1973-11-16 第71回国会 衆議院 法務委員会 第48号
学生革命後に成立した張勉政権の外務部長官でもあったという方なんです。この方が二十六日午後、国会て——九月二十二日に韓国国会で、むしろ主権侵害は日本だという議論があった後に、質問しているわけです。飛ばして読みますけれども、 日本の首都東京で白昼に金大中氏を拉致して、ソウルのまん中に連れてさておいた犯人たちが韓国人だよ! 事件の内容から見るか、規模から見るならば誰も犯人になることはできない!
学生革命後に成立した張勉政権の外務部長官でもあったという方なんです。この方が二十六日午後、国会て——九月二十二日に韓国国会で、むしろ主権侵害は日本だという議論があった後に、質問しているわけです。飛ばして読みますけれども、 日本の首都東京で白昼に金大中氏を拉致して、ソウルのまん中に連れてさておいた犯人たちが韓国人だよ! 事件の内容から見るか、規模から見るならば誰も犯人になることはできない!
韓国側に言わせれば李承晩ラインを侵犯した日本漁船を拿捕して裁判にかけ、船は没収する、乗り組み員はこれに実刑を科してきわめて長期にわたって抑留生活をしいる、累次にわたる日本側からの釈放要求というものも受け入れられなかったというような経緯がございますが、これが李承晩政権の退陣の後に張勉政権に変わり、さらに一九六〇年の五月に成立いたしました軍事政権になりましてからは、従来の日本との関係についての考え方が大幅
一九六一年五月十六日、いわゆる朴をそそのかし、張勉政権に対して軍事クーデターを行なわしめた。民族自主統一協議会という会、六十万人の野党各派の進歩人で組織した協議会ですが、この六十万人を弾圧したのは一体だれなんですか。
なぜそういうことを言うかというと、先般自民党の国会議員団の代表として、これは四年ほど前になりますか、野田使節団が出まして、帰ってまいりまして、当時の張勉政権をどのように見ているか、きわめて安定している、張勉政権の安定度はむしろ日本の政権よりも安定しているということを実はこの国会の中でちゃんと言っている。それから四日目に朴正煕のあのクーデターが起ったわけです。
○説明員(富田正典君) 李承晩政権から張勉政権になった時代に入ってきた方で、現在仮放免がそのまま継続している方もありますし、一時の在留を認めておる者もありますが、政治亡命だからということが唯一の理由でそのようになっておるのではなくて、ほかにも特に在留を認めるに値する理由があるかのように聞いております。
李承晩末期の選挙のときに民主的努力が圧倒的勝利を占めたという報告が国連に出されるとたんに李承晩政権が崩壊してしまった、張勉政権のとき、張勉政権は安定しているという報告が国連にいくというと、とたんにクーデターが起こった。それから韓国の経済情勢はどうか、経済情勢は安定しております、こういうふうな報告を出すと、今度は経済状態が急激な悪化を来たしている。
今まで、事あるごとに、——たとえば、顕著な例を申し上げますというと、張勉政権の末期に自民党の野田議員を団長とする使節団が行かれた。この中には外務省の当時の責任者も入っておる。今度は大野伴睦氏を団長とする使節団が行かれて、そして同様に朴政権は安定磐石であるという説明を国民にされ、そしてこの日韓会談の合理性・安定性というものを特に主張されたわけでしょう。
適格の判定を受けた者のうち、張勉政権時代の民議院議員、参議院議員は何名含まれておるか、また旧各政党所属別にそれぞれ何名か、わかっておる分だけでよろしいですから、お答え願います。
で、張勉政権時代の民議院議員適格と判定された者の中には、張勉政権時代の民議院議員二十二名、参議院議員八名が含まれています。各党派所属別には旧自由党が六百四十七名、旧民主党が二百九名、旧新民党が百九十四名となっております。以上です。
○伊関政府委員 今まで政治亡命というふうなことで大きな問題になりましたのはチャン・ギョングン氏というのがございますが、これはむしろ李承晩政権のときのあれでありまして、張勉政権のときにむしろ逃げて来たのでございます。朴政権になりましてこちらに亡命して来ました者で大きなケースとしてわれわれが法務省から相談を受けたケースはございません。
○山本伊三郎君 今まで相当長い期間ですね、単に朴軍事政権になってからの問題でなくして、張勉政権のときからいろいろと問題を重ねてきておって、ようやくまあ杉代表も、日本代表も一応きめて、すでに本年の、少なくとも国会開会中でもこれはやるんだという、こういう総理の要するに答弁もあったんですが、どうも今の外務大臣の話を聞いておると、何だかもう問題は元に帰って、それよりももっと遠くに帰ったような印象を受けるのですが
従来、われわれは、この朴政権はクーデター政権であるから合法性はないのだということを主張して参ったのですが、張勉政権のときにこの尹大統領が国家の元首としておった。
ところが、一昨年に革命が起きまして、それで次に出て参りましたのが張勉政権であるわけです。張勉政権の合法性なり法律的な継続性の問題については、これは自由なる意思による選挙が行なわれておるという点を張勉政権の合法性の基礎としてこれを主張されたわけですね。ところが、今度朴政権が軍事クーデターをやって生じてきた。
