1961-04-19 第38回国会 参議院 決算委員会 第21号
それを静岡県の後藤磯吉という者に貸しまして、後藤磯吉が賃貸を受けまして経営をいたしておりました。それが昭和二十四年十一月まで経営しておったわけでございます。それから二十四年の十二月から二十六年の十一月まで、相模湾漁業経営組合というのが漁業協同組合の別の組織としてできまして、それが経営しておったわけでございます。
それを静岡県の後藤磯吉という者に貸しまして、後藤磯吉が賃貸を受けまして経営をいたしておりました。それが昭和二十四年十一月まで経営しておったわけでございます。それから二十四年の十二月から二十六年の十一月まで、相模湾漁業経営組合というのが漁業協同組合の別の組織としてできまして、それが経営しておったわけでございます。
○参考人(矢板開一君) 私手元に用意して参っておりますのは、契約書を持って参っておりませんので、契約書面からのはっきりした月日を申し上げるわけに参りませんが、昭和十四年の十二月に後藤磯吉と契約いたしまして、おそらくブリが入りますのは——十五年に入りましてからブリが入りますので、ここの表現は、十五年のブリ網からこれこれやりましたという表現と私は了解いたしております。
○相澤重明君 それにあなたの今お持ちになっているこの冊子によりますと、昭和十五年より昭和二十四年まで後藤磯吉、昭和二十五年より昭和三十一年まで漁協組、太田高之助共同経営、昭和三十一年十二月から真鶴町漁業協同組合自営、こうなっておりますがこのプリントは間違いですか。
昭和十五年から昭和二十四年まではブリ網等については後藤磯吉という人が経営をいたしております。そして昭和二十五年から三十一年までは漁業協同組合と太田高之助さんという人の共同経営になっております。これは報告がそうなっておる、全部。従ってこの漁業権者というこの立場と、それから自営を行なうものと、これは共同経営であろうと何であろうと、漁民の手による経営ですね。