1962-09-02 第41回国会 衆議院 外務委員会 第5号
なぜかと申しますと、この張勉内閣時代には、南北統一、民族独立運動が自由にできたわけであります。そこで、日本における各大学の留学生なんかが先頭に立ってやった。どこのところでも学生というものはそういう進歩的な先頭に立つものであります。ところが、そのリーダー格になっている者は朴政権にそれぞれ皆どうもリストに載っておるらしいのであります。
なぜかと申しますと、この張勉内閣時代には、南北統一、民族独立運動が自由にできたわけであります。そこで、日本における各大学の留学生なんかが先頭に立ってやった。どこのところでも学生というものはそういう進歩的な先頭に立つものであります。ところが、そのリーダー格になっている者は朴政権にそれぞれ皆どうもリストに載っておるらしいのであります。
○猪俣委員 それから、これは申し上げるまでもないのでありますが、李承晩内閣時代あるいは次の張勉内閣時代といえども、まだ南北の統一の運動をしたということだけで直ちに刑罰に処せられたというようなことはなかったわけですから、日本における連中も、自由にそれをやっておったわけです。
そこで、この革命政府の合法性と申しますか、前の内閣との継続性があるかどうかという問題になりますと、張勉内閣時代の大統領であった氏がそのまま留任しておる。これは継続性を示すものだ。ところが、その間一年たちまして、そうして国家再建非常措置法という法律ができまして、これはユン・ポソン大統領の治下でできた。これの第十一条に、ユン・ポソン大統領の事故のある場合を規定しておる。
失業者が増大して李承晩、張勉内閣時代よりはるかにひどくなっている、こういうことを聞いております。そういう政情不安、さらにこうした朴の悪政に対して当然人民は立ち上がらざるを得なくなった。南北の統一を目ざす人民の闘争は非常に底から上がってきている。そうしてそれとともに、南朝鮮人民の反米機運もまた急激に高まって、最近こういう事件が起こった。