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35件の議事録が該当しました。

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2006-08-02 第164回国会 衆議院 外務委員会 第22号

ただ得撫以北北千島諸島樺太南部は、当時日露両国人混住の地でありました。一八七五年五月七日、日露両国政府は、平和的外交交渉を通じて樺太南部露領とし、その代償として北千島諸島日本領とすることに話合をつけたのであります。名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉妥結を計ったのであります。

渡辺博道

1993-10-08 第128回国会 参議院 予算委員会 第3号

かつ、先生も御承知のとおり、一八五五年の条約それから一八七五年の樺太千島交換条約、この二つ条約におきまして、千島列島というものは得撫以北の十八の島であるということが明確に定義されておる。  そういうことを考えました場合に、確かにサンフランシスコ平和条約におきまして日本千島列島放棄はいたしましたけれども、その中には先ほどから申しておりますこの北方四島は入っていない。  

丹波實

1992-05-12 第123回国会 参議院 外務委員会 第8号

ロシア帝国日本政府の間でこれはもう四島というものはもともと日本のもので得撫以北ロシアのものと、こういうことは千島樺太との交換条約でもはっきりしているわけですから、そういうことを確認することが私は免じゃないかということで、それにつきましてはロシアの中でも、共同資料というものをこしらえてお互いに確認し合ったものは発表してPRしてもいいよというところまで話はきておるわけですから、徐々にそうして世論をほぐしていく

渡辺美智雄

1992-04-16 第123回国会 参議院 外務委員会 第5号

それから一八七五年に至りまして、これも御承知のとおり、樺太千島交換条約によりまして、一八五五年の当時にはその樺太につきましては日露混住の地ということで境界を画定いたしませんでしたけれども、いろいろその後問題があったということで、樺太につきましてはこれはロシア領土とする、そして千島日本領土とするということで交換をしたわけでございますが、一八七五年の条約におきましては、得撫以北の十八の島を一つ一つ

柳井俊二

1992-04-16 第123回国会 参議院 外務委員会 第5号

それからもう一点、先ほどこれも先生お触れになりました点でございますが、当時サンフランシスコ会議の場におきまして、これは最終段階であったというふうに記憶しておりますが、吉田全権が御発言になりまして、そこで国後島及び択捉島が得撫以北の島々と全くその地位を異にして帝政ロシアも異議を差し挟まなかった古来からの日本領土であるということについて、このサンフランシスコ会議参加諸国の注意を喚起したという事実があるわけでございます

柳井俊二

1991-04-12 第120回国会 衆議院 外務委員会 第9号

柳井政府委員 得撫以北千島列島につきましては、先ほども御指摘のとおり、我が国平和的に手に入れた諸島でございます。ただ、この千島列島につきましては、我が国サンフランシスコ条約第二条(C)項によりまして同列島に対するすべての権利権原及び請求権放棄しておりまして、この条項を一方的に廃棄して千島列島返還を求めるということは残念ながらできないわけでございます。  

柳井俊二

1991-04-12 第120回国会 衆議院 外務委員会 第9号

柳井政府委員 ただいまお述べになりました一八五五年の日露通条約によりまして、北方四島が我が国固有領土であるということが当時のロシアによって認められたものでございまして、歴史的に固有領土であるということは明らかでございますし、また、ただいま御指摘ございましたように、得撫以北占守に至る十八島につきましては、一八七五年の樺太千島交換条約によりまして平和的我が国領土になったという点、御指摘

柳井俊二

1987-05-15 第108回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

この法務省民事局長の通達では、「北方領土地域に所在する土地又は建物登記簿又は台帳上の所有名義人に関する相続関係」云々、こうなっていて、昭和四十五年四月十日の民事局長のこの文書が契機になって、得撫以北について、所有名義人相続についてだけそういう限定ができた。それまでについては何ら法務省からの特段の指示その他はなかったというふうに私たちは承知しているのですが、どうでしょうか。

児玉健次

1987-05-15 第108回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

田中説明員 現在、得撫以北土地については実はちょっと問題があるわけでございますけれども択捉国後色丹歯舞、この土地建物について相続があったということの申し出がありましたら、登記法そのものの施行はこの地域について現在のところされておりませんけれども、将来この四島が日本に返ってくるときのために、一応相続がありましたということを、登記簿と同じような格好で記載したものを保管している帳簿の中につづり

田中康久

1986-02-14 第104回国会 参議院 予算委員会 第2号

樺太千島交換条約において千島列島、クリルアイランズというのは得撫以北であると、そういうふうにちゃんと定義づけられて、十八の島の名前がみんな書かれておるのであります。国後択捉歯舞色丹は入ってないわけです。だから、千島列島と言う場合には今の四島は入っていないという国際条約もあるわけであります。

