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45件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1950-07-19 第8回国会 衆議院 人事委員会 第1号

第二点は、私は新聞で拝見したから、また新聞の勘は全部でたらめだという御答弁があつては困りますが、廣川幹事長——農林大臣でございまするが、この方がたしか七月の六日であつたと記憶しておりますが、当初においては人事院当局と数回にわたつて、朝七時ごろから御折衝になつて、いろいろな結果が出たように新聞は報道しておりますが、こういう事実があつたかなかつたか。  

土橋一吉

1950-04-08 第7回国会 衆議院 議院運営委員会 第43号

それにからんで、この前の運営委員会でも問題になりましたが、この空白を生じたという国会扱い方占領政策に違反するというような問題も、廣川幹事長談として出されておるわけであります。かつて前例のない問題ですし、そうした幹事長談話も出ておる際でありますから、これらをどうしても明確にする必要があると思いますから、ぜひ皆さんの同意を得て許していただきたいのであります。

林百郎

1950-04-07 第7回国会 参議院 本会議 第40号

大体今の、これが私の問の第三点であるが、今の増田官房長官の私に対する答えと称するものが、廣川幹事長談話政府との関係自由党政府との関係及び自由党政府及び参議院、衆議院の国会、この関係における二つの使い分け、さつきから問題になつておるところの彼らの、左の手ではぶん殴り右の手では撫で廻す、この方式をそのまま告白しておるものではないか。

中野重治

1950-04-07 第7回国会 参議院 本会議 第40号

即ち廣川幹事長が言われたこととそつくりのことをあなたが言つております。野党全力を注いで国のこの予算を葬ろうと努力したということをあなたが確認されておるということは、他の野党諸君の討論は、ここでも、又予算総会におきても良さに拜聽いたしましたが、おのがじしそれぞれ反対する立場があつたのであります。

増田甲子七

1950-04-07 第7回国会 参議院 本会議 第40号

併しながら政府自体都合の悪いときには、廣川幹事長談という形式を以て常に発表される常套手段をとつておるのであります。(「その通り」「ノーノー」と呼ぶ者あり)事実その通りじやないか。お蔭様で我々参議院議員は、いわゆる廣川暴走というようなもので以て、三鷹事件みたいなようにして、まごまごすると轢き殺されてしまうというような不安が生ずるのであつて、全くこれは迷惑千万なものであります。

油井賢太郎

1950-04-06 第7回国会 参議院 議院運営委員会 第55号

油井賢太郎君 そうしますと、今後政府は例えば廣川幹事長談によつて都合のいいときは見解発表できない。併し外の方の会派から政府都合の惡いようなときに何らかの新聞発表等があつても、国会に対しては何ら今後は政府としての見解は申述べないということをここでお約束になつたわけですね。そう解釈してよろしいですか。

油井賢太郎

1950-04-06 第7回国会 衆議院 議院運営委員会 第42号

国民にとつてこの新聞記事の及ぼす影響が非常に大きいという点からも、私はこの点をはつきりさせる意味でも、廣川幹事長にその眞偽確めたい。それから発表内容になつておることは、あらゆる角度から、いわゆる国会運営についての問題が論ぜられておるのであるけれども、特に野党に対する廣川幹事長見解は、非常に不見識きわまるものである。

石野久男

1950-04-05 第7回国会 参議院 議院運営委員会 第54号

門屋盛一君 その答弁の前にちよつと……おかしいですね、油井君の質問廣川幹事長談に対して質問をしておるのではない。廣川幹事長談がどうあろうとも、政府としては、参議院予算審議は当り前にやられたのであつて、何も妨害したのではないと考えられたのかどうかということです。(「その通り」と呼ぶ者あり)廣川幹事長談を聞いておるのではない。政府の今の考えを聞いておるのです。

門屋盛一

1950-04-05 第7回国会 衆議院 外務委員会 第14号

岡崎委員長 聽濤君の御意見に対して申し上げますが、廣川幹事長がどういう声明をされたかは、新聞紙上で伝えられているほかには私はまだ聞いておりません。従いましてこの点はあとでよく事情を聞かなければ、はつきりしたことは申されないと思いますが、ただ本委員会に関する限りは、ただいま議題となつております法律案を審議することは、まつたく自由であることだけは申し上げておきます。

岡崎勝男

1950-04-01 第7回国会 参議院 人事委員会 第15号

先程の小畑委員からの御質疑の点でありまするが、小畑委員より先程新聞記事を朗読されまして、「池田蔵相廣川幹事長は直ちに院内佐藤参院議長会見参院側見解を聽取した後、閣僚室岩本衆院議長を交え党幹部閣僚緊急協議の結果、参院法案取扱上の誤りから発した問題であるから参院側善後措置を講ずべきであるとの結論に達し十一時半その旨佐藤議長に申入れた、ところが」という記事がございまして、その初めの

中井光次

1950-04-01 第7回国会 参議院 議院運営委員会 第51号

併しお待ち下さい、最後には廣川幹事長だけが残つてつたような気がしますけれども、何しろ人の出入りがごたごたしておりましたから、はつきり覚えておりません。併し最初池田蔵相廣川幹事長それからあと増田長官岩本議長、そこに廣川幹事長が又来られたのはどういう機会であつたか私ちよつと覚えておりません。

