2006-11-02 第165回国会 参議院 厚生労働委員会 第3号
当然のことなんですが、ドナーの方にとりましては、幾ら善意のお気持ちからバンクに御登録いただいておりましても、その依頼というのは突然来るわけですから、まして迅速化ということになりますと、なかなかこの善意だけでは難しい問題もたくさんあることと思います。 このドナーの方々の御都合により中断されたケースの状況について御説明ください。
当然のことなんですが、ドナーの方にとりましては、幾ら善意のお気持ちからバンクに御登録いただいておりましても、その依頼というのは突然来るわけですから、まして迅速化ということになりますと、なかなかこの善意だけでは難しい問題もたくさんあることと思います。 このドナーの方々の御都合により中断されたケースの状況について御説明ください。
幾ら善意で国民に損失を与えないように一生懸命予定価をはじいたところで、世間はそうは見てくれない、どうせ役人ども悪いことしているに違いないと。適正価なんという概念を言っているんだから、きっと何かでっち上げているんだろうと。それでみんなでもうけて、政治家と天下りとみんなつるんでぼろもうけしているんだと、そう思うんですよ。それは、もう適正価なんて言った途端にそう思われちゃうんです。
そして、その基本は、私はやっぱり国民の皆様の目線で外交も政治も行われなければ結局は不信だけが渦巻いてしまう、そして幾ら善意でやってもそれが徒労に終わったり誤解を生むことになると思いますので、やはり国民の皆様の納得してもらえるような、ベストはありませんけれども最大公約数理解を得られるような、国民の、納税者の目線というものがもとになろうというふうに思います。
幾ら善意の篤志者がいて多額のお金を出しても、なかなか大学といったものをつくり上げてやっていくことはできない。だから、最終的に、国の設置する大学あるいはまた地方自治体が設置する大学が、民間の人たちが希望しているような大学といったものをちゃんと設立できているのか。
○松本(善)委員 幾ら善意に考えても、ちょっと四十年も何も、理解ができないですよ、そんなものは。だから、過去のことはともかくとして、やはり河野外務大臣は重要閣僚で、実力閣僚でもあるわけだから、それはこの際本格的に取り組まないといけないと私は思う。 先ほどもお話出ましたが、ILO八十六回総会で出た労働における基本原則と権利に関する宣言と宣言のフォローアップ、出ていたでしょう。
この基本の部分を、もう一度内閣なり政府、特に外務省、わかっていただかないと、私は、幾ら善意を尽くそうとか、あるいは誠意でやっていこうというお気持ちなり努力は多としながらも、難しいのではないかと思うのですが、今まで申し上げたことに対して、総理の御所見があればお聞かせ願いたいと存じます。
○国務大臣(海部俊樹君) 今、文部大臣がお答えした方向のとおりでありますけれども、私はこのようなことを見ますたびに、教育基本法に基づいて人格の完成を目指して教育は行われるものでありますので、幾ら善意であろうが幾ら問題であろうが人間の生命の尊厳に触れるということは、これはもう質が全く一変していくわけであって、その辺のところは厳しく学校当局、教育委員会を通じてこれらの施設に対してはいろいろ注意監督を強化
○高桑栄松君 法律の制定に至る経緯は私実は大分伺ったんですけれども、法律というものは幾ら善意に出発しても、できてしまうとひとり歩きするということがあろうかと思うんです。この場合はやっぱりプライバシーが深くかかわるということで、ひとり歩きしたときの心配があるんですね。ですから、エイズのウイルスはどんどんタイプが変わっていく、それに応じて情報も変わってくる、今御指摘のとおりであります。
安楽死問題というものは、僕はいま皆さんの話を聞いていますと、ぎりぎりのところで考えていくとどうもそこらの問題にぶつかりそうな気がするのですよ、幾ら善意であったとしても。そういう意味でちょっと増子参考人に私見でも結構ですから、御意見を伺いたいと思います。
もう幾ら善意で努力してもこんな財政状態でやれと言う方が無理ではないか。そこで、私は特定公共事業などについても国とも市町村の実態に応じてこれはもう相当の補助率の引き上げたとか、具体的な財政援助というものがない限り、私はこれは不可能に近いというふうに言わざるを得ないと思うんです。その点についてどういうふうにお考えになっていらっしゃるか、お伺いしたいと思います。
そういうことであれば、幾ら善意の人がそういうことを言いに行った場合にも話し合いに応じられないんじゃないですか。 それともう一つは、そういう事故があった場合にその補償を支払うのはどこになるのですか。その工事をやった人のミスならば当然それはもう工事をした人のミスだということで支払うでしょう。
NHKが幾ら善意の方法だというふうに言われても、こういう姿勢を続けていられたのでは、国民はいつも十分な納得はしないだろう。土地問題を敏感に受けとめて批判しているのもこうしたことが根底にあるからなんだというふうに思うのです。この大企業に奉仕する姿勢を改めて、そして国民の利益を守るという立場にしっかりと立つことが私は急務だというふうに考えるのですが、会長どうお考えですか。
しかし、幾ら善意があったって、そういう経済的な条件がないところに家は建てようがないということになりはしませんか。とすれば、やはり社会資本を充実させるという方向に向かわざるを得ない。しかしこれとて、たいへん失礼な言い方かもしらぬけれども、限度があるだろう。特に民間の人たちは退職金に依拠することがたいへん大きいということが数字に出ている。
しかし幾ら善意から出ておっても、子供自体の持っておる活力というのはわれわれの域をこえたあり余るエネルギーであるわけなんですから、エネルギーは十分に発散させる。それを適当にブレーキをかけながら、自分で調節をして、人にもけがをさせないし、廊下を歩くルールを守っていくということがないと、いつも道路に行ったらコップに花が入れてあるわけではない。基本的な問題というのはそういう点なんです。
貴殿はセンターとの間に土地についての契約を締結し、土地の使用に同意しながら、突如一営利会社のために節を曲げられたのですから、これではセンターが幾ら善意に迎えようとしても、とうていお許しすることはできません。」、こういう文言がございます。しかし、さらにずっと中略いたしまして、こういう文言もございます。
それは外務大臣は、そんなことはさせない、そういうときには十分警戒してやるというお話がありますけれども、私は、そこに幾ら善意を持っていても、受けとめ方は各国各人によって違ってくるわけでありまして、その場合に、このアジア開発銀行の名目というものがそこにゆがんだ形に残される。
そうしてほんとうのところは、医者はこうだと言っているということを御当人に知られますと、もしそういう状態になりましたならば、医者が幾ら善意でもってその病人の治療に当たろうといたしましても、結果は反対の結果になってくる。
ですから、個人的には幾ら善意であっても、そのような経済的な進出に対して、韓国がああいう反応を示す。日本の帝国主義進出反対だというようなスローガンが出てくる。
○米田勲君 あなたが善意であるということと、責任を負わなければならないということとは違う、幾ら善意であっても、あなたのやっている行為は、明らかにこの法案が審査されている最中に国民に対して反対意見を述べる、われわれ社会党の国会議員をも含む反対論者のその主張を否定したという事実だけは残る、悪意がなかった、こういってもその責任は残ると思うがどうか、もう一度答えて下さい。
どうも私はなるべく人の話を善意にとりたいたちですが、どうも幾ら善意にとりたいと思っても、官房長官のお話は理解できません。どういうわけですか。