2005-12-21 第163回国会 衆議院 国土交通委員会 第12号
○北側国務大臣 購入者に引き渡した物件については、一つはグランドステージ弁天橋、もう一つはグランドステージ八丁堀でございます。購入者と売買契約を締結した物件については、これはグランドステージ船橋海神です。
○北側国務大臣 購入者に引き渡した物件については、一つはグランドステージ弁天橋、もう一つはグランドステージ八丁堀でございます。購入者と売買契約を締結した物件については、これはグランドステージ船橋海神です。
つまるところ、産業道路方向から弁天橋に抜ける小さな生活道路といってもいいような一車線ずつのところの大型車の流入など、交通規制などによって安全性を図り、渋滞を緩和していくべきだと思いますけれども、警察庁、いかがでしょうか。
大田区内の産業道路方向から弁天橋に抜ける道路における交通問題に関しましては、これは幅員が大変狭い、狭隘であるということから、弁天橋において、東京都公安委員会によりまして、十時から十八時までの間、大型貨物自動車及び大型特殊自動車通行どめの交通規制を実施しているところでございます。
私は以前、新潟の弁天橋病院の倒産のときに、そこの病院に労働組合を急遽つくりまして、組合員として患者の対応を検討したこともございます。ぜひこのことによって患者、被保険者の不安がないようにしていただきたいというふうに考えております。 医療費削減の気持ちもわからないではないんですが、国民皆保険制度の堅持のためにまず何をなすべきか。
弁天橋病院という、たしか百二十か百五十の病院が新潟市内にありました。これは昔社会問題になりましたいわゆる乗っ取り、乗っ取られたわけです、はっきり申しまして。そのときに、この病院は労働組合がありませんでした。それで急遽私なりで労働組合をつくりまして、今その病院に入院している患者を具体的にどうするか。院長はいないんです、逃げて。
あるいはまた、これも大阪の関係の人間が、新潟で弁天橋病院というのがありました。それはやはり乗っ取りといいましょうか、百床程度の病院で大変経営が苦しかったと思うのですが、そこに経営の専門家と称して病院に入り込んできて、そして手形をぱくるとか大変なことをして、その病院が実は倒産をしているわけであります。
そうすると、弁天橋の手前あたりというのは非常に人家が密集していますね。これはあのころ追われた人たちが、急に二日間で行くところはないわけですから、みんな軒下に雨露をしのいだり、本当に肩を寄せ合っていた、それがそのままかなりな部分残っているのです。だから、あの辺の小さな、それこそ地震でもあったらどうなるかと思うような町並みになっているというのが現実なんです。原因がそこにあるのですね。
二千八百九十四人、三百二十戸など、これが家を壊して、例の弁天橋から向こうへ追い払われたわけですね、橋一本ですから。当時は運搬手段というものは当然ないわけですね。本当に人間の背中で背負えるだけの家財を持って、たった二日で向こうに行ってしまえということで、これはいかに敗戦の直後とはいえ、実に惨めな事態があったわけですね。だから、これは今もその痕跡がいろいろあるわけであります。
そうして成功を誇示したのは、おそらく、弁天橋付近の闘争で全学連が主導権を握り、警察はたじたじとなって、幾台もの警備車を焼かれ、警察側にのみ数百人の負傷者を出したのに、全学連側は負傷者も被検挙者も非常に少なかったことをさしたものと推察されます。また、三派全学連は、佐世保闘争の自己評価の中で、武装デモと直接行動により七〇年闘争の突破口を切り開いたと、その成功を誇示しておるのであります。
これは場所は弁天橋でございます。ここには当日午前九時過ぎから反代々木系の学生が約八百名押しかけてまいりまして、警察官に対して激しい投石を繰り返したのでございます。このため、この警備配置についておりました警察部隊は、弁天橋の西詰めに警備車を配置をいたしまして警備阻止線を配置しておったわけでありますが、この投石のために後方に待避をいたしました。
それから八日の八時ごろから高速道路、鈴ケ森、萩中公園、弁天橋、そういったところにそれぞれの学生のグループが集まって、八時ごろから警官隊と小ぜり合いを始めておった。十時三十五分に、佐藤総理の飛行機が出発された時刻直後のようでございますが、穴守、稲荷、弁天橋、これらの橋の警備に当たっていた警官隊に対しまして、学生デモ隊が投石あるいは角材、丸太等で襲いかかり警官隊と激突を始めた。
当日の、これは弁天橋という橋が中心でございますが、一番南側の橋でございます。弁天橋上に警備車両四台を置いて、これを阻止用に使っておりました。配置の状況は二段配置でございまして、橋の中央部よりやや西側でございますが、そこに八の字型に警備車両二台を配置いたし、その背後に警備車両二台を第二段にかまえておったわけでございます。
