1992-04-10 第123回国会 衆議院 法務委員会 第6号
○清水(湛)政府委員 広島で三菱重工が供託書を閲覧したという事実はございますけれども、それはその前提として、三菱重工の広島造船所は自分たちはこういう形で供託をしているということを対外的に公表いたしまして、その供託の詳細を確認するということで三菱重工みずからが供託所にそういう調査に来られたということでございます。
○清水(湛)政府委員 広島で三菱重工が供託書を閲覧したという事実はございますけれども、それはその前提として、三菱重工の広島造船所は自分たちはこういう形で供託をしているということを対外的に公表いたしまして、その供託の詳細を確認するということで三菱重工みずからが供託所にそういう調査に来られたということでございます。
たしかこれは昭和四十九年でございますか、三菱重工広島造船所自身が、これは御本人は供託者でございますので当然そういう供託関係の書類を閲覧することができるわけでございますが、閲覧をしたという事実がございます。
これは、戦時中に広島造船所並びに広島機械製作所に約二千八百人の朝鮮人の方を徴用いたしまして働いていただいておったわけでございます。そして、一九四五年六月に例の義勇兵役法というのが出まして、職域義勇隊として生産に従事をされておった方々でございます。この方々が広島で原爆に遭遇いたしまして被災をされ、戦争が終結をいたしますと同時に、八月二十五日には徴用が解除されました。
第一に、昭和十九年から二十年にかけて三菱広島造船所には、当時年齢二十二歳で、実はこれは後で大変大切なポイントになるのですが、いずれも二十代の若者たちばかりの徴用工、あるいは女子挺身隊、動員学徒計七千七百人がいたそうであります。このうち、朝鮮半島の方は約二千七百人であった。 第二番目に、徴用工に対する待遇は、朝鮮半島人、台湾人、内地人の区別は全くなく平等であった。
具体的には、昭和五十二年五月十九日の参議院の社労委員会と昭和五十七年四月一日の衆議院の社労委員会で取り上げられた三菱重工業広島造船所韓国人徴用工の問題であります。
それは、昭和二十年九月十五日、広島にあります当時の名称で三菱重工業広島機械製作所、いまは広島造船所等になっておりますけれども、ここで働かされておりました徴用工の方が二百四十名にわたって祖国へ帰ることになった。九月十五日です。これは陸路でございますから、荒れ果てた広島駅から出発をしたものでございますけれども、そして北九州方面に到着をした。
鉄鋼の厚板、ページ⑨、七二年三月十五日、鋼片工場用として三菱重工広島造船所から浦項に向かったこの製品は、トン当たり十五万一千五十六円になる。同年同国、つまり韓国に輸出された同じ統計品目番号の製品の平均価格は、トン当たり四万二千五百八十三円になる。つまり、三・五四倍の値がつけられているわけである。同年アメリカ向けの三・三五倍、インド向けのものの三・六八倍である。
○政府委員(出原孝夫君) 本件は、先ほどもお話がございましたように、昭和二十年の九月十五日に三菱広島造船所の職員が社命により引率者として広島を出られたと。
もう一つの問題は、これはあなたの担当じゃないと言えばそれまででありますけれども、三菱重工の広島造船所、江波というところですが、危険な高圧ガスが、事前に設置認可を受けずに大同酸素が設置しておる。そして通産省に圧力をかけて認可をさせようとしているらしいという事実があるのです。こういうことは御存じないかと思うけれども、その点の調査もひとつしてもらいたい。
三菱広島造船所においては、船舶部門の好況にもかかわらず、鉱山、セメント、パルプ、化学、繊維等各種機械製品の生産をも強力に推進し、不況時に対処しているのはその実績とともに刮目すべきものがありました。
これは九州の地方建設局で、西日本重工の広島造船所から九百万円でパーワショベル二台購入したのでありますが、この二台が二台とも性能が非常に悪くて使いものにならぬ、こういうケースであります。最初の一台は、先ほど話が出ました川内川の工事事務所へ送ったのでありますが、川内川で使いものにならないので、久留米機械整備事務所というのに返してよこしてそのままになってしまった。
○政府委員(岡田修一君) 今のお尋ねは、広島造船所に申込んで、一応広島造船所で造るというふうにきめたのに、長崎造船所のほうに変えた、こういう点だろうと思います。これは私ども長崎の工場も広島の工場も同一の三菱造船所に属する工場でございまして、従いまして、その造船所の事情を考えまする場合に、広島、長崎を一本にして考える。
新聞の報ずるところによりますれば、昨年度中に自然整理の形において第一には富士銀行の融資停止に端を発した内紛からの川南工業の操業難、富士銀行の融資停止による日本流ドツグの佐賀造船合併(日本海重工と改称)、東日本重工の総括的企業合理化の一還としての七尾造船所の閉鎖、そのほか西日本重工の広島造船所分離説、こういうようなことが書かれております。
御参考までに申上げますと、公社側代表として、三菱造船株式会社の広島造船所の副所長の平岡正哉君であります。中立といたしましては、三菱造船株式会社の広島造船所の副会長の三宅清君であります。組合側の代表として衆議院議員中原健次君が選ばれた次第であります。