1982-04-21 第96回国会 参議院 物価等対策特別委員会 第3号
まず、御指摘のとおり、肉用牛の飼育規模が小さいものが多いということでございますが、これを分けて考えてみますと、わが国におきます肉用牛の飼養の歴史といいますのは、もともと役肉兼用という形で行われておったものを肉利用のみの目的に転用をいたしたわけでございまして、歴史的な問題で浅いという点も一つ指摘されると思いますけれども、一番基本的には、いわば子取り経営といいますか、繁殖部門におきまして、特に草でございますね
まず、御指摘のとおり、肉用牛の飼育規模が小さいものが多いということでございますが、これを分けて考えてみますと、わが国におきます肉用牛の飼養の歴史といいますのは、もともと役肉兼用という形で行われておったものを肉利用のみの目的に転用をいたしたわけでございまして、歴史的な問題で浅いという点も一つ指摘されると思いますけれども、一番基本的には、いわば子取り経営といいますか、繁殖部門におきまして、特に草でございますね
○政府委員(澤邊守君) 肉牛関係の施策が、畜産政策全体の中で弱いという点の御指摘は前回もございましたが、確かにわが国の肉牛は、役肉兼用という、むしろ役を主とした形で長年来ましたので、それが機械の導入とともに急速に減る、それにかわって肉目的の飼育が始まると。
また、肉用牛経営は、午前にもお答えいたしましたように、わが国の場合、和牛につきましても、いわんや乳雄につきましては、ごく最近長いもので十数年来本格的に肥育経営というのは行われて、その前は役肉兼用であったというようなことでございますので、規模におきましても、技術につきましても、経営のやり方につきましても、いろいろ改善すべき点が多々あると思います。
昭和三十年度の半ば以降、急速にトラクターその他の機械化の進展に伴いまして、あるいはまた、それと合わせて兼業化が進んだということも関連をいたしまして、役肉兼用と、主として役終わってから肉用に出すというような、役肉兼用であった和牛の飼養頭数が急速に減少してきたということが一番大きな原因だと思います。
今後は、私どもとしては、役肉兼用の和牛の生産なり肥育ということを考える段階ではもはやない、したがって、肉専用の和牛、あるいは肉専用の肉用牛というものの生産、育成、肥育ということを推進をしていかねばならない、その場合の収益性の問題でございますが、従来の役肉兼用の場合には、これは牛の飼養ということを通じての収益性の問題を度外視した飼育が行なわれておった。
○中村波男君 いまいろいろ御説明があったのでございますが、まだ私をして十分納得せしめるような御答弁じゃありませんので、具体的に聞いていきますが、一番目にあげましたいわゆる役肉兼用の和牛というものが減っていくということを前提にして、十年後に現在から七、八十万頭ふやすということでありますが、その具体的な計画というものがあろうと思うのでありますが、それをひとつ、まずあげていただきたいと、こう思うわけです。
なぜそういうことになってきたかといえば、肉牛の生産の構造として、従来日本の肉牛というのは、御承知のように、役肉兼用牛として育成をされて、それに肥育の過程を経て、肥育牛として出荷される、いわゆる野あげ牛方式をとってきたわけであります。これが動力耕運機、トラクターの導入によって、役牛の必要性がなくなってきたということから、子牛に対する需要が激減をいたしたわけでございます。
御承知のとおり、和牛は昔から役肉兼用の形で日本では伸びてまいりましたが、自動耕うん機その他の普及に伴いまして、ほとんど年々減少を見つつあるんじゃないか。統計では、ここ若干横ばいのような形を示しておりますけれども、減少する傾向はいなめないと思うのです。
○足鹿委員 これは大臣でなくてもけっこうでありますが、今の大臣の答弁から、いろいろ種畜場あるいは畜産試験場等において研究しておるということでありますが、役肉兼用の和種の改良を進めることによってその中から肉専用の和種というものを考えておられるのか、あるいはその種を海外に求めて新しい日本の風土に適した肉牛の育成という方向を目ざそうとしておられるのか。
そういう実情から見た場合におきまして、それが漸次役肉兼用種という形に進んでき、一方においては乳牛の役牛的利用、活用という面等、一方におきまして農業機械の普及等を推進力としまして、農村の実情というものは役牛に依存する度合は著しく減退しつつあるのが今日の姿ではないかと思うのであります。
御指摘の通りに、現在の和牛が役肉兼用、改良和種ということの期待においてやっておりますこともその通りだと考えます。三十年になりますか、昭和の初めに、昭和十二、三年ごろと記憶いたします。現在の和牛、改良和種を固定いたしまして、そしてこれを登録の基礎にいたしましたことは、当時私は畜産団体の会長として関係いたしておりましたので、それ以来今日までその歴史が続いてきておるということは、御指摘の通りであります。