されているとして、二十一世紀の沖縄の発展と新たな展望を切り開くために、ことし春までに沖縄経済振興二十一世紀プランを取りまとめていくことを明らかにしました。三次振計は二〇〇一年までで終わりますが、ポスト三次振計の展望を含めて、沖縄の振興策に対して政府はどのように責任を果たしていくか。
このシーメンズクラブの返還のめどがつかない限り復帰記念事業としての武道館の建設というものがとんざしてしまう。ですからこの問題は、武道館の建設とのかかわりにおいても特にその促進を図り解決を図らなければいけない問題だというように考えますが、大きなかかわりを持っています長官としてその問題についてどう考えられ、努力をされるおつもりか。
沖縄復帰に関する切手につきましては、昭和四十七年に復帰記念、五十七年には復帰十年記念切手を発行いたしておりますが、本年は沖縄が本土に復帰してから二十年目に当たりますことから、その歴史的意義にかんがみ、郵政省では沖縄復帰二十年記念切手を発行することといたしております。 発行枚数は千六百万枚で、来月十五日から全国の郵便局で発売されます。
一九八一年には復帰十周年ということで当時の鈴木総理、一九八七年には復帰記念国体で中曽根総理が行かれております。つい最近では、戦没者追悼式の参列、慰霊の日に当たって当時の海部総理が一九九〇年に沖縄を訪れられております。
○田名部国務大臣 復帰して二十年、ちょうど本土復帰記念の国民体育大会がありまして、私が青森県の団長で参加したのが初めてでありました。その次も、この前も国体に団長で行きました。たびたびお邪魔をしておりますが、何とも異様な風景、うちの屋根に水をためるタンクがありまして、最初は何だろうと思ったのですが、考えてみると、水が問題だ、農業用水の確保ということは非常に大事だなという感じがいたしました。
最後に、来年は復帰二十周年を迎えるので、郵政省に対し、郵政三事業を初め情報通信関係行政分野におけるサービスの改善及び復帰記念行事などへの取り組みの強化を要望いたします。 以上で報告を終わります。 なお、委員長の手元に詳細な調査報告書を提出しておりますので、本日の会議録に掲載していただくよう委員長において取り計らいをお願い申し上げます。 以上であります。
○宮里委員 目下、首里城の復元工事などが鋭意進められているところでありますが、振興局長、復帰記念事業として何か考えていることがございましたら御説明を願いたいと思います。
国の立場からの復帰記念事業といたしましては、首里城の正殿の復元を中心とする国営沖縄記念公園首里城地区の整備というものを進めております。
○宮里委員 次に、復帰記念行事あるいは復帰記念事業についてお伺いをいたします。 来年は、いよいよ復帰して二十年目を迎えます。政府においても、沖縄県当局におかれましても、この記念すべき二十年の記念行事をどうするか、どのような形で持つかということが今検討されているところだと思います。
そういうことにもかかわって、ぜひ外務省もかんで二十年の復帰記念事業としてそこらあたりまで検討してみていただいたらどうか。これをどこかが検討——開発庁よりも私はやはり外務省だろうというふうに思いますし、検討に値する大事な内容ではないかというふうに思うのですが、大臣いかがですか。
私はそのとき内閣官房長官といたしまして沖縄復帰記念式典の司会をさせていただいた。これは、政治家にとって最大の私は光栄であったと今思っております。 したがいまして、今日までいわゆる振興計画に基づいてもろもろのことが行われてまいりました。途中には海洋博もございました。しかしながら、現実、数字等で見ます限りにおいて、それぞれの格差というものが存在しておることは事実でございます。
沖縄県は、復帰後、政府の関係省庁や関係団体等の御協力のもとに、昭和四十七年には植樹祭を行い、昭和四十八年には復帰記念特別国体の若夏国体を実施し、また昭和五十年には復帰記念国際海洋博覧会を開催いたしました。昨年の海邦国体は、そのような経験と実績の上に立って開催されたものであります。そして昨年の海邦国体の終了によりまして、復帰後に予定されておりました大きな行事は一通り終了いたしました。
○柳川覺治君 時間がございませんので最後でございますが、沖縄復帰のときに、文部省は、あの戦いの激しさの中に樹木を失った、緑を失った沖縄に、復帰記念として学校植樹というものを行いました。これは二千万円の予算でございましたが、当時、お亡くなりになられましたけれども、社会党の山中吾郎先生もこれはいいことだということで予算委員会で御質問されて、二千万の要求がそのまま成立さしていただきました。