2021-05-18 第204回国会 参議院 農林水産委員会 第12号
このため、令和二年四月に取りまとめた果樹農業の振興基本方針の中にも、産地でよく議論した上で、維持が困難な農地については廃園とか植林などの適切な措置、この実施が必要である旨を明記しておりまして、伐採や植林に係る経費を支援しているところでございます。 この対策でございますが、例年、要望を五月に取りまとめておりまして、六月に計画承認をいたしております。
このため、令和二年四月に取りまとめた果樹農業の振興基本方針の中にも、産地でよく議論した上で、維持が困難な農地については廃園とか植林などの適切な措置、この実施が必要である旨を明記しておりまして、伐採や植林に係る経費を支援しているところでございます。 この対策でございますが、例年、要望を五月に取りまとめておりまして、六月に計画承認をいたしております。
今局長から話ありましたけれども、その放任園について、維持することが困難な園地については廃園、植林等の適切な措置を講じるということですが、これ、所有者がいる場合いない場合あると思いますけど、どういう手続で行うんでしょうか。
保育士が少ない、本当に危機的な状況は地方ほどひどくて、実は特異な例かもしれませんが、山形では、保育士が足りない、このままでは廃園、園を閉じなきゃいけないという危機的状況の中で、実は園長が保育士の資格も持っているということで、園長が自ら降格を申し出て保育士になり、しかしこれ兼任も認められてはいるんですけれども、兼任すると、今度はその園長の、施設長の支払が受けられなくなる、そうすると園の経営自体がやっていけない
現時点で具体的にどのような負担軽減を考えていらっしゃるのか御答弁をいただければというふうに思いますし、また、こうした廃園の危機にある幼稚園類似施設にはより一層の支援が今後必要になるのではないかというふうに考えております。今後、更なる支援策、どのように検討していくのか、政府の見解をいただきたいと思います。
その中には、幼稚園類似施設、もう廃園の危機だというような悲痛な声もいただき、事業者も大変厳しい状況にあると伺っております。 こうした幼稚園類似施設の事業者の方々からもお声を賜りました。無償化の対象になっている園から入園を拒否された例えば発達障害のお子さん、あるいは外国人のお子さん、そういったお子さんを受け入れてくださっている幼稚園類似施設の事業者もございます。
実際、私もいろいろなところからお話を伺うわけですけれども、もう園児が集まらないために三月いっぱいで廃園にする、こういうお話も伺っているところであります。 さらに、別の園では、園のあり方を変えて認可外保育施設として届け出たわけですよね。
また、その地域の市立公園、市立幼稚園も、平成十四年ころには子供が一桁台まで減少して、廃園にするとまで市当局は検討したそうですが、現在は園児も相当ふえて、子供たちの声でにぎわっておるのが現状であります。このことは、我が国最大の国難である少子化対策にもつながり、ひいては国策である地方創生にも大きく寄与するものと思います。
温州ミカンにつきましては、昭和四十年代後半から過剰基調となりまして価格が暴落したことから、オレンジ及びオレンジ果汁自由化前の一九七五年から廃園の促進や高品質な中晩柑等への転換を進めまして、需給の均衡を図ってまいりました。
良質な保育で頑張っている施設がある一方で、休園や廃園のほか、二十八施設が譲渡されています。まるで転売のようですが、それによる利益は当然返還を求めるべきです。反社会的勢力の関与の排除も、事業開始の二年間は確認をしていませんでした。子供のことを考えて開設したとは思えないような事業者も存在し、憤りを感じます。
立憲民主党では、子ども・子育てPTをつくって、私が座長で、せんだって宮腰大臣に御質問させていただきました早稲田夕季さんを始めとして、何とかこの企業主導型保育所が健全なものとして運営されていくようにということを願っての質問をいたしておりますが、検討委員会、次回、四回目を経て、それを取りまとめて、大臣の方でいろいろな改善点をお考えくださるということでありますが、これまで三回の検討委員会には、実は、破綻した園、廃園
宮腰大臣にあっても、これがいろいろな意味で今大きな問題になっているという御認識はまずおありかと思いますが、とても単純な言い方で失礼ですが、今まで、こうやって、できた保育園が非常に短期間のうちに、そして突然に休園したり、そしてそこから廃園になったりというようなことは、宮腰大臣が政治家として御経験されたことがあるかどうか、お聞きになったことがあるかどうか。
私は、でも、逆に、この間、三回行われた検討委員会の出されている限りのものを拝見しても、ここには、例えば、廃園に至った具体的な経緯とか、それから、そもそも審査段階でどういう問題があったのかとかが、ほとんど具体事象が挙げられておらないですね。要するに、具体的なものを見ないと、実は、きれいなまとめはできても、本当の改善ができないのではないかという懸念を持つわけです。
