1966-02-24 第51回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号
少なくとも西宮−池田間、石橋の待兼山のすそまでの交通というものは、これはたいへんなものです。でありますから、根本的にひとつ直していただいて恥をかかぬようにやっていただきたいと思います。 次に、道路について根本的な問題でありますが、私も昨年列国議会同盟で外国へ初めてやらしていただいたのですけれども、日本の道路行政というものは非常におくれていると思うのです。
少なくとも西宮−池田間、石橋の待兼山のすそまでの交通というものは、これはたいへんなものです。でありますから、根本的にひとつ直していただいて恥をかかぬようにやっていただきたいと思います。 次に、道路について根本的な問題でありますが、私も昨年列国議会同盟で外国へ初めてやらしていただいたのですけれども、日本の道路行政というものは非常におくれていると思うのです。
現在使われております建物として私どもの考えておりますのは、飛行場そのものはもちろんでありますけれども、駐留しておりまする軍人家族の居住地に供せられておる刀根山、私どもは昔から待兼山と言っておったのですが、その居住地、さらにまた大阪府下にありまする浜寺公園が占領せられて、そこに家族の居住地が設けられております。
○山口(丈)委員 この点は、しからば返してもらっても、待兼山のごときあるいは浜寺等のごときも、原形に返すということはとうてい不可能な問題です。そうなりますと、今度は民間の所有物件を民間に返還されるという場合に、国としてはやはり国の責任においてこの弁償をするということにもちろんなるのではないか。
ところが岡田君というのは、前に例の吹田事件というのがありましたが、そのときに一般の大衆にまぎれて吹田事件の一番もとである待兼山のお祭りですね、そこに見物に行っておったわけです。ところが見ておるうちにこれが帰れぬようになってしまったわけです、そのときの状況で。ただそれだけなんですね。ところがそこに見ていたということだけで警察と検察庁で調べを受けたことがあるのです。
これは解放戦争戦取月間闘争の第一波攻撃を六月二十五日記念日闘争に盛り上げようといたしました日共並びに民戦におきましては、六月二十四日前夜祭といたしまして、豊中市の待兼山阪大北校のグラウンドにおけるキヤンプ・フアイアの名目のもとに集会を決定いたしました。阪大当局の反対を押し切つて強行開催されるに至つたのであります。
あの事件につきましては、六月二十日ごろ大阪府の国警本部が、朝鮮人約三千名ほどが、最初に集まりました池田市の待兼山に集合しまして、伊丹飛行場を襲撃するという情報を入手いたしておつたのであります。
それから吹田事件でありますが、これを簡単に申しますと、先月の二十五日の前夜祭におきまして、二十四日の晩から府下の豊中市の一角にあります阪大のグラウンドで待兼山といつておりますが、そのグラウンドに、朝鮮人と学生とが集まりまして、キャンプ・フアイアをたいて大会をやつたのであります。そうしてそのときの事前情報では、あのすぐ近くにある米軍の飛行場を襲撃する。
全国といたしましては、御承知の大阪の待兼山におきまする盛大な前夜祭を皮切りにいたしまして、全国で百二十箇所において、いろいろな会合を催すものがあつたのでございます。その百二十箇所の中で、いわゆる北鮮系と申しますのが、百十箇所、南鮮系というのが十箇所であります。参加人員の朝鮮人は、北鮮系が一万九千、南鮮系が二千名とわれわれは考えております。
○井上(良)委員 先般本委員会において私は、今問題になつております伊丹の飛行場の拡張問題について質問をいたして、政府の善処を要求したわけでありますが、御存じの通り二十四日の晩から五日の朝にかけまして、この伊丹飛行場の東に隣接いたしております小高い待兼山という山があります。