2016-10-26 第192回国会 衆議院 外務委員会 第2号
○岸田国務大臣 まず、五月のオバマ大統領の広島訪問は、広島市民として、あるいは日本国民として、戦後七十一年間待った現職のアメリカ大統領の被爆地訪問ですので、これは歴史的な訪問であったと思っています。ただ、委員おっしゃるように、これは一訪問に終えてはならない、これをぜひ核兵器のない世界を実現するための一つの弾みとしなければならない、このように思います。
○岸田国務大臣 まず、五月のオバマ大統領の広島訪問は、広島市民として、あるいは日本国民として、戦後七十一年間待った現職のアメリカ大統領の被爆地訪問ですので、これは歴史的な訪問であったと思っています。ただ、委員おっしゃるように、これは一訪問に終えてはならない、これをぜひ核兵器のない世界を実現するための一つの弾みとしなければならない、このように思います。
○国務大臣(岸田文雄君) 御指摘の広島市にあります平和記念公園のこの原爆記念碑の碑文ですが、戦後、広島市民の中でも何度か議論が沸き起こった課題であると承知をしております。
つまり、体験者の実態も、司法判断も、広島市民、県民の思いも全てが黒い雨の指定地域の拡大を求めており、それに目を向けようともせず、ひたすら反対しているのは政府だけです。再検討されることを含めて、この問題でも七十年の節目の年に何としても解決するよう重ねて求めて、最後の問題に移ります。 被爆七十年における、日本政府の核兵器廃絶に向けた姿勢について伺います。
有名選手のサインなんかがあるとなおのこといいかなというふうに思いますけれども、あるいは芝生なんかも、どうやって処理をするのか分かりませんけれども、広島市民球場の場合は学校とか施設に無料で配付をしたというふうに聞いておりますけれども、是非こういったことも検討してはどうでしょうか。
この石碑が刻まれてありまして、当時、雑賀忠義さんという広島大学の教授が揮毫したものなんですけれども、当時の浜井広島市長が、この碑の前にぬかずく一人一人が過失の責任の一端を担い、犠牲者にわび、再び過ちを繰り返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ一つの平和の道であり云々というふうに言っているんですけれども、犠牲者にわびという、広島で犠牲に遭ったのは広島市民なわけですよね。
私が広島出身ということもありますけれども、それだけじゃなくて、まさに近隣地域を初めとして、百十八万広島市民を恐怖のどん底に陥れた三日間でありました。あなたの表明でも冒頭に触れてある。当然だというふうに思っております。 逃走中に刃物を所持し、報道では、この受刑囚は殺人未遂など合わせて十の罪を犯し、懲役二十三年、中国人窃盗団、組織的窃盗団の首謀者でもある。
広島市民病院も手を挙げないんですね。旧老人性の認知症センターのときすら手を挙げなかったんですね。これには大きな理由があるんです。幾らこんな補助金付けてもらっても、いわゆる人、物、金、全部足らないんですね。大赤字になって、とんでもない、今の医療が運営できなくなるということで、皆さん手を挙げないという現状があるんですね。
今月の、五月二十八日まで会議が行われるわけでありますけれども、核兵器の問題というものは広島市民にとりましても非常に大きな問題であります。戦後、ことしで六十五年がたとうとしている中、この間ずっと核兵器というものが軍備の中でその中心の位置を占めている、また軍事力をあらわす指標にもなっていることが全く変わってきませんでした。
冒頭申し上げました高知日赤病院で日本で初の脳死判定が行われたとき、極めて個人的なことになりますが、私も同じくも膜下出血で広島市民病院で脳動脈瘤遮断手術をして死のふちから生還したばかりでありました。私がドナーになっていたかもしれません。
広島市民の皆さんから、今御紹介した市民団体は、落ちてくるのかと思って鳥肌が立った、中学校の真上を飛んでいったと、余りに怖かったので機体を見たのに形が思い出せないといった恐怖や不安の声が次々と寄せられました。広島市や県に対しても問い合わせや抗議が殺到しましたし、写真を撮られた方も幾人もいらっしゃるわけです。
それから、二点目のお尋ねが社会保険広島市民病院についてのお尋ねでございました。 これは昭和二十七年の八月に広島市に対して病院の経営を委託したという形でスタートした、おるものでございますが、一部病棟が築後四十五年経過したということで、建物が狭隘になり、また老朽化が非常に著しくなったことから建て替え整備が必要であるという状況になったわけでございます。
