1949-09-13 第5回国会 衆議院 経済安定委員会 第22号
なぜかと申しますれば、中國は蒋介石が上海とか廣東とかそういつた都市を押えておつても奥地を持つておらなかつた。そういうような実績を基礎にして、今日中共が上海をとり、もうじき廣東を押えようとしておるにもかかわらず、中國との貿易は損だ、あんなことは不可能だ、こういうことを言つておつたら日本としては損だと思う。
なぜかと申しますれば、中國は蒋介石が上海とか廣東とかそういつた都市を押えておつても奥地を持つておらなかつた。そういうような実績を基礎にして、今日中共が上海をとり、もうじき廣東を押えようとしておるにもかかわらず、中國との貿易は損だ、あんなことは不可能だ、こういうことを言つておつたら日本としては損だと思う。
揚子江以南には、今日と同様にまだ大して中共の勢力はなかつたのでございまして、わずかに海南島の山岳地帶、それから廣東の周辺の農村並びに雷州半島附近、これらの地域に三万程度の共産軍が残つておつたのであります。かようにして終戰当時におきまする中共側の兵力量と申しますのは、これはまたいろいろの推定があるのでありますが、終戰の直前の四月に毛澤東が有名な連合政府論というものを出しております。
それからインドシナでありますが、これは御存じのようにホー・チ・ミンという越盟党の中心人物の共産党員が中心となつて活動しておるわけでありますが、そのホー・チ・ミンという共産党員は少壯時代廣東で共産主義の教育を受けた人でありまして、その後モスクワにおいて更に共産党指導者としての訓練を重ね、中共勢力とは連絡を緊密にしておるようでありまして、越盟党のハイフオン、ハノイ、シヨロン、カムボット等における地下運動
この申合せ組合は戰爭中に廣東で造船や漁撈に從事しておりました武田巖という人が廣東から引揚げてまいりまして、この人はもともと廣島縣でしたか、岡山縣でしたか、漁師の家庭に育つて家代々漁師をやつております。戰爭中廣東に行きまして同じように漁船の関係の仕事をしておつた。
○門屋證人 大体この会社はあるいは廣東におつた者とか、支那方面におりました引揚者で一つの漁業組合をこしらえておつたのです。それは昭和二十一年からです。三十万円の任意組合であります。それが向うにあつた漁業権を復活したわけであります。そうして復金の融資懇談会、これはむろん農林省のお指図があつたと思うのですが、融資懇談会において二十一年の四月ごろ一千万円の融資が決定しておつた。
第一に最近廣東で起りましたイギリス公館の燒討事件というものがございました。これは昨年の末以來、香港政廳が香港の対岸の九龍にあります城内の一部に在住しておりました中國民の難民約二千名に対しまして、保健、保安の理由から立退きを命じたのであります。
○下田政府委員 東亞經濟懇談會は終戰前におきましては蒙疆、北京、上海、廣東の四箇所に活動の根據をもちまして、大陸地域の經濟發展に努力をいたしておつたのでございますが、昭和二十年度におきましても三十萬圓に補助金を計上して、ございまいたのですが、會計檢査院の御意見のように、實際は終戰前より非常に事業の遂行が困難になつたのでございます。