1981-04-16 第94回国会 参議院 外務委員会 第3号
たとえば油送船ですからこれはまたちょっと種類が違いますが、油送船とそれから海栄丸という船が衝突したとか、それからアメリカの艦船が浦賀の沖でもって海星に突っ込んだとか、それでソナーをおっことしたとか、いろんな――これは単独事故ですから直接海難、それも海難に入るかどうか、艦船ですからちょっと違うかもしれませんが、そんなこととか、それから油送船と日本の船がぶつかったとか、あるいは駆逐艦ダンカンと十七幸洋丸
たとえば油送船ですからこれはまたちょっと種類が違いますが、油送船とそれから海栄丸という船が衝突したとか、それからアメリカの艦船が浦賀の沖でもって海星に突っ込んだとか、それでソナーをおっことしたとか、いろんな――これは単独事故ですから直接海難、それも海難に入るかどうか、艦船ですからちょっと違うかもしれませんが、そんなこととか、それから油送船と日本の船がぶつかったとか、あるいは駆逐艦ダンカンと十七幸洋丸
一つは昭和三十八年に起きました海栄丸とベクサー号、それから第二回目が四十三年の第二十二淳和丸とビクトリー号、三番目の例が昭和四十四年の第十七幸洋丸とアメリカの駆逐艦ダンカン号、それから四番目の例が昭和五十二年の穂高山丸とLSTのバーバーカウンティー、この四つでございます。 その際にアメリカ側がどういう対応をしたかということを順次申し上げます。 海栄丸とベクサー号。
最初の例が昭和三十八年に起きました海栄丸とベクサー、第二件目が昭和四十三年の第二十二淳和丸とビクトリー号、三番目の例が第十七幸洋丸と米駆逐艦ダンカン、四番目の例が穂高山丸とLSTのバーバーカウンティ、こういうことでございます。
同月二十一日 韓国抑留漁船員の早期帰還に関する陳情書 (第 一〇四九号) 原水爆実験禁止等に関する陳情書 (第一〇五〇号) 朝鮮半島近海における漁業の安全操業に関する 陳情書 (第一〇五九号) 七月四日 海外移住振興対策の強化に関する陳情書 (第一一九〇号) 沖縄復帰に関する陳情書 (第一二七〇号) 沖縄復帰等に関する陳情書 (第一三〇八号) 韓国抑留第五八幡丸及び幸洋丸乗組員
第五泰魚丸、第八日東丸、それからずっとやられまして、最後が昭和三十四年の九月三十日の第十八幸洋丸まで、その間をひっくるめましても二十二船やられておるわけなんです。そのうちで拿捕された人たちが全部で百六十七名。実際にその中で帰還された者の具体的なものを見てみますと、健康者はわずか三五%であり、病人の方が七五%である、こういう状況であることに先ほどもちょっと触れられたようです。