待機児童解消も大変重要な課題でありますけれども、私、企業主導型、大変これを待機児童解消のもう目玉として取り入れたことは大賛成なんですけれども、最近、スタートしてそうたたないうちに保育士が全部辞めたり、あるいは保育園が廃園をしたりということで、急にそういうことが決まって、それぞれの区市町村でもなかなかこれ情報分からないので、保育園が廃園になれば、その子供たち、どこか新たなところを見付けなきゃならない、
地域の中でこれまで保育の質を高める自助努力を行ってきた既存の保育施設経営者にとって、もしその認可化ができなかった、促進の選から漏れたということになってくると、経営退陣あるいは廃園なども考えざるを得ないような深刻な判断を余儀なくされることにならないか、私は危惧するものであります。
実は、一部報道があったんですけれども、助成が受けられないからということで、ある保育園の運営会社が、二〇一六年四月一日以前に設立されてその経営が厳しくなったという背景を受けて、見た目は休園、休業、廃園を装い、実際は助成を受けてもう一度新設したということで、新設し直して園児や保育士はもうそのままそっくり移動させ、違法のこれ疑いがあるのではないかというような報道も出ておりまして、苦労されている、経営に苦労
このさんさん山城におかれましては、廃園になるかもしれない、その予定の、廃園が見込まれる茶園を継承されまして、お茶の栽培、加工、販売を通じて遊休農地化を防止するというような取組とともに、コミュニティーカフェの運営などもなさっておられて、こういった取組によりまして、障害者の方の就労を確保しているといったようなことが行われておるところでございます。
例えば、一時期、市立の幼稚園が廃園かと思われるような状況で心配をされた時期もございましたけれども、現在は、その効果、結果によって、農業後継者が育ち、市全体の出生率も二・〇を超えておるような状況で、その幼稚園も幼子たちの声でにぎわっておるところでございます。
まきストーブで一生懸命やっていて、リンゴや桃やブドウの廃園になったのを、農家と契約してというか、頼んで使ってくれというのでやっている人がいるんですけれども、それでは底をつきます。千曲川河川敷のニセアカシアの木、ニセアカシアだけじゃないですけれども、それでまきストーブの原料になっています。 ダムというのは、だから、いろいろな弊害をもたらしているんですね。
それで、一つ目、きょう質問をさせていただくのは、姫路市の認定こども園の件なんですけれども、今現在、もう既に認可を取り消されて、廃園といったらいいんですか、閉園ということになっていますけれども、その件について、まずこちらの担当の皆さんで知り得ていることをちょっとお話しいただけるでしょうか。
だから、今回こんな、廃園になる、もう閉園してなくなる、完全になくなってしまうということになるというのは、姫路市さんもちょっと思い切ったなとは思ったんですけれども。それは確かに、それが一番手っ取り早かったのかもしれないですけれども、その保育園に少なからず通っている子供たちにとったら、また四月から新たな環境に置かれて、今までと違う生活をまたスタートさせなあかん。
しかも、ここも、東京都によって九月三十日、廃園にしますという話になった。理由は何でって、来年の夏着工予定の高さ六十メートル、地上十四階の超高層ビル、日体協・JOC新会館がこのこもれびテラス、この建物の敷地として利用するからだという話なんですよ。
日本全国に何百件、何千件という廃園になった保育園を抱えて、国は一体どうしていくんですかというところまで、私はもうそろそろしまい方も国は考えるべきだと思うんですよ。社会福祉法人、昔はその制度でよかったかもしれないけれども、もう今は時代におくれつつあるんですよ、社会福祉法人のあり方自体が。その部分の、しまい方の部分のあり方が。
前回の質疑で、私は、静岡県浜松市の天竜区旧龍山村の事例を挙げて、歴史と文化を学習し伝承する場である龍山郷土文化保存伝習施設が打ち捨てられていたこと、そしてその背景には、村内にあった幼稚園、小学校、中学校の全てが廃園、廃校となったことがあるという事実を示して、子供がいなくなり学校をなくしたときに、もはやその町には未来がなくなると指摘をいたしました。
私は、たとえ十二学級を下回っても、地域コミュニティーの核としてしっかり学校を守ることは非常に大事だと思いますし、安易に廃校、廃園せずに、休校にして学校の再開を目指すことが町の未来を失わないためにも重要だと考えます。石破大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
龍山村では、村内にあった幼稚園、小学校、中学校の全てが廃園、廃校となって、近隣のところへ統廃合された。子供がいなくなり、学校をなくしたときに、もはやその町には未来がなくなったというのがこの村の状況でありました。