2017-04-26 第193回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第6号
事実ではありませんけれども、建国神話、日本、アメリカ相手の建国神話です。それを乗り越えるのが彼の夢だというふうに見ていいと思います。どうやって乗り越えるのかと。中国と渡り合える国をつくったという建国神話をつくりたいということだというふうに見ていいというふうに思います。
事実ではありませんけれども、建国神話、日本、アメリカ相手の建国神話です。それを乗り越えるのが彼の夢だというふうに見ていいと思います。どうやって乗り越えるのかと。中国と渡り合える国をつくったという建国神話をつくりたいということだというふうに見ていいというふうに思います。
戦前、戦中の反省はわかるにしても、改めてこの法改正を契機に、ぜひ、国旗・国歌の、建国のいわれ、いわゆる卑弥呼、聖徳太子は書かれていても、アマテラスオオミカミ、天孫降臨のニニギノミコト、神武天皇のことが全く建国神話として書かれていないということはどう考えてもおかしいのではないかというふうに感じております。
また、古事記、日本書紀には神代の巻があり、天地創世から神武天皇建国に至る建国神話がかなり整然と述べられているとしています。神話の世界に基礎を置く天皇がいるということは常識です。
しかも、その建国神話は戦後、歴史学、考古学の蓄積の上に立って全く非科学的であります。このことを否定をされるとは思いません。総理は、天皇御自身が公式の席において我が国の国家形成期は六—七世紀を規定されたということを一体どうお考えになるのでしょうか。総理はよもや皇国史観に基づいて国の成り立ちをしのんだわけではないでしょうね。
しかるに、近年、政府は教育課程を改悪し、小学校の教科書に、建国神話、伝承を復活させ、皇国史観を押しつける等、教育思想統制の強化を企図しておるのでありますが、これは全く総理の言われた、民族のすぐれた伝統にささえられた人間形成とは似て非なるものであります。
日本書紀に記載された神武東征伝説や建国神話が、今日の歴史学の水準をもって実証的に裏づけができないからといって、直ちに日本建国の日がなかったとは、何人も断言できないのであります。(発言する者多し)しかも、その建国の伝承が、神話の形であれ、いまから千数百年の昔において編さんされた勅選の正史日本書紀に集大成されていることは、まことに驚くべきことであり、世界に誇り得る貴重な文化遺産であります。
質疑の過程において取り上げられました主要点は、一、衆議院議長あっせんによる三党一致の申し合わせに基づき、衆議院において修正されるに至った経過、二、建国記念日審議会の委員の選考及びその運営に関する問題三、紀元節及び建国の日に関する問題、四、建国神話と歴史教育との関係、五、建国記念の日が定められた後における歴史教育上の取り扱いの問題、六、体育の日の意義及び国民の体育振興についての構想、七、祝日を休日とすることに
それでありますから、ただいまの御質問のように、どういうふうに人間の歴史を見るかということが常に歴史学の、あるいは歴史教育の根本問題でありますけれども、それを踏まえて第二点の問題に入りますと、決して奈良時代や明治時代になりましてから、いわゆる建国神話が創作され、虚構として、つくりごととして創作されたのではありません。
次に、建国、つまり日本国家の形成過程を歴史的に教える場合に、今後、建国記念の日の制定に伴なって、建国神話が加わることになるわけです。日本書紀所載の神話によりますと、打水の建国はこんなふうに物語られているということを子供たちに先生がお話ししてやるのは、古い歴史を担う国民の教育としてまことにけっこうなことだと思っております。
説明員(山口康助君) 王政復古の大号令と、それから五箇条の御誓文と、そういう明治国家の出発に当たって、神武創業の昔に返れ、こういう気持ちを定めた、決意を固めたことが、おっしゃるとおり、当然、神武創業の建国神話につながるわけでございます。神武天皇橿原の宮において御即位と伝えられている日本書紀の辛酉年春正月庚辰朔を祝って、紀元節というものを明治六年にきめたわけでございます。