1980-03-06 第91回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号
したがいまして、確かに日赤の看護婦が引揚業務に参加をした、これは国の要請、決して国は責任を回避すべきではないと私は思います。しかし、その雇用関係というものについては、これは日赤本社との間になされたことである。したがいまして、ことしから慰労金として支給をいたしておりますこの従軍看護婦に対する支払いの業務は、日赤との雇用関係において日赤が果たしておる。
したがいまして、確かに日赤の看護婦が引揚業務に参加をした、これは国の要請、決して国は責任を回避すべきではないと私は思います。しかし、その雇用関係というものについては、これは日赤本社との間になされたことである。したがいまして、ことしから慰労金として支給をいたしておりますこの従軍看護婦に対する支払いの業務は、日赤との雇用関係において日赤が果たしておる。
この引揚業務につきましては、マッカーサーの指令によりあるいは連合軍の指示を得て政府の行う業務として、その担当が厚生省、そういう形で引き揚げが行われたわけですが、その要請に基づいて日赤は救護看護婦として戦争中に海外に派遣をし、そして戦争が終わった。
○松田(正)政府委員 ただいまの問題は、引揚業務に従事をいたしました日赤救護看護婦の処遇の問題でございまして、これには二つの問題点があろうかと思います。 その第一番目は、かような日赤の救護看護婦さんたちが、引揚業務、これは戦争と非常に密接な関係がございますけれども、こういった業務に従事をいたしました時期の問題が一つございます。
御承知のように、引揚援護局は、引き揚げの業務が主たる立場で出発をいたしましたけれども、現在におきましては、直接の引揚業務というものは非常に少なくなっております。現在、未帰還者として一応私どもの考えておりますものの数は、大体二万三千人見当と考えております。そうして毎年内地にお帰りをいただく方は、大体、年間百四、五十名程度でございます。
この引揚を省くということですが、引揚業務というのは、まだ未帰還調査がそのまま残って、調査官もくっついてそこで調査をしているはずですね。引揚業務は終わったということで、引揚援護局の引揚を省くのでございますか。
そして、従来円滑にやっておった引揚業務が、こういうことによって支障を来たすんじゃないかということを、一般の方々、係官、国民ひとしく非常に憂慮しておったのでありますが、関係者の十分な話し合いが続きまして、私たち委員が白山丸の船長室に午前十一時に参りまして、船長と引揚三団体代表と今回の引き揚げ経過についていろいろ話をしている間に、一般の帰国者がまず次から次へと船をおりて祖国の土を踏み、そしてこの一般帰国者
なお、昭和二十八年三月第一回の引揚航海以来、今回まで実に二十二回の引揚業務を行い、その間、引揚者約二万人を祖国に迎え入れた帰国船興安丸は、今回をもちましてその業務を終止いたしました。同船長玉有勇君を初めとし、その業務に精励されました船員諸君の労苦を深謝するものであります。 以上、簡単ではありますが、報告を終ります。
また、このたびの引揚船が本来の引揚業務とともに、非常に多数のそれ以外の人々を乗せて帰ってきたので、引揚船としての影が薄いといわれていますが、これらの問題は、ともに日本と中共との国際関係をどうするかという外交の基本的課題にもつながる問題でありまして、いろいろと考えさせられるものがあると思います。 以上報告を終ります。
ところが、厚生省はこの際大幅に修正案を用意されたということに敬意を表するのでございますが、未帰還調査部の職員の三十一年度から三十二年度に減る分を食いとめて、そして未帰還調査を徹底させるというこの原則を大臣は強硬に押しまくられる熱意を持つか、また舞鶴の引揚援護局は、長きにわたって引揚業務に従事された国民に親しまれた人道のセクションです。
未帰還調査部の三百一名については、厚生大臣が引揚業務に関与する職員をと一括して率いておられる立場上十分説明を願わなければならぬ。二十九年からの年次計画を途中から改めなければならないような事情があるならばある、そうして八百十一名という数字はどういうところから出したのか、これは今後どうしなければならぬ、都合によればこれを減らすとかふやすとかいう必要もあるという点について、大臣の御答弁を願います。
