2021-06-02 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第29号
内閣官房副長官、内閣危機管理監及び内閣情報通信政策監、国家安全保障局長、内閣官房副長官補、内閣広報官及び内閣情報官、内閣総理大臣補佐官、副大臣、大臣政務官、大臣補佐官、内閣総理大臣秘書官及び国務大臣秘書官並びに特別職たる機関の長の秘書官のうち人事院規則で指定するもの、就任について選挙によることを必要とし、あるいは国会の両院又は一院の議決又は同意によることを必要とする職員、宮内庁長官、侍従長、東宮大夫、式部官長及
内閣官房副長官、内閣危機管理監及び内閣情報通信政策監、国家安全保障局長、内閣官房副長官補、内閣広報官及び内閣情報官、内閣総理大臣補佐官、副大臣、大臣政務官、大臣補佐官、内閣総理大臣秘書官及び国務大臣秘書官並びに特別職たる機関の長の秘書官のうち人事院規則で指定するもの、就任について選挙によることを必要とし、あるいは国会の両院又は一院の議決又は同意によることを必要とする職員、宮内庁長官、侍従長、東宮大夫、式部官長及
ジャパンフラワーセレクション二〇一二、切り花部門ベストフラワー賞、新花コンテスト二〇一二、第一位となりました紅式部。二〇一二年にドイツの園芸国際見本市の切り花部門で最優秀をとったロイヤルホワイト、どちらも、非常に世界に誇れる品種になっております。 このスイートピー生産についても、巻きひげ取り作業に大変大きな時間がかかるということで、労働時間はバラやカーネーションの約三倍ぐらいかかる。
これがあったから、女性の紫式部や清少納言の文学はみんな仮名の上に成り立っている。日本人というのはそういう立派な文化遺産を持っている。あるいは、伝統芸能について調べてみる。 こういう上に誇りを持つ心が自然に養われてくるということを期待しているわけでして、心をあらかじめ政府があるいは政党が教えるということは私は否定的でございます。
今度は海軍から宮内省に国歌をつくってはどうかということで、宮内省の式部寮雅楽課が君が代をつくる。そのときエッケルトというドイツの音楽家も協力する。この林という人はどうもこの雅楽課におられた人ではないかということになるわけです。 しかし、この曲も実は余りうまくいかなくて、文部省はその後さらに国歌の選定を音楽取調掛に命じている。
○上吉原一天君 今のに関連して、宮内庁の職員、これは過去においてこの叙級制度が直接適用されない官職、例えば東宮大夫、式部官長、女官、東宮侍従などが置かれているわけですけれども、これらの任用の根拠は現行法上あるのでしょうか。また、これらの職員の服務関係、これはどのような法的規制が課されているのか、お伺いをいたします。
今、先生が言われた紫式部にしろあるいは遠く卑弥呼とか、そういうことで、私は本来的には、日本の社会における女性というものは非常に強かったという面もあったと思います。 今、教科書の問題ですけれども、中学校の歴史教科書を私もずっと見てみますと、具体的には申しませんけれどもかなり出ております。マイナス面というかそういうところばかりではなくて出ております。
そもそも大蔵省ができたのは、六四五年の大化の改新後、唐を模範とする律令制が導入され、二官八省が設置され、太政官のもとに中務、式部、治部、民部、兵部、刑部、大蔵、宮内の各省が設置されたときにさかのぼります。このときの大蔵省には典鋳、掃部、漆部、縫部、織部の五つのつかさが所属しておりました。度量衡の管理以外はいずれも物をつくる仕事が主で、今で言えば現業部門であります。
また、私も言葉の上で、余り知識はございませんけれども、今おっしゃった上代、奈良時代、八〇〇年ごろまでの中で、例えば文部省という言葉はどの辺にあるんだろう、こう思いましたら、七五〇年代に式部省をいっとき文部省としたという時期があった、そういう流れを見るだけでも大変参考になることも多いわけでございますので、上代から現代まで、これは国民としてもできるだけ早くつくり上げてもらいたいものだと、これは多くの方が
具体の問題といたしまして、先般、五十九年四月のときの御議論を私も鮮明に覚えているわけでございますが、埼玉鴨場についての御指摘があったわけでございまして、あの御質問が済みましてからその当月中に早速に埼玉県及び越谷市とも、担当の式部職でございますが、連絡をとらせて協議をいたしました。
