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37件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1993-04-06 第126回国会 衆議院 地方行政委員会 第7号

相談相手が遠いところにある、復帰協ですか、県のセンターまで行くということもなかなかあれですから、したがって、そういった面で相談相手になる人、保護司というようなもの、こういった人たちとの連携というものも必要ではないだろうかとも思いますが、そういった点についてどのようにお考えなのか。

北川昌典

1992-05-13 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第8号

ところが、大衆世論即時無条件全面返還を集約しまして、私が復帰協会長に選び上げられた。こういういきさつ、この決意本土仲間たちに連動させて、共同の闘いでこの復帰は実現したと私は確信いたしております。  十日は、本土仲間たちも三百五十名辺戸岬に来てもらって、そして五・一五の十五日に向けて五百名の仲間たち本土から与儀公園という場所に結集いたします。

喜屋武眞榮

1985-09-19 第102回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

そして復帰して今日に至る前に、復帰時点まで私も復帰協会長として大衆先頭に立って日の丸も掲げてやった。ところがそれはどういう心であったか、今時間がありませんから申し上げません。何の心であったか申し上げませんが、そのような身をもって外した私は、自信を持って、確信を持って述べることのできることは何であるかといいますと、復帰はかち取った。即時無条件全面返還という目標で大衆とともに闘い抜いた。

喜屋武眞榮

1981-03-24 第94回国会 参議院 予算委員会 第15号

先ほど来、連日教育問題が論じられておりますが、きょうはたまたま沖縄に関する問題も出ましたので、あれに対する反論という意味ではなくお聞きしながら、やっぱりいろいろな受けとめ方、考え方があるんだなあと、こういうことを私感じたわけでありますが、と申しますのは四・二八を、四月二十八日を沖縄県民祖国から切り離された悲劇、屈辱の日だという、こういう意識に立って、実は私、復帰協会長として、先頭に立って祖国復帰

喜屋武眞榮

1971-12-28 第67回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第1号

実は、今年の二月、那覇復帰協ですね、祖国復帰協議会現地にありますところのあらゆる団体を含めております。自民党支持であるところの地域婦人団体連合会も入っております。この祖国復帰協とそれから本土での沖繩連ですね、復帰運動一緒にやっておりますところの沖繩連の者が一緒になりまして、那覇で「新しい沖繩をつくる国民集会」というのを持ちました。そのとき婦人分散会でたくさんの要求が出てまいりました。

田中寿美子

1971-12-16 第67回国会 参議院 沖縄返還協定特別委員会 第7号

私どもやっぱり沖繩の同胞の祖国復帰を心から願っておるのも、さような待遇を受けておると、またあのようにして基地ができたと、自分たち所有権が取り上げられたと、そういうところの非常な憤激がぬぐい去ることができない、これが一番の復帰協その他の運動の根源ではないかと思うのであります。

佐藤榮作

1971-12-08 第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会公聴会 第1号

それに対して、桃原祖国復帰協会長でございましたが、日本政府沖繩県民の願いを実現する方向の決意を固めて外交交渉をするというのであれば、われわれは異民族支配のもとに二十六年間耐えたのだ、したがって現状これ以上悪くなることはないと確信をする、したがってわれわれは四年でも五年でも待ちましょうという、実に悲壮な決意を申されたと、私はお伺いをいたしたのであります。

山口鶴男

1971-11-09 第67回国会 参議院 予算委員会 第7号

それから復帰協の最近の動き、これも承知しております。しかしそれがまた沖繩県民全体の意見を表明しておるのかというと、私はにわかにそうも判断もできない。やっぱり権威のある沖繩県民の意向というものは、沖繩県民によって選ばれた立法院がどういう態度をとるかと、これを見るよりほかはないと、こういうふうに思うのですよ。

福田赳夫

1971-11-09 第67回国会 参議院 予算委員会 第7号

終戦以来いちずに祖国復帰を求めて、苦しくとも悲しくとも、歯を食いしばって即時復帰を願ってきて、その大衆運動先頭に立ってやった復帰協中心とする、このいちずに復帰を求めてきたこの層が、いざ復帰となるとやり直しという、こういう考え方を持っております。今度は終戦以来一貫して復帰には消極的であった、あまり積極的でなかったどころか反対もあった、あの時点では。

喜屋武眞榮

1971-11-08 第67回国会 参議院 予算委員会 第6号

したがって、いま言われる点がもしもおくらすようなこと、さっき言われた復帰協はおくれてもいい、こう言っているじゃないか、こういうようなお話でありますが、私は復帰協だけがこの問題を代表しているものじゃない、かように思っております。

佐藤榮作

1971-09-04 第66回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会公聴会 第4号

先ほど、水も漏らさない対策でやらなければいかない、アメリカと交渉する段階においては、政府の方針というものがきまったことでなければいかないということでしたが、円を通貨に切りかえていくといろ最大のいわゆるネックとなっているもの、今日までは施政権の問題だといわれた、あるいはなかなか投機ドルというものが防げない、そういう立場でむずかしいということがありましたが、きのうの大蔵大臣復帰協代表とのやりとりを見

上原康助

1971-09-04 第66回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会公聴会 第4号

復帰協代表や公務で来られる方々も非常にお困りになっておられる。その現実に受けつつある被害というものをどう補てんをしていくのか。これを最小限度に食いとめるということは、やはり円に切りかえる以外にないと思う。そういう一つの方法として、先ほど申し上げたような一方策もあるのじゃないかということでございます。  

上原康助

1971-06-30 第65回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第15号

また立法院琉球政府あるいは復帰協あるいは地主協会その他各種の公私の団体もございますが、つとめてこれらの方々の御意見を伺い、またわれわれの考え方もそのつどいろいろと御説明につとめてまいりました。さらに国会の中間報告に際しましては、屋良主席立法院その他の方々にこちらから出向きまして御説明につとめました。また調印式に先立ちまして竹内政務次官を派遣いたしまして、現地においての説明も申し上げました。

愛知揆一

1971-06-30 第65回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第15号

それから、その前のお尋ねございましたが、先ほどもちょっと触れましたが、講和前人身傷害補償、それから通損補償、それからつぶれ地、入り会い請求権、こういうふうなものは、出ております原請求取りまとめのところがそれぞれ違っておりまして、あるものは琉政から出ております、あるものは復帰協から出ております、あるものは地主連合会から出ております、あるものはその他の連盟から出ております、あるものは総合的にそれらが重複

愛知揆一

1971-05-24 第65回国会 衆議院 外務委員会 第20号

また私も復帰協代表方々とも意見の交換をしております。こうしたことが最終的に協定をつくり上げる上に私どもとして非常に心強さをいただいておるわけでございますが、事実上の関係から申しましても、この一週間対米的にまだそれらがどういうふうに反映したかということを申し上げるだけの時間的余裕も実は率直に申しましてございませんでした。きょう午後から私としてはもう精魂打ち込んでやりたいと思っております。

愛知揆一

1971-04-27 第65回国会 衆議院 地方行政委員会 第22号

國場委員 この問題につきましては、なかなか在民の声というのが——二十有余年なじまれたところの右側通行でございまして、第一次復帰要綱か発表されまして、それ以後、交通企業団体あるいは復帰協というような団体のほうから反対運動か展開されておるのは御案内のとおりでございます。そこで、私は国際条約の規定によることであるということはよく存じております。

國場幸昌

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