佐藤尚武

1950-03-24 第7回国会 参議院 本会議 第32号

曾て廣川幹事長は昨年、閣僚の一人や二人に疑獄事件が起ろうとも問題ではないということを言つております。これは非常に重大な言葉でなければなりません。首相としては閣僚の一人に何らから過誤がある場合、或いは一党員に過誤があつた場合には、首想としての立場総裁としての立場において、責任をとるのは当然であります。

堀眞琴

1950-03-22 第7回国会 参議院 予算委員会 第18号

岩間正男君 ちよつと時間を頂きまして関連質問したいと思うのですが、先程の堀越委員の御発言の中にもあつたのでありますが、参議院選挙與党が多数を取れない場合は解散すると、廣川幹事長はこれは話されたのでありますが、これに対して首相に伺いたいのでありますが、首相はそのようなことを考えておられるか。又これは民自党の党の考え方であるか。その点明らかにしたいと思いますので伺います。

岩間正男

1950-02-06 第7回国会 衆議院 通商産業委員会 第6号

こういう意味で自然に取消されるものであると考えるでしようが、問題はそうでなくして、一党の幹事長がこの重要な行政の人事に対してくちばしをはさみ、しかもそれが新聞発表せられたことについて、大臣がただ御自分の一方的な意思を表示されたというだけで、廣川幹事長との関係がさつぱり明瞭でない。これはやはり問題が重要なものだけに、大応大臣の方からその弁明的なものを、われわれは聞きたいと思うのであります。

風早八十二

1950-02-06 第7回国会 衆議院 通商産業委員会 第6号

大体朝飯会でもつて、そういうことがきまつて、そうしてこれが廣川幹事長の口から新聞発表されたという、その事実については大臣は何も言つておられない。ただそういうことが新聞に出たということは認める。これが大臣の御答弁の第一点だつたと思うのです。ところがまた同時に大臣は、その記事については何も考えておらないと言われる。これは私どもとしては、はなはだ驚くべきことである。

風早八十二

1949-12-24 第7回国会 参議院 議院運営委員会 第11号

「二十三日朝の外相官邸連絡会には特に林副総理益谷建設相及び星島総務会長らが出席、これに増田官房長官廣川幹事長、佐藤政調会長が加わり、吉田首相から犬養派の入党の止むを得ない事情を述べ、党内の緩和に全力を盡くして欲しいとの発言があつた。その際林副総理益谷建設相から民主党一本化工作新政協新党問題等を含む大局からの政界情勢について見解が述べられた。」  次いで正午の日記があります。

大野幸一

1949-12-22 第7回国会 衆議院 大蔵委員会 第3号

実は先般来民自党の方へも、東京の各地域のいろいろな業者の団体がほとんど漏れなく押しかけて参りまして、廣川幹事長も会つておるはずで、皆様も御承知のはずです。また東京商工団体協議会などは、たびたび参議院会館などで大会を持ちまして、そこへ各党議員諸君を招いたのであります。私どももそこへ何回か参りましたが、実は実情を聞いてみればじつとしておれないような状態であります。

風早八十二

1949-12-03 第6回国会 参議院 議院運営委員会 第20号

図らずも佐々木君は会派のことをお述べになられたのですが、先程私はここで申上げたと同様に、これの発表内容に対しましてはあと十分質疑の時にお尋ねしたいのですが、相当我々は野党としての重要性考えておりますので、総理或いは廣川幹事長出席を是非求めたい。又総理なり発表された責任者が出て説明をしない限り、なかなか納得の行く問題ではないと思いまするので、どこまでも総理廣川幹事長の御出席を求めます。

鈴木清一

1949-12-03 第6回国会 参議院 議院運営委員会 第20号

左藤義詮君 只今鈴木委員から誠に御尤な御発言があつたのでありますが、先程申上げましたように、佐藤政調会長廣川幹事長と一緒に關與しておりますので、その点の事情は十分御説明できると思いますが、何分廣川幹事長は現在途中におりますので、大磯に着いて又それより戻すという時間はございませんので、その点は発表に関與して、その間の事情証人或いは参考人としてお呼び下さるならば、それに該当する者がおりますので、一

左藤義詮

1949-12-03 第6回国会 衆議院 議院運営委員会 第25号

廣川幹事長自身が自動車で総理大臣を呼びに行く。従つてその間時間も短かくて済むことだし、各党委員諸君了解されたことだから請願だけでもやつてくれないかという相談であつた。しかし私どもの党においては、きようの議事をこうまで延ばした当の責任者である吉田総理大臣が見えない限り、一切交渉に応じないことにきまりました。

神山茂夫

1949-12-03 第6回国会 衆議院 議院運営委員会 第25号

○岡田(春)委員 先ほど増田官房長官お話によると、総理がきよう出席することはもちろんのこと、二、三日、出席は不可能であろうというような意味に承つたのでありますが、それは先ほど石田荘から、正式に運営委員会出席せられるについて、廣川幹事長大磯へ行かれたと、野党各派お話があつたことと、大分話が違うようにわれわれ承るのです。

岡田春夫