2006-02-24 第164回国会 衆議院 内閣委員会 第2号
そういうことを考えますと、もしハルバ嶺のこの事業の中で雇用されていた中国人がまた被害に遭うということになれば、これは幾ら現地で雇う方の費用が安くても、結局は、将来的にずっと、何か我々がまた被害を与えたということを歴史に残してしまうことになるんじゃないのかな。
そういうことを考えますと、もしハルバ嶺のこの事業の中で雇用されていた中国人がまた被害に遭うということになれば、これは幾ら現地で雇う方の費用が安くても、結局は、将来的にずっと、何か我々がまた被害を与えたということを歴史に残してしまうことになるんじゃないのかな。
さらに、私が問題であると思うのは、一度自衛隊を派遣した場合、幾ら現地情勢次第で撤退させると言っていても、それが簡単にできないことであります。総理は、一度コミットしたことをやめる難しさを甘く見ているのではないでしょうか。
○鉢呂委員 災害復旧についてさまざまな簡素合理化をやっておるのだということを述べられたわけでありますけれども、しかし、その努力は努力として、先ほど言いましたように、地方分権の時代ですから、例えば市町村の災害については都道府県が査定をして、そこに国庫負担をするとかいうふうに根本的に仕組みを変えなかったら、幾ら現地に派遣しないとかあるいは応急的な措置もとれるとかいうことでも、行政的な裁量だけではやはり基本的
幾ら現地でつくりましても需給の関係がなければ、また豊作貧乏という言葉もありますが、幸いに沖縄でこのように張り切ってつくったものに対して、自然条件を活用してできたものに国や県も援助してくれておる。
幾ら現地でつくろうと思っても、それを防ぐような指導を我々はすべきだ。しかも国際連合では「健康及び環境に有害な製品の輸出規制を求める」という決議になっております。こういう決議に農水省も参加をし、決議に賛成をしておるわけです。
そういう閣議口頭了解というお墨つきをもらって、われわれが幾ら現地において反対したってしゃにむにやってきたことなんです。つまらぬことに金を使うな、それよりは新幹線を盛岡から青森へ持ってきた方がよっぽどいいと何ぼ言うてきたかわからない。そういう意味において、責任のある大臣として、これは無理だ——無理だと言うならば方向転換するしかない。
○坂倉藤吾君 私が指摘していることについてはもっともだと言われながらどうも現実にはもし環境庁の主張がこう行くとすれば、幾ら現地でやりましてもこれは認めるわけにはいかない、こうなるわけですから、そうなりますと、私は、それこそむだな計画なのですから、これは即座にもうそんなことはやめなさいよと言うことがずばっとやはり出されていかないと生きた行政にならぬのじゃないかと思うのですがね。
○村沢牧君 長官、いま村田理事からも話があったんですが、幾ら現地で説明してもやっぱり納得できないですよ。私ら見ても納得できないわけですよ。だって、そこの山に二十年も三十年も働いている人たちが、やっぱりこの形ではこの山は育ちませんと言っているわけなんですよ。
だから幾ら現地に担当官を置いて親切に相談してみたところで、肝心の制度が欠けておったら何にもならないと思うんですね。だから私は、確かにそうなれば数がたくさん出てきて、こっちを見たのにこっちを見ないのはどうかというむずかしい問題は出てくると思うんです。
それをどうも答弁を拝見いたしますとパリティの方がメリットがいいんだからパリティ一本で行くんだよという話では、これは幾ら現地の皆さんあるいは当該者の皆さんに納得せよと言ったって、ちょっと納得できないんですよ、どう思いますか。
そこで、その複雑きわまる排水を上手に計画し直していただくという意味におきましても、最大の原因である富士川合流点の土砂の排出を大々的に行なってくれませんと、幾ら現地民に安心しろと言いましても、なかなか承知してくれません。そこで、これは河川局長にお伺いいたすのでありますが、今日まで続けられておる富士川改修工事を、これを契機として大々的に押し進めていただけないものかどうか。