2008-02-13 第169回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第1号
だから、皆そのことを考えていて、デカルトも考えていたわけですけど、結局分からないから、脳の松果腺で生命と肉体が関係しているんだって方法序説に書いて、そこで終わるわけですね。 だから、近代合理主義というのも、結局そのことが分からないから主体と客体の合理性を別々に追求してしまったと。これはよく言われていることですね。
だから、皆そのことを考えていて、デカルトも考えていたわけですけど、結局分からないから、脳の松果腺で生命と肉体が関係しているんだって方法序説に書いて、そこで終わるわけですね。 だから、近代合理主義というのも、結局そのことが分からないから主体と客体の合理性を別々に追求してしまったと。これはよく言われていることですね。
だから、方法序説では、その主体と客体、肉体と生命というのは脳の松果腺でつながっているんだって、訳の分かんないことで終わってしまうわけですが。 結局、このデカルトの二元論で近代合理主義はできていくのでどうなったかというと、主体の合理性は個人主義という人間観を確立していきました。一方で、客体の合理性というのは生産性の向上と利潤を追求する科学技術文明を発達さしていった。
ニュートンが科学者と呼ばれなかったというような話を聞いたときに、私は、学生時代にデカルトという人の「方法序説」の本を読んだときに、これは哲学者だろうと思って読んだら、随分自然科学のことが書いてあったので驚いたことがあったことを思い出しておりました。
それから、五十年代の初めでございましたか、加藤先生がお書きになった「日本文学史序説 上」。私は、これは文学史の本でしたが、これは政治思想、日本の政治文化の本としてとらえまして、大変刺激を受け、啓発を受けました。日本の政治学会が文学史で日本文化が解明されるということを非常に不思議に思ったんですが、この本に啓発された記憶がございます。
そこで、多少生臭くなるかもわかりませんが、先生のこの「日本文学史序説 上」で、日本文化というのを分析されて、新しいものが古いものにつけ加わる、いわゆる建て増し文化、古いものが取れないんだという、旅館の建て増しのような構造になるんだという指摘、その結果、極端な二重構造になる。それから、土着の世界観が普遍的な外来文化を日本化するんだと、こういう御指摘。
占領終了から五年たった一九五七年、梅棹忠夫さんの「文明の生態史観序説」が発表されます。このころから、日本否定の見直しが始まります。その代表的な論文だと申し上げてもいいと思います。ユーラシア大陸の東の端の日本と西の端の西欧、その二つの文明は並行進化したとするわけであります。 梅棹さんによれば、戦前の日本肯定論は神話に基づく非合理的なものだった、かつ西欧否定論と表裏一体だった。
梅棹忠夫先生の「文明の生態史観序説」、それから中根千枝さんの「タテ社会の人間関係」、一生懸命読ませていただきました。 経済大国化していくときに、日本人の国民性が変わってまいりました。和辻哲郎の「風土」によれば、国民性、民族性というのは風土によって規制される、こういうふうに書かれてあるわけで、我が国の風土が変わったわけでもないにもかかわらず、国民性が変わってきた。
ダイシーという人の書いた「憲法研究序説」、これは幸い日本語の非常にいい翻訳が出ておりますので読んでいただきたいと思います。
また、先ほど私はアメリカの空軍省の「指揮官のための武力紛争法便覧」を紹介しましたが、その第一章序説に何と書いてあるか。武力紛争法は、国際的な協定または条約と国際慣習から由来している。すなわち国際条約、国際慣習法に基づいたものなのである、そういうふうに明記されている。
そういう観点に立って、まず最初に、環境と開発の問題について、総理は、自民党の政務調査会長の当時、「未来につながる環境対策」という論文を「環境保全社会企業論序説」という本の中に投稿されております。
この序説のところに、「防災基本計画は、災害根絶の究極目標を指向しつつ、最近における災害の実情に照らしこというふうに書いてある。ところが実際に、この四十六年五月以降に、宮城沖地震であれ日本海中部地震であれ、あるいは千葉県東方沖も釧路沖もそして奥尻もという形で、随分大きな地震が何回も起こっているにもかかわらず、そうした災害の実情に照らして防災基本計画は実は何も改正されていない。
かつて川端康成氏が、ストックホルムでノーベル文学賞を受賞されたときに、「美しい日本の私」と題する序説を講演されまして、美しい日本人の心とは、雪月花のとき最も友思うと、つまり、いいものを見たときに本当に人に分かち合おうと思う心が日本人の心だと。
