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33件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1973-11-16 第71回国会 衆議院 法務委員会 第48号

学生革命後に成立した張勉政権外務部長官でもあったという方なんです。この方が二十六日午後、国会——九月二十二日に韓国国会で、むしろ主権侵害日本だという議論があった後に、質問しているわけです。飛ばして読みますけれども、  日本首都東京で白昼に金大中氏を拉致して、ソウルのまん中に連れてさておいた犯人たち韓国人だよ!  事件の内容から見るか、規模から見るならば誰も犯人になることはできない!  

沖本泰幸

1964-03-25 第46回国会 衆議院 大蔵委員会 第25号

韓国側に言わせれば李承晩ラインを侵犯した日本漁船を拿捕して裁判にかけ、船は没収する、乗り組み員はこれに実刑を科してきわめて長期にわたって抑留生活をしいる、累次にわたる日本側からの釈放要求というものも受け入れられなかったというような経緯がございますが、これが李承晩政権の退陣の後に張勉政権に変わり、さらに一九六〇年の五月に成立いたしました軍事政権になりましてからは、従来の日本との関係についての考え方が大幅

前田利一

1964-02-25 第46回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第7号

なぜそういうことを言うかというと、先般自民党国会議員団代表として、これは四年ほど前になりますか、野田使節団が出まして、帰ってまいりまして、当時の張勉政権をどのように見ているか、きわめて安定している、張勉政権安定度はむしろ日本政権よりも安定しているということを実はこの国会の中でちゃんと言っている。それから四日目に朴正煕のあのクーデターが起ったわけです。

石野久男

1963-05-28 第43回国会 参議院 法務委員会 第15号

説明員富田正典君) 李承晩政権から張勉政権になった時代に入ってきた方で、現在仮放免がそのまま継続している方もありますし、一時の在留を認めておる者もありますが、政治亡命だからということが唯一理由でそのようになっておるのではなくて、ほかにも特に在留を認めるに値する理由があるかのように聞いております。

富田正典

1963-03-25 第43回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第1号

李承晩末期選挙のときに民主的努力圧倒的勝利を占めたという報告国連に出されるとたんに李承晩政権が崩壊してしまった、張勉政権のとき、張勉政権は安定しているという報告国連にいくというと、とたんにクーデターが起こった。それから韓国経済情勢はどうか、経済情勢は安定しております、こういうふうな報告を出すと、今度は経済状態が急激な悪化を来たしている。

須藤五郎

1963-02-18 第43回国会 衆議院 外務委員会 第2号

今まで、事あるごとに、——たとえば、顕著な例を申し上げますというと、張勉政権末期自民党野田議員団長とする使節団が行かれた。この中には外務省の当時の責任者も入っておる。今度は大野伴睦氏を団長とする使節団が行かれて、そして同様に朴政権安定磐石であるという説明国民にされ、そしてこの日韓会談合理性安定性というものを特に主張されたわけでしょう。

穗積七郎

1962-08-23 第41回国会 衆議院 外務委員会 第2号

伊関政府委員 今まで政治亡命というふうなことで大きな問題になりましたのはチャン・ギョングン氏というのがございますが、これはむしろ李承晩政権のときのあれでありまして、張勉政権のときにむしろ逃げて来たのでございます。朴政権になりましてこちらに亡命して来ました者で大きなケースとしてわれわれが法務省から相談を受けたケースはございません。

伊関佑二郎

1962-03-28 第40回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第2号

山本伊三郎君 今まで相当長い期間ですね、単に朴軍事政権になってからの問題でなくして、張勉政権のときからいろいろと問題を重ねてきておって、ようやくまあ杉代表も、日本代表も一応きめて、すでに本年の、少なくとも国会開会中でもこれはやるんだという、こういう総理の要するに答弁もあったんですが、どうも今の外務大臣の話を聞いておると、何だかもう問題は元に帰って、それよりももっと遠くに帰ったような印象を受けるのですが

山本伊三郎

1962-03-24 第40回国会 衆議院 外務委員会 第16号

ところが、一昨年に革命が起きまして、それで次に出て参りましたのが張勉政権であるわけです。張勉政権合法性なり法律的な継続性の問題については、これは自由なる意思による選挙が行なわれておるという点を張勉政権合法性の基礎としてこれを主張されたわけですね。ところが、今度朴政権軍事クーデターをやって生じてきた。

穗積七郎

1962-03-22 第40回国会 参議院 予算委員会 第17号

したがって大統領が存続する限り張勉政権朴政権は継続しておるのだ。政権継続性は認められるのだ、合法政権である、こういう建前を取って今日まできておられまするが、唯一合法政権である根拠である大統領が辞任をしたということになって参りますと、これは新らたな事態の発生だと言わなければなりません。朴政権合法性というものは完全にすっとんだということになろうと考えております。