したがって大統領が存続する限り張勉政権を朴政権は継続しておるのだ。政権の継続性は認められるのだ、合法政権である、こういう建前を取って今日まできておられまするが、唯一の合法政権である根拠である大統領が辞任をしたということになって参りますと、これは新らたな事態の発生だと言わなければなりません。朴政権の合法性というものは完全にすっとんだということになろうと考えております。
ほどの御答弁こよりますると、政権の継続性については、国家再建非常措置法の十一条によって継続するものと考える、新たな解釈態度を政府は明らかにされたわけでございますが、しかし今まで衆参両院の関係委員会における質問に対し、朴政権が合法政権と認めるのか、認めないのか、その唯一の根拠というものは、先ほど申し上げたように、尹大統領が張勉時代からの大統領であり、それが今日国家最高の機関の地位にあるということは、張勉政権
ところが、張勉政権以来その考え方が変わり、また現在の朴政権においてもさような考え方でございますので、双方でどんどん話をしてみよう、こういう機運のあることはあたりまえのことだと考えておるのであります。 その政権が安定しておるがどうか、こういうことについて考慮が払われていないという向きのお話がありましたけれども、私どもは、他国の政権の安定性等について、率直に言ってこれはまだわからないわけです。
最近張勉政権以来、この態度は変わって参りまして、おっしゃる通り、現在の朴政権は、これはクーデターでできたものでございますけれども、しかし、彼らは、私も直接その人たちに会ってみましての感想は、非常にまじめに韓国の民生と韓国の経済の再建について考えております。そのクーデターという形にとらわれるよりも、彼らがほんとうに韓国人を愛し、韓国の国というものを思うその情熱を、やはり買ってやりたいように思います。
張勉政権の際におきましてもこの話が出ておりました。近く交渉に入ろうということになっておりましたところ、軍事革命が起きまして、この話がそのままになっておりましたが、最近韓国人が間違って射殺されたというふうな事件も起きまして、また行政協定を早く結ぶべきだという意見が出ておりました。近くそういう方向に進むのではないかと思っております。
○小坂国務大臣 この李ラインが不当であるということについては、われわれ何回も申しておりますし、今おあげになりましたように、前の張勉政権時代に、張氏自身が先方の民議院でさようなことを答えておるという点でも、これは明瞭だと思います。
しかも、張勉政権のときにはこの問題は李承晩政権と同様に話をしたことがある。ところが朴政権では、今まで一ぺんも話をしておらないし、これからも話をしないでいく方針でしょう。李ラインの問題とか、あるいは請求権問題とか国籍問題とか、それ以上に重要な竹島問題ですから、直接これは話をし、もし向こうが友好的であるというならばそれで決着をつけるべきことでしょう。
○伊関説明員 張勉政権時代には、先方の代表との間にそういう問題につきましても話をいたしておりますが、今回の交渉におきましては、まだそこまでの話に至っていません。これはあながち請求権に限られた問題ではございません。在日韓国人の法的地位の問題等にもからんで参ります。あるいは漁業におきましても理論的には関係がある問題でございまして、こうした点につきましてはいずれ話をしたいと思っております。
それでは一体張勉政権は安定磐石だと言って、あなたの方の野田卯一団長も、伊関局長も、そういうことを帰って国民に報告されたわけでしよう。これが旬日を経ずしてひっくり返った、落第生じゃありませんか。そういう外務省が朴政権は張勉政権と違って安定しておると口で言っただけでこれは私も信頼するわけに参りません。具体的な証左を示していただきたい。
その点については何ら説明がありませんが、それでは一体今まで長く韓国との間の正常化を願っておると言われるならば、今までの李承晩政権、張勉政権がその安定性——合法性だけでなくて安定性を持っておるかどうかということを検討しながら大臣は今までやってこられたでしょう。にもかかわらずそういうことをやって、しかも後に言うように軍事的かつ経済的てこ入れをしようとしている。
○小坂国務大臣 この日韓関係の正常化を考えて以来、いろいろの御質疑があったわけですが、前の張勉政権の時代に、松本さんにおいて、これは民主主義の政府であるから、これとの国交を早く調整をすべしという御意見があって、その後にこの革命政権ができたから、これはいかぬのだというお話ならば、これはまた御意見として伺いますけれども、終始一貫日韓関係の調整に反対である、こういうお立場からのいろいろのお話でございます。
南北の朝鮮が――これは北の方は共産政権でございますが、中立化して一つのものになればいい、そういうことを望むがゆえに、現在の張勉政権はいけないからこれと国交回復をやるのはよろしくない、こういう話であったと思います。
そして、張勉政権の安定性についても観測を誤っておったのです。自民党の訪韓議員団が帰国いたしまして、そうして張勉政権は安定していると語った翌日には、クーデターが起こっておるのでございます。(拍手)杉代表を選任したことにつきましても誤りを重ねております。見通しは、こうして次々にはずれておる。このままでは第二のクーデターあるいは第二の杉事件が起こらないとの保証はありません。