さらには、つい最近、この社会保険病院が広島市民病院に払い下げられております。この経緯そして売却代金、金額等についてお教えください。
借金だけ残して、全く広島市民はがっくりきました。なぜがっくりきたかというと、参加国の物価と日本の物価水準が余りにも懸け離れ過ぎておりまして、例えば選手が市内から新交通、新しくできた新交通を利用して中心街まで行く、その交通費が大体その国の月収の半分ぐらいいっちゃうわけですから、これじゃとてもとてもみんな行きません。まあ、選手がせっかく町中へ出ていっても、地元で行くところといえば百円ショップだと。
広島市民は憤っております。こんなていたらくを、本当に国は何にもアクションを起こさないんでしょうか。広島市が要望したから指定を受けたんですね。国から何らかのアクションをしてもらいたいなと私は思います。 そこで当局に伺いますが、せっかく用意した都市再生の好機が地方自治体の動きの鈍さのために滞ってしまっている、こうした場合には国が何らかの手だてを講じるべきではないでしょうか。
今のアメリカの動き、開発の状況、あるいはブッシュ・ドクトリンと言われる戦略を見ると、核を声高にして、そんなに被害が及ばないような形で核を使っていくというのが最近非常に私、感じておりますので、そこの開発に対して、日本からそれはやめてくれというメッセージを、もちろん被爆者、広島市民とか長崎はもちろんですけれども、やっぱり国を挙げてそういう立場に立ってほしいと思います。
ところが、いよいよ迫ってきまして、一番肝心なところの南道路が十分でないものですから、これも広島市民、地域の住民にとっては広島南道路の開通ということは非常に気になっております。
実は、この数字、広島市民も国民も今初めて知ったということでございます。全く公表されたことがない。初めて。 すなわち、災害発生後に、一時間後には既に死者がいる、救助隊も入っていながら、消防庁は十六時間後にそれを知ったということです。十六時間後といっても、三十日の朝七時です。
したがって、今日言う人類消滅危機の時代にあって、核兵器廃絶を叫び続けている広島市民の苦しみは、これからも続くことでしょう。 日本政府は、日の丸・君が代のような、侵略戦争の落ち穂拾いに似た国民論争を起こすのではなく、もっと戦後史の原点、起点に立ち、大きく、アメリカと正面に向き合い、戦前戦後の歴史思想と向き合って、アジアと世界の中で連帯して生きる平和の道を論じていただきたいと思います。
それだけではなくて、広島市長を初めとする広島市民、多くの広島の人間がさまざまなアイデアを出し、提案し、行動し、五十三年間頑張ってきた。にもかかわらず、インドもそしてパキスタンも核実験をしてしまうという状況になってしまった。 このギャップを私は何とか埋めたいというふうに思いますが、その第一歩として外務大臣にお願いしたいのです。
柔軟に運営することによって、放影研の役割あるいは広島市民や被爆者の願いというものがより満足な形で実現されるのであれば、そういったことを当然考えていいのではないかというふうに思います。 この点について、外務省並びに厚生省の基本的なお考えを伺いたいと思います。
その初期においてはABCCという形でアメリカが一方的にこの機関をつくったわけですけれども、その時点でも非常に大きな批判が上がったのは、広島市民の意思を全く無視するような形で運営が行われているではないかということに関して、あるいはABCCそのものの存在が被爆者や広島市民を実験動物として扱っているのではないかという批判が非常に根強くありました。
特記すべきことは、原爆ドーム保存工事に対し、広島市民はもとより国の内外から数多くの募金が寄せられ、最終的には目標を大きく突破する四億円近い金額に達したという事実であります。これは、原爆ドーム保存についての人々の関心の深さをあらわすものと言えるでしょう。この募金が、現在原爆ドーム保存のための基金になっているということであります。
ぜひとも来年に向けてこの問題が解決できるように広島市民、広島県民あるいは被爆県である長崎も十分願っております。 この問題ができないようであれば、我々は議員立法も辞さないという気持ちでおるわけでございます。ぜひともこの実現に向けて、再度、総理、いい返事をいただきたいと思いますが、よろしくお願いします。