中曽根康弘

1984-11-28 第101回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第1号

歯舞色丹国後択捉という北方領土ということで四島だけを切り離して、そして返還を求めるというのは、日本平和的に取得した得撫以北千島も永久に放棄することになる。こうした今の政府のいわば当面の解釈を副読本という形で押しつけることは日本の将来に大きな不利をもたらすことになりかねない。

市川正一

1982-08-06 第96回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第11号

瀬長委員 特にはっきり言ったのは、千島南部二つの島、択捉国後両島、それから得撫以北北千島諸島と述べておるのですね、吉田さんは。択捉国後島、得撫以北の島を千島列島南部、北部と規定している。したがって、南北千島、これがいま放棄した領域であると言っておる。さらに、一九五一年十月十九日に、西村熊雄条約局長はその線をやっぱり認めております。総理の規定国後択捉、これも含むんだという規定

瀬長亀次郎

1982-08-06 第96回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第11号

高橋議員 先ほども申し上げましたように、得撫以北サンフランシスコ条約の中で放棄をしておるわけでございまして、その得撫以北帰属につきましては連合軍がこれを決めるということになっておりますけれども、いまだその帰属については決められておらないような状態にございますので、瀬長先生の言われることも十分わかりますけれども、現在の立場といたしましては四島返還にひとつ全力をささげるという態度でありますので、御了承

高橋辰夫

1982-02-25 第96回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

というのは、国内でも二島返還論があってみたり、全千島返還論があってみたり、いろいろ出てくるから、やはりサンフランシスコ講和条約は四島は放棄したものではない、放棄したのは得撫以北クリール・アイランズだけだ、こういう結論をサンフランシスコ講和条約二十二条で出してもらえば、これはソ連に対しても相当な影響を与えるでしょうし、国際世論に対しての影響もいいであろうし、国内世論をさらに盛り上げるゆえんにもなる、

小沢貞孝

1982-02-25 第96回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

いまおっしゃるように、サンフランシスコ講和条約参加国の中には、北方領土を含めて全部放棄したものだというような理解をしている国もあるんだ、こういうような御発言があったわけですから、そういうことになれば、いよいよもって、わが国放棄したものは得撫以北クリール・アイランズだけだという統一解釈をぜひしてもらわなければならない積極的な理由があるんではないか。

小沢貞孝

1981-04-27 第94回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

国務大臣伊東正義君) 二つおっしゃったのですが、第一番目の問題、日本政府は、千島四島、歯舞色丹国後択捉というのは一回も外国領土になったことがないのでございまして、いわゆる千島の範囲には含まれないということで、サンフランシスコ条約放棄したのは得撫以北という態度を一貫してとっておるわけでございます。

伊東正義

1981-04-01 第94回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第4号

国務大臣伊東正義君) これは正確に言えば「等」というのがついておりますが、しかし社会党の方針がそうであるということは承りましたが、私どもは、ソ連に対しましては、得撫以北千島、中部千島、北千島はこれは明白に放棄をしたということはサンフランシスコ条約によりはっきりしているわけでございますので、放棄したものをまた返せということは、国際条約とか国際通念上これは言うべきことではないわけです、国際信義ということから

伊東正義

1981-04-01 第94回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第4号

政府委員伊達宗起君) 理論であると思いますけれども、私どもが通常のあれで申し上げますと、サンフランシスコ平和条約第二条(c)項によって得撫以北の島を放棄いたしたわけでございまして、いわゆる北方四島は放棄していないという立場をとっているわけでございますので、あそこを放棄したから、その自分のものでないものを放棄してしまったのだからソ連から一遍返してもらってそれから放棄するんだというような立場は、政府

伊達宗起

1980-11-26 第93回国会 参議院 安全保障及び沖縄・北方問題に関する特別委員会 第6号

ただ得撫以北北千島諸島樺太南部は、  当時日露両国人混住の地でありました。   一八七五年五月七日、日露両国政府平和的  な外交交渉を通じて樺太南部露領とし、その  代償として北千島諸島は、日本領とすることに  話し合をつけたのであります。名は代償であり  ますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉妥結  を計ったのであります。

中山太郎

1977-08-01 第81回国会 衆議院 本会議 第4号

サンフランシスコ平和条約の千局列島放棄条項を廃棄せよ、これは共産党の前々からの御意見でございまするけれどもわが国サンフランシスコ平和条約によりまして、得撫以北千島列島に対する権利権原放棄しておるわけなのであります。この平和条約を改定するということは、これはまたなかなか容易なことじゃない、言うべくして望み得べきことでもないわけでございます。

福田赳夫

1977-04-26 第80回国会 参議院 農林水産委員会 第13号

それから得撫以北の問題でございますけれども、よく承知いたしておりませんけれども、当時、得撫には農林省の養狐場、キツネを飼うところがございましたし、それから戦時中は千島調査室というのがございまして、それらの管轄をしておりましたけれども、その他のシュムシュ島という一番北の島がございます、端に。

寺嶋伊弉雄

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