2004-03-01 第159回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号
去年からは、精神障害者の社会復帰協もこの事業協同組合に入ってもらうことになりました。そういうことでございますので、モデル事業というふうな形ででも、大阪では、関係のところでぜひ御協力いただきたいなと。 副大臣がええお答えしはったら……。手前みそで構いませんから、どうぞ。
去年からは、精神障害者の社会復帰協もこの事業協同組合に入ってもらうことになりました。そういうことでございますので、モデル事業というふうな形ででも、大阪では、関係のところでぜひ御協力いただきたいなと。 副大臣がええお答えしはったら……。手前みそで構いませんから、どうぞ。
長い沖縄復帰闘争の記念碑がつくられておりまして、最後の復帰協の会長をやった、亡くなられましたが、私の親友の方の何か胸を打つような言葉が刻まれております。
沖縄は、復帰協で運動しているときには日の丸の旗を振りました。これは、自分たちは日本本土と一緒になりたいというシンボルなんです。決して国旗で大事だから振ったんじゃないですね。ところが、復帰した後は国旗をかけろという圧力が学校を中心にかかります。
相談相手が遠いところにある、復帰協ですか、県のセンターまで行くということもなかなかあれですから、したがって、そういった面で相談相手になる人、保護司というようなもの、こういった人たちとの連携というものも必要ではないだろうかとも思いますが、そういった点についてどのようにお考えなのか。
ところが、大衆世論は即時無条件全面返還を集約しまして、私が復帰協の会長に選び上げられた。こういういきさつ、この決意を本土の仲間たちに連動させて、共同の闘いでこの復帰は実現したと私は確信いたしております。 十日は、本土の仲間たちも三百五十名辺戸岬に来てもらって、そして五・一五の十五日に向けて五百名の仲間たちが本土から与儀公園という場所に結集いたします。
そして復帰して今日に至る前に、復帰の時点まで私も復帰協の会長として大衆の先頭に立って日の丸も掲げてやった。ところがそれはどういう心であったか、今時間がありませんから申し上げません。何の心であったか申し上げませんが、そのような身をもって外した私は、自信を持って、確信を持って述べることのできることは何であるかといいますと、復帰はかち取った。即時無条件全面返還という目標で大衆とともに闘い抜いた。
○国務大臣(田中龍夫君) ただいまおっしゃったように、喜屋武さんが復帰協の先頭に立って活躍されたことを私もよく心得ております。
先ほど来、連日教育問題が論じられておりますが、きょうはたまたま沖縄に関する問題も出ましたので、あれに対する反論という意味ではなくお聞きしながら、やっぱりいろいろな受けとめ方、考え方があるんだなあと、こういうことを私感じたわけでありますが、と申しますのは四・二八を、四月二十八日を沖縄県民は祖国から切り離された悲劇、屈辱の日だという、こういう意識に立って、実は私、復帰協の会長として、先頭に立って祖国復帰
ですから、新聞によっては拒否している人が三割ぐらいあると、あるいは復帰協の反対地主の会なんかでは、やはり二割、三割拒否している人があるというふうにいわれている。
実は、今年の二月、那覇で復帰協ですね、祖国復帰協議会、現地にありますところのあらゆる団体を含めております。自民党支持であるところの地域婦人団体連合会も入っております。この祖国復帰協とそれから本土での沖繩連ですね、復帰運動を一緒にやっておりますところの沖繩連の者が一緒になりまして、那覇で「新しい沖繩をつくる国民集会」というのを持ちました。そのとき婦人の分散会でたくさんの要求が出てまいりました。
また、喜屋武君自身が、復帰協、これ、長い間みずから主宰し、また、その先頭に立って戦ってこられただけに、私は感無量なものがあるだろう、かように思います。
私どもやっぱり沖繩の同胞の祖国復帰を心から願っておるのも、さような待遇を受けておると、またあのようにして基地ができたと、自分たちの所有権が取り上げられたと、そういうところの非常な憤激がぬぐい去ることができない、これが一番の復帰協その他の運動の根源ではないかと思うのであります。
それに対して、桃原祖国復帰協の会長でございましたが、日本政府が沖繩県民の願いを実現する方向の決意を固めて外交交渉をするというのであれば、われわれは異民族支配のもとに二十六年間耐えたのだ、したがって現状これ以上悪くなることはないと確信をする、したがってわれわれは四年でも五年でも待ちましょうという、実に悲壮な決意を申されたと、私はお伺いをいたしたのであります。
これは復帰協の人たちがああいう運動をやり、公務員がそれに参加した、それを認めた屋良主席の責任であるというようなところに問題を持っていこうとする、それが非常に特徴的に出ていると思うのです。
