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13件の議事録が該当しました。
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Created with Highcharts 5.0.6日付時刻該当件数1950195519601965197019751980198519901995200020052010201520202025052.5

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2019-05-29 第198回国会 参議院 災害対策特別委員会 第4号

その際、車がスリップして立ち往生してしまった、またあるいは、除雪車が入れば待避場所が必要になるけれども十分な道幅がないだとか、こういった課題が指摘をされておりました。この避難ルートは、柏崎市の内陸、山側といいますか、の集落では、原発に向かっていくのではなくて、このルートを通って十日町だとか上越市の方に避難しなければならないと、こういうルートになっているわけであります。  

武田良介

2016-05-12 第190回国会 参議院 国土交通委員会 第11号

このような課題解決に向けまして、受入れ自治体におきましては、ショットガン方式という、いろいろなところにバスを待たせておいて随時呼び寄せるというような方式の実施であるとか、あるいは空地を駐車スペースとして確保する、あるいはその待避場所を確保するといったような取組をそれぞれ関係自治体あるいは関係団体と連携して推進をしていただいているところでございます。  

菊地身智雄

2013-05-28 第183回国会 参議院 国土交通委員会 第6号

この泊地を確保することによりまして、いわゆる直下型地震あるいは東海・東南海南海、いわゆる南海トラフ地震あるいは津波、そういった場合が発生した場合でも大型船舶待避場所が確保されまして、大型船舶の円滑な避難が可能となってございます。この予算を執行するということで今回法律を上げさせていただいてございます。  以上です。

山縣宣彦

2013-05-14 第183回国会 衆議院 国土交通委員会 第11号

東日本大震災以降、海上保安庁が果たしてきた役割、行ってきたこと、そういったことについて御答弁いただくと同時に、島国日本生命線である港の機能を維持回復する、今回の法改正の一つのテーマでもあります、待避場所の確保、保全でありますとか、航路啓開でありますとか、航路の安全を、例えば地震津波という自然災害直後に保っておくという観点で、海上保安庁組織面やまた装備面でどのような改善を今後行っていく必要があるとお

三日月大造

1974-04-09 第72回国会 衆議院 建設委員会 第12号

たとえばいろいろな災害が起きたときの待避場所というような意味からいいましても、関東大震災のときの調査などから見ますと、三ヘクタールくらいないと役に立たないというようなことがいわれております。ただし非常に樹木が多い場合には、〇・七ヘクタールくらいでもかなり役に立つというようなこともいっておりますが、やはりかなりの団地として存在するということが必要だということでございます。

山崎不二夫

1973-06-29 第71回国会 参議院 災害対策特別委員会 第8号

それは国のやったこととして、非常にこれはみごとだったと思うのですけれども、やはり一部崩壊したところ、それからまた、漁船が八十そうくらい破損しておるということでありますが、これは、防潮堤をつくるに当たって、船着き場のこと、船の置き場、待避場所こういうものが総合的に考えられた上での建設でなかったという、いまや根室・釧路地方というのは、この数年といいますか、数十年といいますか、大きな地震が相次いでおりますし

藤原房雄

1965-04-27 第48回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第21号

井上参考人 爆発等非常事態に対して、必要な待避場所ができないかという御質問でありますが、これは一がいには申し上げられないと思います。その規模によりまして、とうていそういうものが間に合わない場合もあります。これは非常にむずかしい問題と思います。たとえばガス突出というような事故があります。

井上健一

1959-09-10 第32回国会 衆議院 建設委員会 第6号

そこで今待避訓練をしなければならぬ、待避場所を予定しておかなければならない、あるいは集団移住をしなければならないというような悲壮な気持に陥っておるところの現地民気持をおくみ取り下さって、私は実はこれはもうおくみ取り下さっているのはよくわかるのでありますが、ただ大臣があしたの大事な懇談会に臨まれることを伺いましたものですから、現地民の声をもう一度大臣の耳にとめて、勇躍といってははなはだ言葉がおかしいかもしれませんが

金丸徳重

1950-02-16 第7回国会 参議院 決算委員会 第2号

山門に近き丘陵斜面地は元來、当寺院の尊嚴保持に必要な地帯として、樹木が密生していたのであつたが、戰時中本坊に軍隊の屯営していた際、防空待避場所として、樹木を伐採し、防空壕を設け、その一部が軍隊直営菜園に供されていた。又その一部は附近町内会の要請により、一般の福祉のため、戰時中臨時措置として、宗教的精神から附近の住民に家庭菜園として使用を許していた。

柴田政次

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