1954-04-13 第19回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号
ところが勇気を奮つて知恵に従つて、道義に従つた外交をやれということはできぬことを言うのではない、できることを言つておるのです。できないことでは断じてないのです。
ところが勇気を奮つて知恵に従つて、道義に従つた外交をやれということはできぬことを言うのではない、できることを言つておるのです。できないことでは断じてないのです。
従つて道義の高揚を言うておるのは吉田内閣であるということを須藤君は明確に第一段に規定している。吉田内閣の中の閣僚に不祥なかたが仮によしあつたとしても、だから文部省は道義の高揚なんか言うべきでないというようなことは須藤氏はいささかも考えていないと思うのです。
従つて道義外交というような特にそういう文句を使うのはおかしいので、外交というものは常に道義的なものでなければならないのであつて、それでなければ外交ではないのであります。
然らばこれをどういうふうにしてするかということになれば、いろいろ議論もありましようが、終戦直後の状態から考えてみましても、生活が安定するに従つて道義は高揚されつつあります。
従つて道義的な意味におきまして、「周知させ、且つ、遵守させるため必要な措置を講じなければならない。」ということにいたしておりますが、これについては何らの罰則の規定は設けておらないような実情でございます。
○久米政府委員 先ほどお断りした通り、十分責任のある答弁は主計局長からいたしたいと思いますが、従来われわれが政府委員としてお答えしておりますことは、これは道義的な責任が大蔵当局にありまして、従つて道義的な責任を感じて必要な措置をとるということは、期待されて大体間違いないだろうと思います。
従つて道義、或いは道徳というような問題もなお混沌とし、確立されておらないというところも、そこから来ている面が少なからずあると思うのでありますが、少なくも私は道義の高揚、或いは道徳の再建と言つても、やはりその根本は民主主義の徹底にあると思うのであります。この民主主義というのは、やはり久しい時期の訓練を経なければならない。
従つて道義的な意味において如何に文部大臣なり、文部省が声を大にして申しましても、実際の面はやはり何とか社会的な一つの構成と申しますか、制度の面で改めて行かなければ非常に困難な実情があるということを私共感じておる次第であります。
従つて道義上の責任ならば別であるが、もしも法律上の責任を問うということになれば、その裁判官会議において懲戒に付すべしという意見を述べ、しかもその理由も相当強く主張された裁判官もあるというお話ですが、その意見が葬られて、自発的善処を求むという結果になつたということになれば、すでに懲戒に付すべきやいなやの責任追究の問題は決せられて、それは懲戒に付すべきではないという意見がそこに確定した、こう見なければならぬと