1973-02-27 第71回国会 衆議院 予算委員会 第17号
厚生省の援護局の中で当時の板垣復員課長、田島俊康事務官、三浦祐三事務官、柏井秋久事務官、坂田良右衛門事務官、山田義次審査第一課長、この六人と、その部外者としては吉池軍曹の直属の上官である二十三連隊長の福田環と元主計中尉、その連隊の中尉の高橋久能と計八名が会合をした。
厚生省の援護局の中で当時の板垣復員課長、田島俊康事務官、三浦祐三事務官、柏井秋久事務官、坂田良右衛門事務官、山田義次審査第一課長、この六人と、その部外者としては吉池軍曹の直属の上官である二十三連隊長の福田環と元主計中尉、その連隊の中尉の高橋久能と計八名が会合をした。
後段工作は十月の半ばから約一カ月半、実際に山の中でやりました本格的な工作は約一月でありますが、これには私、厚生省の復員課長板垣、厚生事務官柏井秋久、この柏井事務官は二回目であります、小野田元少尉の実兄小野田敏郎、小塚元一等兵の弟小塚福治、この四名が十月十九日に出発いたしまして、それに当時現地にいましたところの馬渕、比嘉両事務官を合わせて計六名、別にさきに申し上げました国民運動総本部からの派遣員として
穰君 藤原 道子君 湯山 勇君 山下 義信君 紅露 みつ君 事務局側 常任委員会専門 員 草間 弘司君 常任委員会専門 員 多田 仁己君 説明員 厚生省医務局長 曾田 長宗君 厚生省保険局長 久下 勝次君 厚生省引揚援護 局復員課長
○渡邊説明員 私未復員者給与関係のことだけと思つて参りましたので、その点につきましては、当局の復員課長をお呼びになりましてはつきりしたところを伺つた方がいいのではないかと思います。私の聞知したところでは、そういう意向をもつてやつているように聞いております。私からでは責任ある回答になりませんので、復員課長にお尋ねになつていただきたい。
一九四九年四月八日 六、六一三、六〇九人 一九四九年九月一日 六、六一五、〇八三人 と変更しており、これは引揚 完了の地域(中国、台湾、香港、北鮮、蘭印、比島、琉球、東南アジア)から引揚げて来たから基本数を増加したものである B 終戰前後の戰死者並びに在外部隊配備変更に関する資料の不祥 一 九四九年四月五日衆議院在外同胞引揚問題特別委員会で復員局高山復員課長
せんだつての委員会で、たしか復員課長の御答弁であつたと思いますが、六十歳以下の者でも省令によつて給与の前渡しができるというように、はつきりお答えになつたように思うのでありますが、その点確認のため、局長より特にお答え願いたいと思います。
○渡邊説明員 ただいまの天野委員のお話は、私どもの担任外査の問題でありますので、別の機会に復員課長なり復員局長を呼んで聞いていただきたいと思います。
只今政府側から外務省管理局長倭島英二君、大蔵省稻益為替課長、援護局宮崎次長、田邊援護局長、復員局高山復員課長、以上出席されております。 本日の議案の第一は、留守家族越冬資金に関する決議案取扱いに関する件及び裏付財源に関する件、この二件でございますが、委員長から今日までの寿議案取扱に関しての経緯を御報告いたして置きます。
なぜかと言えば、ここには四月五日の衆議院の引揚委員会において高山復員課長が出て來て、開戰当時における満州の状況はまつたく混乱した状態でほとんど計画的な準備がなされず、しかもあわてて現地で召集した人員が多数に上るため具体的にはわからないと言明しているのです。この言明にもかかわらずその当時において七十万の誤差がある。いかなる原因によつて厚生省が間違えて海軍省があわてるというようなずさんな発表をしたか。
われわれ会計檢査院の方へこういう批難事項の関係者として名前を出しておるのでありますが、本件につきましては、監督者といたしましては当時の開拓局長、それから決定者は第一部長で、実際行つたものは復員課長というようにいたしまして、会計檢査院の方へ関係者として報告いたしております。
水久保甚作君 木内キヤウ君 岩本 月洲君 北條 秀一君 矢野 酉雄君 細川 嘉六君 説明員 総理廳事務官 (経済安定本部 建設局次長) 近藤 直人君 厚生事務官 (引揚援護廳援 護局長) 田邊 繁雄君 厚生事務官 (引揚援護廳復 員局復員課長
○委員長(紅露みつ君) それでは岡元委員から御提案になりました國会再会を期して三月中旬頃この帰還された方の中から割合元氣で証人として出席ができるというような人を選んで、三名くらいずつ國会に御出席願うかも知れないというような、予告とでも申しますか、そういうようなことを復員課長の高山さんにお願いしたいと思いますが、よろしゆうございますか。