田畑金光

1962-03-22 第40回国会 参議院 予算委員会 第17号

ほどの御答弁こよりますると、政権継続性については、国家再建非常措置法の十一条によって継続するものと考える、新たな解釈態度政府は明らかにされたわけでございますが、しかし今まで衆参両院関係委員会における質問に対し、朴政権合法政権と認めるのか、認めないのか、その唯一根拠というものは、先ほど申し上げたように、尹大統領張勉時代からの大統領であり、それが今日国家最高の機関の地位にあるということは、張勉政権

田畑金光

1962-03-14 第40回国会 衆議院 外務委員会 第12号

ところが、張勉政権以来その考え方が変わり、また現在の朴政権においてもさような考え方でございますので、双方でどんどん話をしてみよう、こういう機運のあることはあたりまえのことだと考えておるのであります。  その政権が安定しておるがどうか、こういうことについて考慮が払われていないという向きのお話がありましたけれども、私どもは、他国の政権安定性等について、率直に言ってこれはまだわからないわけです。

小坂善太郎

1962-02-27 第40回国会 衆議院 内閣委員会 第10号

最近張勉政権以来、この態度は変わって参りまして、おっしゃる通り、現在の朴政権は、これはクーデターでできたものでございますけれども、しかし、彼らは、私も直接その人たちに会ってみましての感想は、非常にまじめに韓国の民生と韓国経済再建について考えております。そのクーデターという形にとらわれるよりも、彼らがほんとうに韓国人を愛し、韓国の国というものを思うその情熱を、やはり買ってやりたいように思います。

小坂善太郎

1962-02-27 第40回国会 衆議院 外務委員会 第6号

張勉政権の際におきましてもこの話が出ておりました。近く交渉に入ろうということになっておりましたところ、軍事革命が起きまして、この話がそのままになっておりましたが、最近韓国人が間違って射殺されたというふうな事件も起きまして、また行政協定を早く結ぶべきだという意見が出ておりました。近くそういう方向に進むのではないかと思っております。  

伊關佑二郎

1961-12-04 第39回国会 衆議院 外務委員会 第13号

しかも、張勉政権のときにはこの問題は李承晩政権と同様に話をしたことがある。ところが朴政権では、今まで一ぺんも話をしておらないし、これからも話をしないでいく方針でしょう。李ラインの問題とか、あるいは請求権問題とか国籍問題とか、それ以上に重要な竹島問題ですから、直接これは話をし、もし向こうが友好的であるというならばそれで決着をつけるべきことでしょう。

穗積七郎

1961-12-04 第39回国会 衆議院 外務委員会 第13号

○伊関説明員 張勉政権時代には、先方代表との間にそういう問題につきましても話をいたしておりますが、今回の交渉におきましては、まだそこまでの話に至っていません。これはあながち請求権に限られた問題ではございません。在日韓国人法的地位問題等にもからんで参ります。あるいは漁業におきましても理論的には関係がある問題でございまして、こうした点につきましてはいずれ話をしたいと思っております。

伊関佑二郎

1961-11-10 第39回国会 衆議院 外務委員会 第12号

それでは一体張勉政権安定磐石だと言って、あなたの方の野田卯一団長も、伊関局長も、そういうことを帰って国民報告されたわけでしよう。これが旬日を経ずしてひっくり返った、落第生じゃありませんか。そういう外務省朴政権張勉政権と違って安定しておると口で言っただけでこれは私も信頼するわけに参りません。具体的な証左を示していただきたい。

穗積七郎

1961-11-10 第39回国会 衆議院 外務委員会 第12号

その点については何ら説明がありませんが、それでは一体今まで長く韓国との間の正常化を願っておると言われるならば、今までの李承晩政権張勉政権がその安定性——合法性だけでなくて安定性を持っておるかどうかということを検討しながら大臣は今までやってこられたでしょう。にもかかわらずそういうことをやって、しかも後に言うように軍事的かつ経済的てこ入れをしようとしている。

穗積七郎

1961-10-30 第39回国会 衆議院 外務委員会 第11号

小坂国務大臣 この日韓関係正常化を考えて以来、いろいろの御質疑があったわけですが、前の張勉政権時代に、松本さんにおいて、これは民主主義政府であるから、これとの国交を早く調整をすべしという御意見があって、その後にこの革命政権ができたから、これはいかぬのだというお話ならば、これはまた御意見として伺いますけれども、終始一貫日韓関係調整に反対である、こういうお立場からのいろいろのお話でございます。

小坂善太郎

1961-10-27 第39回国会 衆議院 本会議 第16号

そして、張勉政権安定性についても観測を誤っておったのです。自民党訪韓議員団が帰国いたしまして、そうして張勉政権は安定していると語った翌日には、クーデターが起こっておるのでございます。(拍手)杉代表を選任したことにつきましても誤りを重ねております。見通しは、こうして次々にはずれておる。このままでは第二のクーデターあるいは第二の杉事件が起こらないとの保証はありません。

松本七郎

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