○受田委員 小林厚生大臣にお尋ねいたしますが、厚生省は年次計画的に人員整理を引揚業務に関与する人々に対していたしておるわけです。
○受田委員 一応万全の措置をとる態勢にはなっておるようでありますが、現実に千二百四名という三十年の引揚業務に関与する職員、そのうち整理される人々の中でどれくらいが職業についておるでありましょうか。
それから引揚者の動向については非常に温和静穏でありまして、いずれも帰国の感激にあふれて、引揚業務についても非常に協力的でありました。 以上申し述べましたことは、いずれも引き揚げそのものが自来と異なった点でありますが、従って引き揚げ及び引き揚げ援護についても新たに調整及び対策が必要と存ずる次第であります。 なお今回の引き揚げに際しまして遺骨の四十五柱が引き揚げて参りました。
次に健康状態につきましても、入院患者は、中共地区は引揚者の五%でありますに対して、ソ連地区は七%でありますから、ソ連地区には不健康者が多いということでありまして、従って舞鶴援護局におきましても、特にレントゲン、血圧の検査等を引揚業務として実施しておるのであります。最近ソ連地区の高血圧症が多く、引揚者の二二%を占めておる状態でございます。
引揚業務は午後十時頃から十八日の午前四時半までかかりまして、非常に業務が長くなつたのでございますが、運搬するトラツクの数が非常に少かつた。トラツクに乗せる人の数が又少かつた。
上陸半ばにして派遣委員一行は参議院の厚生委員会から派遣された方々とともに興安丸におもむいて、このたびの引揚業務並びにソ連の情況について説明を聞くと同時に、引揚者の医療業務に船中で携わられた人々に深く謝意を表して参つたのであります。
これは今あなたも申されましたように、現在の職員の中で、特殊の技術とか、あるいは特殊の職務上の知識というようなもので――たとえば引揚援護庁の職員のごとき引揚業務に従事する者等におきまして、このたびこの本年かぎの特別待命制度の適用を受けることでははなはだ不公平なおそれの仕事を担当している人があります。
それから昭和二十年の九月二日、いわゆる降伏文書調印の日でありますが、それ以後において日本軍の、たとえば弾薬の投棄作業をやつたとかあるいは引揚業務に従事したとかいう船舶、これも船舶運営会に所属しておらないで、現地でちよつと雇われたような形のものですから、軍の仕事ではありますけれども、船舶運営会に入るひまのなかつたこれらの船の乗組員、あるいは直接南方の海域へ派遣されておりまして、現地軍の指揮下に入つておつたもので
これに携わる職員の諸君はそうしたやがてはだんだんに整理されて行くということを知りつつ、曽つてもこうした引揚業務に携わつておつた方が中心でありまするが故に、極めて熱心にこの仕事をやつて来られたわけであります。
私どもといたしましては、そういうような事情もございまして、あの中では大体引揚業務に直接関係のある、援護業務に直接関係しますものと、それからあとは入国の関係の手続をいたしまする関係及び検疫とか税関とかいうもの、それからいろいろな金の支払関係の銀行関係とかいうものだけに場所を提供するということにいたしております。
従つてこの引揚援護庁の任務は、引揚業務から援護業務へ、正しく申せば戦没者、遺族及び傷痍軍人に対する国家補償の業務に転換したわけでありまして、諸外国、特に西ドイツあるいはイタリア等におきましても、戦争犠牲者に対する補償には、それぞれ国家総予算の二〇%以上をさいておるのであります。
併し人員は減りましてもまだ未帰還者が数万人、未だに行方不明のかたを数えますと、三十万人という厖大な我々同抱のことを考えますと、一人でもやはり引揚未復員者がはつきりしない限りは引揚業務は完了とはこれは私は言えないと思います。
○津村証人 ナホトカにおいては引揚業務に協力しておりました。
ソ連領からの引揚者中共産主義教育により相当尖鋭化された者もあり、引揚業務を妨害し、秩序破壊その他の煽動を行なつておるが、これら尖鋭分子を他の引揚者中より引拔き、分離して業務を円滑に推進するため、内偵捜査の従業員は苦労を重ねましたが、これに要した経費中、更に経費は領收書が徴收できませんでしたが、支出及び金額に相違ありませんから御承認をお願いいたします。