1954-12-06 第20回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号
その当時私たちは遼陽の光華機械廠の機械部内で働いておつたのですが、間もなく引揚げるということになりまして、昨年の三月から引揚げ開始ということで、私たちも四月ごろから同工廠内で帰国の学習をやつた。帰国の学習というのは、中国の今までの発達の歴史とか、生産量とか……。
その当時私たちは遼陽の光華機械廠の機械部内で働いておつたのですが、間もなく引揚げるということになりまして、昨年の三月から引揚げ開始ということで、私たちも四月ごろから同工廠内で帰国の学習をやつた。帰国の学習というのは、中国の今までの発達の歴史とか、生産量とか……。
しかしながら、別表の分布状態は昨年の集団引揚げ開始から終了までのものでございます。その後において相当人員の移動が行われた模様でございます。すなわち、昨年の十一月から旅順、大連、安東地区の残留者のうち約千五百名が承徳、石家荘、東京、長沙、重慶、貴陽、昆明、成都付近へ移動させられたことが、その留守家族に対する通信によつて判明いたしておるのでございます。その残留者の大部分は留用者でございます。
最後に伺いますが、引揚げ開始の時期はいつ頃と予想されますか。
また厚生省設置法の一部を改正する法律等の一部を改正する法律案は、中共地域からの引揚げ開始に伴い、その業務の万全を期するため、引揚援護庁を明年三月末まで現機構のまま存置することとして、関係法律に所要の改正を行おうとするものであります。
また、引揚者の受入れ、援護と並んで、在外未帰還者の調査究明は政府の重大な任務であり、今回予期される集団引揚げの実現によつて、必ず有力にして広汎な調査資料が得られることが期待せられ、引揚げ開始後相当の期間は、この面においても引揚援護庁の機能を一層活発化することが必要でなると信ずるのであります。
ですから、どんどん進みますが、いつを引揚げ開始の時期ときめるということは、どういう点であるかわかりませんが、ただ実際上、かりに人を出す、あるいは船を出す、ことに船を出すということになりますれば、相当の金が必要と思います。それで政府としては、出してみれば何とかなるというようなことで出すのも、なかなかむずかしいのであります。
しかし引揚げ開始以来、帰つて来た引揚者の中で、集団住宅に入つている者はもちろんのこと、集団住宅以外に住んでおられる引揚者の方も相当多数ありますので、こういつた人々に対する予算上の措置がまだできておらなかつたわけであります。
これは新帰還者が昭和二十三年度の帰還者より一段と積極化しており、全員入党の決意をしているということを、右の指令ではつきりいつているのでありますから、日本共産党には、引揚げ開始の二箇月も前に、どんな人たちが帰国することになつたかが連絡されていたことがわかると同時に、新帰還者の受入れの闘争を準備していたことがはつきりするのであります。
昭和二十一年第一次の引揚げ開始以来、昨年末までに至る函館に樺太、千島から引揚げた総数は二十八万七千五百九十五人になつております。このうちに無縁故者のみにでも五万七千五十四人という名数を算しておるわけであります。
次に引揚げ促進について、日本における引揚げ態勢の受入れ施設が完備していないからできないのだという声をソ連地区からの引揚げ開始以來しばしば耳にいたしますが、引揚げ態勢、受入れ態勢ができておらぬというのは具体的にどういうことであるのか、言う人によりまして、また場合によりまして、いろいろ区々にわたつておりまして、大別いたしますと、第一に船がないということが一つ、第二に援護局なり家に帰るまでの態度なり取扱いがはなはだいかぬという
一、今年引揚げ開始以来すでに一箇月を経過しているが、この間において、患者受入れのため何ら具体的対策を講じていないように考えられますが、どうでありますか。
なお、今回の引揚げ開始にあたり、樺太引揚者の中に無縁故者が予想以上の多きに上つておりますので、これが受入れ援護に遺憾のないよう、急速に対策を講じたいと思つております。