2020-11-04 第203回国会 衆議院 予算委員会 第3号
大阪府議会時代からほとんど一緒にやってきた松井一郎、現大阪市長ですけれども、我が党の代表も、もう挑戦はしない、そして政界を引退をする、市長の任期満了で引退するということで、私どもはこの都構想によって党の精神的支柱である人物をこれで二回失うことになります。我々はしかし、そこまで、政治生命をかけてでも実現をしなければいけないものだと思って今までやってきました。
大阪府議会時代からほとんど一緒にやってきた松井一郎、現大阪市長ですけれども、我が党の代表も、もう挑戦はしない、そして政界を引退をする、市長の任期満了で引退するということで、私どもはこの都構想によって党の精神的支柱である人物をこれで二回失うことになります。我々はしかし、そこまで、政治生命をかけてでも実現をしなければいけないものだと思って今までやってきました。
我々、府議会時代に、大阪府としても、やはり言うだけじゃなくてしっかりと見ようということで、もちろん現地の視察、ラスベガスなどにも行かせていただきました。そのときのメンバーは、今の大阪府知事の松井一郎と我々の参議院の東徹、そして今、副大臣をされている自民党の原田先生も、同じときにラスベガスに視察に行かせていただきました。
我が党の橋下徹代表も、同僚の浦野議員が府議会議員時代に、大阪府議会では共同親権という言葉で議論されていましたけれども、これは大事な哲学だ、理念だということは、当時の府議会時代の我が党の代表も明確に言っていることであって、今大臣が言ったとおりのことなんです。
率直に言いまして、府議会時代は、大臣、私は福祉の中川とずっと言われていたんです。それがなぜ国土交通委員でずっといようというふうに思ったかといいますと、ホームレスの雇用の問題とか、それから障害者の雇用の問題にずっと取り組んできました。結局、それを事業としてやっていけるような仕事を出せるところは一体どこだろうか、それはやはり公共事業なんですよ。公共に山ほどあるんですね。
私も府議会時代は削れという急先鋒でもありました。ただ、削るだけではだめで、行政としてできることはできるだけやっていこう。何を始めたかといいますと、例えば庁舎内の清掃、これを知的障害者の皆さんに職場として開放していこうじゃないか。お金は削るけれども仕事を提供しよう、そういうことを始めました。