そのデモ行進については、先頭集団に和歌山県あるいは問題の沖繩の復帰協のデモ隊、こういったデモ隊が一番最初に、先頭のいま言った来賓の人たちのすぐあとにくっついていくということであった。ところが、成田委員長たち、いわゆる来賓の人たちがずっと前に離れておった。
それから復帰協の最近の動き、これも承知しております。しかしそれがまた沖繩県民全体の意見を表明しておるのかというと、私はにわかにそうも判断もできない。やっぱり権威のある沖繩県民の意向というものは、沖繩県民によって選ばれた立法院がどういう態度をとるかと、これを見るよりほかはないと、こういうふうに思うのですよ。
終戦以来いちずに祖国復帰を求めて、苦しくとも悲しくとも、歯を食いしばって即時復帰を願ってきて、その大衆運動の先頭に立ってやった復帰協を中心とする、このいちずに復帰を求めてきたこの層が、いざ復帰となるとやり直しという、こういう考え方を持っております。今度は終戦以来一貫して復帰には消極的であった、あまり積極的でなかったどころか反対もあった、あの時点では。
○宮之原貞光君 総理は沖繩の中で非常な大きな影響力を持っておりますところの沖繩の復帰協議会の態度を御存じだと思いますが、復帰協は、万一復帰がおくれることがあっても、この協定はもう一回やり直して再交渉してもらいたいと、こういう強い声があることを御存じでしょうか、どうでしょうか。
したがって、いま言われる点がもしもおくらすようなこと、さっき言われた復帰協はおくれてもいい、こう言っているじゃないか、こういうようなお話でありますが、私は復帰協だけがこの問題を代表しているものじゃない、かように思っております。
○国務大臣(佐藤榮作君) 復帰協を私は否定するとか否定しないとか、こういう筋のものじゃなくて、復帰協は厳然として存在しているのじゃないですか。私の否定がそんなものに及ぶわけがございません。
沖繩は祖国復帰協というような組織もございまして、非常に多くの人々が沖繩の無条件全面返還ということを要望しておられるようでございます。そういう中で、裁判官も沖繩県人でございますので、いわゆるそういうような考え方を持っておられる方も当然あると思うのです。
先ほど、水も漏らさない対策でやらなければいかない、アメリカと交渉する段階においては、政府の方針というものがきまったことでなければいかないということでしたが、円を通貨に切りかえていくといろ最大のいわゆるネックとなっているもの、今日までは施政権の問題だといわれた、あるいはなかなか投機ドルというものが防げない、そういう立場でむずかしいということがありましたが、きのうの大蔵大臣と復帰協の代表とのやりとりを見
復帰協の代表や公務で来られる方々も非常にお困りになっておられる。その現実に受けつつある被害というものをどう補てんをしていくのか。これを最小限度に食いとめるということは、やはり円に切りかえる以外にないと思う。そういう一つの方法として、先ほど申し上げたような一方策もあるのじゃないかということでございます。
また立法院、琉球政府あるいは復帰協あるいは地主協会その他各種の公私の団体もございますが、つとめてこれらの方々の御意見を伺い、またわれわれの考え方もそのつどいろいろと御説明につとめてまいりました。さらに国会の中間報告に際しましては、屋良主席、立法院その他の方々にこちらから出向きまして御説明につとめました。また調印式に先立ちまして竹内政務次官を派遣いたしまして、現地においての説明も申し上げました。
それから、その前のお尋ねございましたが、先ほどもちょっと触れましたが、講和前人身傷害補償、それから通損補償、それからつぶれ地、入り会い請求権、こういうふうなものは、出ております原請求取りまとめのところがそれぞれ違っておりまして、あるものは琉政から出ております、あるものは復帰協から出ております、あるものは地主連合会から出ております、あるものはその他の連盟から出ております、あるものは総合的にそれらが重複
また私も復帰協の代表の方々とも意見の交換をしております。こうしたことが最終的に協定をつくり上げる上に私どもとして非常に心強さをいただいておるわけでございますが、事実上の関係から申しましても、この一週間対米的にまだそれらがどういうふうに反映したかということを申し上げるだけの時間的余裕も実は率直に申しましてございませんでした。きょう午後から私としてはもう精魂打ち込んでやりたいと思っております。
○國場委員 この問題につきましては、なかなか在民の声というのが——二十有余年なじまれたところの右側通行でございまして、第一次復帰要綱か発表されまして、それ以後、交通企業団体あるいは復帰協というような団体のほうから反対運動か展開されておるのは御案内のとおりでございます。そこで、私は国際条約の規定によることであるということはよく存じております。