また、弁天橋では阻止線にあった警備車一台を奪い、これを暴走させて、学生一人をひいて死亡させております。このほか、空港内では国貿促など約三百人が空港ビル前にすわり込んで気勢を上げて、警察の規制を受けております。 この日、警察庁では現場に警察官二千三百人を動員をして、総理の安全かつ円滑な出発を期して警備に当たりました。
第一方面本部長は、地域的には、空港に入ります三つの橋がございますが、北から穴守橋、稲荷橋、それから一番南が弁天橋でございます。弁天橋と稲荷橋の中間に空地がございますので、これに警備本部を置きまして、任務は空港外の警備及び整理でございます。
○中島(巖)委員 それから具体的の問題として弁天橋のあるところの弁天ですが、あの狭窄部はあのままでおくのですか、それとももっと広げるのですか、これはまだきまっておりませんか、その点をお伺いしたい。
また弁天橋の上に、これは昔からありましたいわゆる制水のような格好になった大きな岩がありまして、その岩から渡船場になっておったのでございますが、その岩が全くわずかに痕跡を残して今は埋没している。それが上流十六キロの埋没の姿でございますが、そういう不動点の埋没した姿から見ましても、これは昭和三十二年以前もそういう姿になっておりまして、現在はそれ以上に堆積しておるわけでございます。
なお上流の松尾、下久堅、水神橋、弁天橋付近は五メートルないし三メートル、その他上流、喬木、上郷、座光寺、豊丘、高森等におきましても順次上昇しておったのでございまして、影響は顕著であるのでございます。さらに、川路付近では、すでに今回のみでも二メートルくらいの上昇をいたしておったのでありまして、今回大災害を招来いたしたものと存ずるのでございます。
ついでに弁天橋も申し上げますと、これも前後一キロの間でございますが、これは三十年から三十五年までは一応四十四センチの下降を示しております。それから三十五年から三十六年が八十九センチの上昇、十八年から三十六年までが六十四センチ。これは、毎年観測いたしました資料に基づきまして、一応検討した結果でございます。
そこで警備力もフィンガーでありますとか、ロビーであるとか、あるいは弁天橋、ああいう周辺に主として配備をしておったのでございまするが、昨日の事件は、いろいろの見方もございますけれども、ふとしたことから弁天橋付近におりました労組員の大衆が空港内にかけつけて入り込んできた。
○中島(巖)委員 中部地建にお尋ねいたしますが、中部地建の中島局長は、やはり同日の委員会におきまして、門島関係におきましては——時間が長くなりますので途中略しまして、中心だけ読みますが、「さらに南原橋付近からダム上流十九キロ付近の小川川の合流点、つまり弁天橋から二キロほど上になります、この付近までは堆砂の傾向が認められまして、最深部の河床上昇が平均一メートル程度と考えられます。
さらに南原橋付近からダム上流十九キロ付近の小川川の合流点、つまり弁天橋から二キロほど上になります、この付近までは堆砂の傾向が認められまして、最深部の河床上昇が平均一メートル程度と考えられます。それから小川川合流点付近から上流につきましては、年々河床の変動がありますが、これは高くなったり低くなったりという状態でありまして、河床上昇の傾向があるとはっきりは申し上げられない程度だと思います。
続いてそこから五百メートル上流の姑射橋において十六メートル、堰堤より約九キロの地域であります天伯岩地籍において十二メートル、さらに十一キロ上流の場所であります天竜橋においては六メートル、次いで南原橋において四メートル、水神橋において三メートル、弁天橋において二メートル、座光寺・喬木村間の土曽川と小川の支流でございます合流点付近においては一・五メートル、豊丘村、市田村の間にかかっております明神橋付近において
○衆議院議員(田中角榮君) これは例えて申上げますと、江ノ島の弁天橋等がその一例であります。大体橋又は渡船施設以外にはこのようなものは今まではやつておらなかつたわけであります。
それから弁天橋にも大宮にもありますので、いずれにしても所定のとまりの人は所定の所にとまりますが、朝早いからとまる。夜家へ帰ることができないからとまるという臨時の、指定以外のとまりの人がこの車掌区にある。三十六畳敷の寝室に寝るか、さもなければ汽車の方の高島の二十四畳敷の方に行つて、寝ているのであります。ところがこれは不同なのです。
更に東京機関区、沼津機関区、田町機関区、八王子電車区、弁天橋電車区、池袋電車区、下十條電車区にどうも同調の氣配が濃厚になりました。尚飛びまして水戸支部、高崎支部、宇都宮支部、長野支部、甲府支部等からこれらのストライキを実施いたしまするところに対して派遣いたしまする助勤者の派遣に対して、拒否をするというような空氣も出て参りました。