1948-02-19 第2回国会 参議院 文化委員打合会 第2号
石器時代からいわゆる彌生式時代、古墳時代というようなものを通りまして、その間に體の方も段々變つて參つた。この體が變つて來るということは、これは人類の進化ということは、決して自然に默つて懐手をして進化するのでなくして、人が働いて、そうして働いて得たところの知識によつて又新らしい仕事を興し、そうして外の獸類とは全く違つたところの人類というものを築き上げた、それが即ち人類の進化であると思うのであります。
石器時代からいわゆる彌生式時代、古墳時代というようなものを通りまして、その間に體の方も段々變つて參つた。この體が變つて來るということは、これは人類の進化ということは、決して自然に默つて懐手をして進化するのでなくして、人が働いて、そうして働いて得たところの知識によつて又新らしい仕事を興し、そうして外の獸類とは全く違つたところの人類というものを築き上げた、それが即ち人類の進化であると思うのであります。
第二に遺物に関しましては、この登呂遺跡が彌生式土器の時代であつて、金属器とともに石器をも使用していたことがわかり、木器の製作から見て、当時すでに鉄製のちような、のみ、小刀の類が存在していたことがほぼ明らかとなり、木器、木製品がおびただしく出土し、その中には、すき、くわや田下駄のように、現在農民の間で用いられているものも少くないことがはつきりし、或はまた、彌生式時代の発火法——火をおこす方法が初めてわかり