1976-03-04 第77回国会 参議院 文教委員会 第4号
堺のいわゆる仁徳陵の南の方で、いわば弥生遺跡の宝庫であります。日本最大の先祖の遺跡と言っていいと思うのです。御承知のとおり、これについては日本考古学協会、第二阪和国道内の遺跡調査会、大阪府和泉市、それが住民運動に支えられまして、いままでの間、法も昨年強化されるまでは文化財保護法の不備な状況の中で発掘保存に努力をしてきたところであります。
堺のいわゆる仁徳陵の南の方で、いわば弥生遺跡の宝庫であります。日本最大の先祖の遺跡と言っていいと思うのです。御承知のとおり、これについては日本考古学協会、第二阪和国道内の遺跡調査会、大阪府和泉市、それが住民運動に支えられまして、いままでの間、法も昨年強化されるまでは文化財保護法の不備な状況の中で発掘保存に努力をしてきたところであります。
たとえば、平城宮の跡は国道二百四十二号のバイパス、藤原宮跡は国道百六十五号のバイパス、四つ池上の弥生遺跡は第二阪和国道の場所だ、難波の宮跡は近畿の財務局の第二合同庁社、社会施設をつくる、岡山県の津島の遺跡は県立の武道館がある、浜松の伊場の遺跡は国鉄の高架の電車区の建設の土地である、山陽新幹線で福山市の福山城、三原市の三原城、惣ケ池遺跡は日本住宅公団の宅地造成、何のことはない。
まず一つ、これまで弥生遺跡とされていた伊場遺跡は、広く西方地域に広がり、時代は縄文期に始まって平安中期にわたるものであることが明らかになっておる。これは御異議ございませんか。御異議があれば言ってください。——じゃ、御異議ないことと思います。 第二は、七世紀から十世紀初頭に及ぶ木簡が六十二点も発掘された。
そして「弥生遺跡はいくらでもあるというが、九州で保存されたものは一つもなく、全部破壊されてしまったことも考えねばなるまい。」と私に対する手紙でいってきております。
日本の歴史書のあとづけといいますか、そういう面からも重要な問題を含んでいるという史跡、池上の弥生式遺跡、四ッ池の遺跡、さらに観音寺山の遺跡、それから惣ノ池の遺跡、この四つのことをこの前申し上げたと思いますが、特に池上の弥生遺跡と四ッ池の遺跡は第二阪和国道、これは万博を前にして、建設省が建設を急いでいる国道のために、まん中からまっ二つに分断されようとしている。
その四つというのは、池上弥生遺跡、四ツ池の遺跡、観音寺山遺跡、惣ノ池遺跡、これは信太山遺跡ともいっておるようです。観音寺山遺跡は三井不動産、惣ノ池遺跡、信太山遺跡は日本住宅公団、四ツ池の遺跡は第二阪和国道のところに当たっている。こういうようなことで、いずれも非常な破壊が進んでおるというふうに聞いております。