2016-11-24 第192回国会 衆議院 憲法審査会 第3号
そうなると、この中身も見ていくと、今それぞれで批判されているように、どうも戦前に回帰していくような復古主義的な条文というのがこの中に含まれているということもあって、各方面から非常に懸念の対象になっている。それは、ある意味では、現在の憲法を否定した形で憲法草案というのが自主憲法として出されてくるという、そんな議論になっているのではなかろうかということ、ここが一つ払拭できない懸念であります。
そうなると、この中身も見ていくと、今それぞれで批判されているように、どうも戦前に回帰していくような復古主義的な条文というのがこの中に含まれているということもあって、各方面から非常に懸念の対象になっている。それは、ある意味では、現在の憲法を否定した形で憲法草案というのが自主憲法として出されてくるという、そんな議論になっているのではなかろうかということ、ここが一つ払拭できない懸念であります。
総じて申し上げれば、私たちは、憲法改正をすることは必要である、しかし、復古主義や時代錯誤のような憲法を持ち出すのではなく、憲法の精神を発展させ、時代をますます推進し、人類の、また日本国の進歩のために寄与するような憲法にしていくべきだというふうに考えております。 以上です。
しかし、保守政治というのは、完全でない人間を前提にしておりますから、過去の、つまり復古主義には絶対陥りません。過去の不完全な人間がやっていた、過去に戻るということはあり得ない。これは保守の姿勢であります。 では、現在の制度はどうか。今の制度は、不完全な私たちがつくっているわけですから、これは不完全でありますから、反動主義には陥らない。 では、明るい未来が描けるのか。
過去は愚かな人間がつくった制度ですから、反動主義に陥ってはいけない、復古主義に陥ってはいけない。 今の制度は、不完全な私たちがつくっているのだから、ますますこれにスティックしてはいけない。そんな明るい未来を描けるほど私たちは賢くない。だからこそ、伝統と地域の力によって、少しずつ改善していくのが保守主義だということであります。私はその意味で保守政治家でありたいと思っています。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 私は昭和二十九年生まれであって、戦争が終わってもう九年が経ているわけでありまして、私は復古主義的にまた戦前に戻ろうということを全く言っているわけではないわけでありまして。
しかし、冒頭申し上げた、私の中での教育に対する大きな価値観の変更は、高度成長期に成り立った大企業のサラリーマンを育てる教育から、むしろ、成長を前提としがたい時代にあっての、自分の中の思考能力とか表現能力を高める教育へという、大きな価値の転換なりコンセプトの変更があっての諸制度の議論というふうに持っていくべきであって、そこに何か復古主義的な色彩とかあるいは強制的な香りとかいうものがあっては、これはやや
人類の歴史は、単純な進歩の歴史では必ずしもなくて、復古主義的な傾向やいろいろな逆戻りの過程を経て、しかし大きくは前進していくということでありますから、そういう歴史の流れの中で、今回の法改正が被害者の処罰感情ということを中心に組み立てられていたとすれば、それは非常に大きな問題として後世に指摘されるのではないかというふうに私としては御指摘申し上げておきたいというふうに思います。
私たちから見ると、大変心配されていた復古主義というのがどうも総則の中にずっと滑り込んで、これが復活、台頭していくんじゃないか、子供の思想や信条、これに踏み込んだ内容になっていくんじゃないかという心配を大変しているわけです。 極めて異例のことなんですが、この短期間になぜ総則が変更されたのか。パブコメを参考にしたというのであれば、これはパブコメの中身を全部公表しなきゃいけないんじゃないか。
私は、人間形成上、そういう伝わってきた歴史の中にある私たちは、決して私は復古主義を言うておるわけじゃありません。大切にそれをするということが案外忘れられておる教育の原点じゃないかと私は思っておるわけです。
復古主義的な憲法論議の残滓に取りつかれている安倍総理の憲法論議に対し、民主党案は正に二十一世紀レジームの創造を目指したものであります。だからこそ、これら新しい事態に対処するためにも、間接民主主義を補完する直接民主主義の積極的な活用を求めているのであります。 少なくとも発議者の皆さんは、私たちのこの主張をそれなりに受け止めていただいたように感じております。