○国務大臣(宮澤喜一君) 前回、長年の御経験に基づいてこの問題についてのいわば序説に当たる部分を伺ったところでしたが、確かに我が国の場合、従来は兼業農家が多い、あるいは農地を資産として離さないというようなことがございましたけれども、ここへ来まして高齢化が進んできた、あるいは後継ぎが実際にいないというようなことから、いわゆるイノベーションの方へ向かわざるを得ないという状況があるというふうに考えるべきだというお
こういうことをまず序説としてお述べになりまして、その間に公明党がとられました政策決定というものは、第一に、湾岸戦争の際の多国籍軍に我が国が協力すべきかどうかということについては、たとえ後方支援であってもこれには、現実に戦争が行われますので自衛隊が参加することは問題がある、それについては否定的な立場をとられたという点でございます。
社会科教育を主な研究領域としておりますが、とりわけ社会科の教育内容、カリキュラム編成について関心を持ち続けておりまして、ちょうどこの十二月に学文社という出版社から「社会科カリキュラム論研究序説」という著書を出しました。また、現在、教育学部に勤務していることなどで、大学における教員養成教育の充実発展についても深い関心を持っております。
ところがイスラムのような世界は最初から都市の社会でありまして、イブン・ハルドゥーンという「歴史序説」という本を書いた人がいますが、繰り返し繰り返し説いておりますのがつまり連帯ということでございます。イスラムの人たちはなかなか連帯ができない。都市民であるからでありまして、こういった今まで私たちの中学まで教育されてきた常識とは違った生き方というものをそこで教えるというわけであります。
たとえば具体的な例で御説明申し上げますと、医学概論の授業内容は、たとえば旭川医科大学の例でございますけれども、履修主題として、序説、医学史、医科学、生命、病気、医学の実践、医の倫理というようなことを挙げまして、年間を通じて、いわば医学の専門領域に入る前提の知識として、そのような全体的な生命の尊厳という観点からの医学の全般についての知識を与えるというようなことで行われているかと存じております。
昭和前半の財政は「戦後の大激動とそれに対する新しい財政に対しては序説であった。」しかし「序説としてはあまりにも長い歴史であり、あまりにも犠牲と怨恨にみちた悲劇であった。」とこう結んでおります。
閣議決定いたしましたこの基本計画には、第一、「序説」というくだりがあるわけでございますけれども、これにつきましては、この「計画策定の意義」というところで「環境保全に係る施策を総合的かつ計画的に推進するため」のものであるということと、それから「計画の性格」ということで「目標を達成するために講ずべき施策等の基本的方向を明示するものであり、」ということ、さらに「計画の範囲」というものが書いてあるわけでございます
そして、この約款の序説にも、人はみな生まれながらにして法のもとに平等な権利、能力を持ち、独立して自由な主体としての意思表示に基づき、対等な立場において自由に契約することによって社会生活を築いていくというのが近代契約の理念とされております。よって、そのような方法について金丸建設大臣の勇気ある発言、御答弁をいただいて、私の質問を終わりたいと思います。
結局、この点について論議の末、答申のための時間的制約もあるために、答申の序説で「今後、情勢の変化がさらに明確となり、その見直しが行なわれ、新たな経済計画なり政策体系なりが樹立されることが予想されるが、その場合には租税政策についても、これらの情勢の変化に即応しうるよう配慮しなければならない。」と付け加えることで大方の意見がまとめられた。」
先生の「社会保障研究序説」を拝見させていただきました。そうしますと、その中に、社会保障は、経済と社会の変動を背景とし、さらに社会開発、社会計画、あるいは経済と社会の調整という視点から考えるべきものだという御主張のようでございましたが、この点もう少し御説明をいただきたいと存じます。そして、これはたいへん大きい問題でございますから、主として老人対策を中心にしてお伺いをさせていただきとう存じます。
○政府委員(高木文雄君) 新経済社会発展計画が認識の前提になっていることは事実でございますが、ただこの答申が出ます当時、すでに国際経済社会における情勢がいろいろ動いておりましたので、答申の序説のところに書いてありますように、「最近の国際経済社会におけるわが国経済の地位の急激な変化にもみられるように、この計画で予測されているものとかなり異なった面もあらわれてきている。