2016-02-25 第190回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第1号
だけれども、万が一起こってからは、幾ら責任をとったって、今だってそうですよね、今だって福島の問題では、国が前面に出て責任をとると言っています。でも、取り返せないものがあるんだということを考えれば、この再処理、再稼働、そしてサイクル路線はきっぱりとやめるべきだということを御指摘して、終わりたいと思います。 ありがとうございました。
だけれども、万が一起こってからは、幾ら責任をとったって、今だってそうですよね、今だって福島の問題では、国が前面に出て責任をとると言っています。でも、取り返せないものがあるんだということを考えれば、この再処理、再稼働、そしてサイクル路線はきっぱりとやめるべきだということを御指摘して、終わりたいと思います。 ありがとうございました。
これがない限り、幾ら責任がどこにあるか、権限はどうかなどと抽象的なことを言っても余り意味はないのではないかなと。 私も、その武器と言っていいのがやはり地域や父兄、教員などとのつながりですね、教育委員会にとっては。あと、それから集約された現場の声、これがやはり大事であって、そのための手足となるのが事務局、その活性化であると思います。大臣から今、その事務局の活性化、人材育成、様々な点がございました。
○岩本荘太君 言われるとおり、幾ら責任追及しても始まりませんが、要は先ほども言いましたように十二名のとうとい命が失われているわけです。私がいろいろ考えましても、やはり自分の守備範囲としてはちゃんとやったということは確かだと思うんです。しかし、そのすき間がどうもあったんじゃないかなということを考えますと、本当に水が入ってきたら抜けないわけです。
ところが、それはみんな後追いで、申しわけない的に出てきて、六千八百五十億決めてしまってから幾ら責任論を言うたって、回収がどうだこうだ言うたって、それは回収なんか当然のことであって、私は、本当の責任論の言及にはならない、そう思うんですね。 同時に、との問題は経済社会にいろいろ関係があることは、我々も説教されなくてもよくわかります。
○工藤(晃)委員 時間でありますから終わりますが、悲観的とかそういう問題でなしに、私は事実について述べたにすぎないわけでありまして、それから、幾ら責任を持たれると言っても、長い話ですから、五年も十年も先ですから、ここで幾ら言われたって、それは伺うだけにしておきます。 これをもって終わります。
この部分にメスを入れなければ、幾ら責任を感ずるなんと言ったって、それは言葉で終わります。そのところどうですか。
そこを踏んまえて世界の首脳会議に入ってもらわないと、幾ら責任を持つと言ったって、自分の国は何も足場がないのに行ったって何の役にも立たないのではないか。まず総理のその所見をひとつ聞きたい。
○須藤五郎君 そうすると、やはりそれがちゃんとできてなかったということについては、あなたたちも責任の一端を負わなきゃならぬということになりますが、あなたたちが幾ら責任を持っても今後こういうことが繰り返されるのでは意味がないと思うのですね。
そうすると、国が一体幾ら責任を沖繩に持つかということは、ほかの県並みにぼけてしまいますから、復帰後の沖繩県の職員の人たちは、それぞれ農林、建設、運輸、通産、厚生というふうに、分かれ分かれに予算折衝の陳情ももちろんされなければなりませんし、でき上がった本土の予算のときにおいて、沖繩県の復帰第一歩の初年度の予算は幾らになったかということが、少なくとも第四一四半期まではわからないという形になるのを私は非常
ただで幾ら責任がどうだこうだと言ったって、責任を強力に果たしていこうと思えばそれだけの体制をつくらなければならぬ。しかも他工事のことですよ。言うならば、他工事のことで見回りをしなければならない、そういう一念から、爆発の三十分前まで見回りをしておりながらガス漏れも発見できなかった。どうもその辺が私は不審に思う。大阪市としては、どうしてこういうような実際に要る金について払わないのですか。
これは陸運局の担当者に幾ら責任を追及いたしましても、一体十名の要員で百三十の型式指定ができるかどうか。しかも、この車両の検査につきましては、でき上がった完成車の書類上の審査、外観上の審査がおもでございます。もっと材質なり機構上の問題については突っ込んだ検査が必要かと思いますが、現在の検査に要する日数を見ましても、一台当たり四人目でございます。
これはあなたに重ねて聞くよりも、三年間歳月が費やされてもこれを守っておらぬ、実施しておらぬ、これはやはり厚生大臣、あなた幾ら責任がないといっても、責任があるわけであります。特にあなたは非常に新しい感覚を持っておられる方だと思いますので、個人的に私は非常にあなたに対しては好意を持っておりますけれども、こういうことをやっておるかやっておらないかという批判することはおのずから別であります。
管理者の権限を強め、その責任を幾らきびしく追及いたしましても、水道局長や交通局長が赤字を出したからといってそれを幾ら責任を追及いたしましても、現在の財政措置の中では、問題は何ら解決せず、管理者の首を次から次へ飛ばすだけで終わるでありましょうことを、私は明言しておきたいと思うのであります。 第三に、公営企業の料金については、政府案は、能率的な経営における適正な原価を基礎とするといたしております。
責任をとって解雇したけれども、幾ら責任者を解雇してみたとて、病人の納得のいくようなことにはならないので、これはあらためて、具体的なことについては、直接私のほうからも書類等で申し上げて御相談をいたしたいと思いますが、その節はよろしくお取り上げのほどをお願いをいたしたいと思います。
そういうようなことが中心にして議論されておりまして、責任施工ということにつきましては、すべてそういうものが、やれと言ったところが、できるものでなければ幾ら責任施工といってもできませんので、そういうような基準をはっきりさせる、それが実施できるという業界体制というものができなければ、幾ら責任施工に近づけるといっても、私はむずかしいと思います。
具体的にそれを判断をする資料として、一助として、しかりとするならば、所得倍増計画における昭和三十一年から三十七年の投資総額、中期経済計画におきます航空政策に対する投資計画は、一体幾らに見積もり、政府としては幾ら責任を持つ、こういう態度を示しておるのか、それをひとつ参考として聞かしていただきたい、こう思うのです。
こういう乱暴きわまる、幾ら責任を自覚しても人間だから入学試験問題に間違いがあるだろう、こういうことは言うべきでない。こういう気持というものは不届きだということを、この言葉を見て私は非常に憤慨をした。
それはどういうことかと申しますと、もちろん、原子力事業者が責任は集中して無制限に負うということになりますが、実際問題として、保険の限度は五十億円でございますから、幾ら責任を集中、あるいは無制限の責任を課しましても、実際問題の補償ということは行なわれません。
○野木政府委員 結局、損害賠償をするには金銭賠償が原則でありますから、金がなければ、幾ら責任を負っても結局被害者は満足をせられない。金のある者は結局利益を得る者ではないか、従って利益を得る者に損害賠償の責任を負わせるのがいいのじゃないかという一連の考え方は、一つの筋道としては考えられるとは存じますが、現行法の建前としては、必ずしもそうなっておるわけではありません。
○委員外議員(中村正雄君) 幾ら責任を追及しましても、これは間違いであつた、謝まるという言葉でありますれば止むを得ませんので、私の質問はこれで打切ります。