一つは、九八年改正前の大規模小売店舗立地調整法が行ってきたような商業調整を復活してほしいというような、そういう復古主義的な意見。しかし、日本はもうWTOのサービス貿易協定に入っておりますので、こういうことはできない。こういう、その加入に留保している、フランスとかイタリアのようなごりごりした商業調整はもうできないというわけであります。
社説でも、ある新聞の社説は、復古主義ではないかという社説を掲げておられましたが、提案者の御趣旨を聞くと、そうことではない、むしろちゃんと戒めるべき点は戒めなければいけないという趣旨も含めた昭和の日である。
前文に、日本の歴史、伝統、文化を盛り込むべきとの見解は、基本的人権の普遍性を制約する国家主義、復古主義の考えに基づくものであり、賛成するわけにはいきません。 そして、第九条であります。私は、第九条の平和理念の先見性と人類史上の意義は高く評価しております。しかし、既に提案されている様々な改憲案は、第九条一項は存続させ第九条二項を改めようというものが多数を占めているように思われます。
なるほどなと思って読んだんですが、その正に伝統、文化、歴史、そういうものを尊重することをいけないとは言いませんけれども、それが行き過ぎて、最近の意見の中には国家主義といいますか復古主義というか、そうした傾向が顕著に見られる。それをやはり若い女性ですけれども、きちんととらえているということの方が私にとっては同意するものが多かったのでありますが。
私がこの伝統、文化を大切にすると言うことは、何も言われているような復古主義それから日本の軍国主義を復活する、そういうようなことではないんだということで、それが最大の条件になるわけですけれども、私が言いたいのは、例えば、自分の祖先、先祖、そういうようなものに対して敬意を払う、敬う、そして自分自身が今現在ここに生存しておるということに対する感謝の気持ち、そういうようなものが絶対に必要だと、こういうふうに
この点で、自民党改憲草案たたき台が、天皇が国政に関する権能を一切有しないとしながらも、天皇の地位は日本国の元首とし、現行憲法の国事行為のほかに、新たに公的行為として国会での開会式でのおことばなどを象徴としての行為とし、また宮中祭祀の主宰などを公的行為とするなどしていますが、二十一世紀にもなって復古主義的な企てをどうして行うのか、私は理解に苦しみます。 女性天皇について一言します。
教育の本義について総理の所見を伺うとともに、私は、同法に、国家主義的、全体主義的、戦前への復古主義的な考えを盛り込むことは断固反対であることを重ねて申し上げる次第であります。(拍手) また、総理は施政方針演説の中で、学力が低下傾向にあることを受け、学習指導要領全体の見直しに言及されました。ただし、大事なのは学力観です。
そういうふうな意味で国家戦略という言葉を理解しないと、何か復古主義的な、そういうとらえがちになってしまうので、この国家戦略という言葉の使われ方、教育行政の基本的在り方は、先ほど何遍も確認しておりますけれども、それを前提にした言葉だという理解でよろしいでしょうか。
この地平が開拓されることにおいて、社会的保守主義、復古主義の人々が使われてきた家族、共同体、道徳とは一線を画すものであることが明確になり、多くの人々に誤解を招くことがなくなっていくだろうと思われます。 また、着目されている中間集団、家族、共同体、NGO、NPOが書き込まれてありましたが、他の方から言われているように、この範囲に私自身は産直運動や第三者機関も含まれていくものだと思います。
彼らは決して、歴史、伝統を重視するということから、復古主義の立場に立ったわけではありません。近代憲法を制定するに当たって、ここは日本の憲法だという、日本という視点を忘れなかったという点であります。さらに、憲法というものはその国の歴史の所産である、そういった点をも認識したということであります。 今日の憲法論議は、日本の憲法がどうあるべきかについての調査研究であります。
一方で、日本というのは、こうした考え方に対して大変な反対といいますか抵抗する力というのもあるわけでございまして、例えば大手新聞の社説なんかを読んでみますと、日本独特の価値観を反映した憲法をつくれ、こういうのは復古主義的な発想だ、狭隘な排外主義だ、こういうような反対もあるわけでございまして、こういう反対論がなぜ起こってくるかということを考えますと、根本的に見ますと、やはり国家についてどう考えるか、こういうことに
○小林参考人 幾つかの御質問点があったと思いますけれども、最初の方におっしゃっていたことで、先ほど委員の御発言の中では、改憲というのがすべて軍国主義あるいは復古主義的なものだ、そういうふうに見るべきではない、そういう御趣旨でございましたが、それは全く当然で、私もそんなふうには全く思っておりません。