○堀委員 私は、前式部官武田さんの書かれたこれを読んでみまして、この方は北欧でずっと外交官をやった。北欧の王室は世界で一番開けていますが、どうも一番開かれていないのが日本の皇室だと私も思うのです。中間にイギリスがあるとこの方は認識をしており、私もそういう認識なのですが、その中間のところに実はこの前、浩宮さんが二年間留学された。
宮内庁の方から外務省の官房にクレームがあったなんて書いているけれども、皆さんもそんなつまらぬことをなさるとは思ってないので、私はその新聞記事を信用しているわけじゃないのだけれども、この中に書かれておることは、この人も私と同じように、日本における象徴天皇というものが、少なくとも国民から愛される象徴天皇、国民の総意によって親しまれる皇室になるということが非常に重要で、そのためには、はっきり物を言う人が式部官
○内藤功君 そこで、私最近読みました元侍従職の入江相政さんの「宮中侍従物語」、それから針生誠吉氏外がお書きになった「国民主権と天皇制」、これをちょっと読んでみたんですが、これを読みますと、宮内庁の式部職の儀式第二係という職員の方が掌典職を補助して祭儀を手伝ったり、祝詞、お祝いの言葉を書いたりしていると書いてある。
そのほか特殊な職種といたしましては、たとえば式部職所管に楽部というものがございます。そこに楽師というのがございますが、これはいわゆる雅楽を中心にやっている者でございます。こういうのがございます。
これは、長官でございますとか、侍従長、侍従次長、式部官長、それから女官長、東宮大夫といったようなことが御案内のとおりにずうっと上の方の人で、これは年齢ははっきり言って高うございますが、これは事柄の性質上さようなことに相なっていると思います。
ただ、いま宮下さんという方は何をおやりになっていますかね、宮内庁式部官補佐。これはいまから四年ぐらい前に出された本ですね。この方の書いた本なんですよね。そのページの中にそういうことが書いてある。私が言うのは、旧皇室祭祀令は失効してなくなったにもかかわらずほぼ同じようなことが行われている。現実に。
○政府委員(山本悟君) いま宮内庁の方でいろいろと調べたり、あるいは当時の先輩から聞いたりしたいろいろな観点から総合的に判断をして申し上げますと、当時の式部官長がどういう行動をしたかについては、いま確認をする手段もございませんし、一切記録がない。
○政府委員(山本悟君) この報道に関しましてのいろいろの事実につきまして宮内庁といたしましてもいろいろ調査もいたしたわけでございますが、当時の式部官長の松平氏の行為につきましての記録というのは一切ないわけでございまして、天皇が口頭のメッセージを託したというような報道になっているわけでございますけれども、さような事実については一切確認ができません。
過去の例で見ますと、大体において公家の会合で発議がありまして、それを式部省、特に先ほど申しましたように、文章博士が幾つかの案を出す。これは一つではございません。明治以降になりますと、これも枢密院がいろいろなところに諮りまして、そしてやはり幾つかの案が出ております。
大宝律令には二官八省あって、神祇官、太政官があって、太政官には中務、式部、治部、民部、兵部、刑部、大蔵、宮内と八省があった。そういうものが省のスタートである。これはやはり国家行政組織の歴史をずっとひもといていって、そして将軍、幕政から明治に来て省が復活している。
長官を初めとして時従長、その他式部官長も認証官――なっていない。そうするといま認証官は時従長とお二人だけだね。その認証官で、宮内庁に二人いらっしゃる方々は、特別の認証儀式をお受けになるというわけでございまして、その認証官たる特権というものは別にない。単に認証式によって認証官と称せられるというだけの特典ですか。
房管理室長 島村 史郎君 内閣総理大臣官 房総務審議官 佐々 成美君 宮内庁次長 富田 朝彦君 皇室経済主管 石川 一郎君 外務省アメリカ 局長 山崎 敏夫君 委員外の出席者 宮内庁長官官房 参事官 福留 守君 宮内庁式部官長
そして式部官長におなりになって、宮内庁においでになるわけでありますが、英国においでになった天皇が、一体どういう形で——三国同盟の歴史をたどれば、敵味方だった時期がある。ここに表現されておりますのを読みますと、陛下がおいでになったときに、英国と日本との間はいいときもあったが悪いときもあった、こういう話が出たという。
そこで永井先生、あなたは文部大臣になられた瞬間に、文部省という役所を、文教とかいろいろとあるが、大宝律令の中に出た式部、治部、民部、兵部、刑部、大蔵などという旧式の名称が用いられていることに対して、素直にどういう感じをお持ちになられたか、御答弁を願います。