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27件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1959-02-10 第31回国会 参議院 社会労働委員会 第9号

私は、この際衆議院引揚委員長にお尋ねするが、フィリピンのルバング島に残っておる二人の元日本軍人が、最近の新聞紙上を見ても伝えられておるが、この二名の元軍人生存者が明確にある。この二人の兵士をどうして救い出すか、どうして日本に帰還させるか、いかなる方法をおとりになろうとしておられるか、これは当然田口委員長にもお考えがあろうと思います。

山下義信

1955-07-04 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号

ただいまの住宅の問題などにつきましても、私が引揚委員長をしておりますときに、初めてソ連からの引揚げが再開せられましたとき、あまり破れ果てた引揚寮にお入れしてはいけないというので、たまたま大森寮は視察をいたしました。そうして壁の落ちているところ、あまり畳のきたないところ、そういうところを東京都が責任を持って修理いたしたのであります。

山下春江

1953-08-06 第16回国会 衆議院 議院運営委員会 第35号

これは海外同胞引揚委員長山下春江君、そちらの方から提案になるものでございますが、これを適当にはめ込んでいただ身たいと思います。  それから請願でございますが、これはほんの数分間で済むことでございますし、三千件以上ありまして、印刷能力が一ぱいでございます。まだ明日の分が三千件ばか残りつておりますから、これはぜひ上げていただきたいと思つております。

大池眞

1953-03-11 第15回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第4号

それに対しまして、委員長初め衆議院引揚委員長も交渉に当られて、委員長たち責任を持つて静粛にさせるから是非あの人たちを入れろと言つて交渉したにもかかわらず、厳として向うはそれを拒否して、結果としてああいう残念な結果になつたと思うのですが、私が今後一番心配しておりますのは、舞鶴へ帰つて来る人たちに対しましても、夕ベのようなああいう取越苦労をしたような過ぎた警戒というものが若しもなされるとしますならば

須藤五郎

1953-03-05 第15回国会 衆議院 内閣委員会 第20号

○木村(忠)政府委員 ただいま佐藤引揚委員長から提案理由説明が、ございました。引揚援護庁は本年度末まで外局でありますものを、明年の三月三十一日までそのまま存置するということにつきましては、引揚援護庁といたしましては、これはぜひともそうある方がいいということに考えておるのでございます。

木村忠二郎

1952-02-23 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号

今日お答えができなければ早急に、この引揚げ対策についてはこういうようにやるのだ、また政府だけでできなければ、民間もこういうようにひとつ協力せよということで——この間も遺骨引揚げについては、政府をさしおいて遺骨奉還慰霊の大委員会を設置するような運動が起つておりまして、これは引揚委員長初めわれわれもそれに関與いたしおるのであります。

若林義孝

1951-08-03 第10回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 閉会後第6号

安井謙君 私一言、今度の問題は、ありていに申しまして、どうもあの大会よりもそのあと政府とのやりとりにおいて、大会幹部が、非常に政府に冷淡に扱われたと言いますか、不親切に扱われた、こういつた感じが発端になつたように思つておるのでありますが、幸いにしまして厚生大臣初め、外務省政務次官或いは引揚委員長の努力で格別の不詳事がなくて済みましたことは非常に結構と思います。

安井謙

1951-03-17 第10回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第7号

今週中の委員会以外で、委員長皆様の申合せによつてやりましたことを一応御報告申上げますが、そのうちの最初の一つは、例のフイリピン戦犯に対するところの処刑に対する減刑歎願、これは皆様の御協力を得まして先般GHQリーガル・セクシヨンへ行きまして、フイリピン大統領キリノ氏宛に、この委員会委員長名を以ちまして減刑歎願の案文を提示しまして、GHQの許可を得て、更にこの十三日衆議院若林在外同胞引揚委員長

千田正

1951-03-13 第10回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

それからあと復員局外務省の人や議会特に引揚委員長のかたなんか、重大にお考えになりまして御盡力になつてから、一応今死刑執行をとめた形式になつております。併しこれが又全然これから実行しないかとなりますと、私はそうそうはつきり言えないだろうと思うのです。やはり一応考慮しますということは大統領から言つて来ております。そうしますと、あとに残つておる六十名というものが危険な状況に今あると思います。

神保信彦

1950-11-13 第8回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 閉会後第4号

本件につきましては、結局のところ両院の引揚委員長、千田理事及び衆議院堤委員の四角でシーボルド議長にお会いをいたしまして、国会の意思をお伝えいたしましたところ新聞で御承知通り中山、齋藤及び倭島の主君が国民代表に選ばれまして、御出席下さることになつたのであります。参議院側からは誰も選ぶことができませなんだが、これは全く人員の関係で止むを得ず以上の三名に決定した次第であります。

大谷瑩潤

1950-04-28 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第14号

ところ参議院の岡元引揚委員長とあなたの名前で、偽名者三百名ということが出ておつたのです。これは委員長はおそらくお知りにならぬと思いますが、そういうことが新聞に出るということ自体、とにかく向うにまだ戰犯か残つておることは、タス通信てもはつきりしているのてすから、これに対してとういう影響を與えるかということを心配するわけです。

竹村奈良一

1950-04-11 第7回国会 衆議院 議院運営委員会 第44号

玉置信一君 それでは、引揚委員長中山さんがただいま所用があつて外出されておりますので、私にかわつて説明してもらいたいということでありますから、私より一応概要を御説明申し上げます。  昨日の委員会におきまして、私欠席をいたしておりましたが、ただいま申請して参りましたような舞鶴に対する委員派遣の議が、委員会で満場一致で決定されたわけであります。

玉置信一

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