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36件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2007-03-15 第166回国会 参議院 法務委員会 第2号

幸徳秋水等天皇暗殺という容疑を掛けられて、証拠調べもなしに死罪になっていくと。この二つがこの陪審員制度の導入の大変なインセンティブになっていると、これは三谷先生の御著書にはそういうふうに書いてあります。  ちなみに、まあうんちくを披瀝するわけじゃないんですけれども、この二つ事件は、検察側平沼騏一郎さんが中心になっている、両方とも。

簗瀬進

2000-11-15 第150回国会 参議院 憲法調査会 第1号

ただ、あそこはもう一つ幸徳秋水が生まれたところでもありまして、幸徳秋水の墓には参ったことはないんですけれども、戦争中あの墓に金枠がしてあって、訪れる人を隣の警察か裁判所がチェックしていたという話もありますけれども。  まさに憲法、きょうは本当に参考人としてお話ししていてそんなに不快な感じはないんですけれども、結構、来て不快な感じすることありますよね。

佐高信

1982-03-01 第96回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第3号

だから、そのころの日本民法は、明治の初めにルソーの民約論から始まって、中江兆民が「一年有半」とか「続一年有半」書いて、それが幸徳秋水につながって、そして大杉栄につながる、こういう一つのルートになるわけです。必ずしも直接にそういうふうにつながるかどうかは別として。だからフランス民法というものが日本民法の源泉であった。これは、江藤新平がボワソナードを呼んできて日本民法をつくらせたわけです。

稲葉誠一

1981-03-09 第94回国会 参議院 予算委員会 第4号

それから幸徳秋水内村鑑三堺利彦、こういうようなのが出てきまして、その日露戦争を推進した大山巖とか児玉源太郎東郷平八郎乃木希典は出てこない。それでは日露戦争が、実際あれだけの大戦争が行われたということの説明がつかないし、日本が勝ったということの説明にもならない。主役が出ずにわき役といいますか、反戦主義者ばかりが小中高を通じて出ております。

名越二荒之助

1980-04-18 第91回国会 衆議院 決算委員会 第16号

それに反して幸徳秋水堺利彦さん、これは書いてもちろん結構だと思いますけれども、あるいは与謝野晶子さんのこととか、そういう戦争反対の側のことが書いてあって、そういう関係ではバランスを失しておるのではないかというような感じを受けておるのです。そういう点についてどう考えておられますか。私は、やはり事実に即してバランスのとれた記述がなければいけないのじゃないかと思います。

原田昇左右

1973-09-20 第71回国会 参議院 内閣委員会 第31号

山口幸徳さんという人は一時金七十一万八千円、それでこの人が損害賠償を起こしまして四百十六万の和解で済んだ。倉持正治さんという人はいま年金を十七万四千三十二円、葬祭料として六万七千三百二十円、小計が二十四万一千三百五十二円、この方も訴訟を起こして自八十万の損害賠償額を得ている。これは防衛庁のほうからいただいた資料なんですから。これは長官、御存じでございましょうか。お読みになりましたですか。

宮崎正義

1968-12-18 第60回国会 衆議院 決算委員会 第1号

幸徳秋水事件のように、死刑決定と同時に、あくる日殺してしまえというようなことを私は言っているのとは違いますよ。しかし、死刑の宣告を受けて、執行まである期間がある。その間死刑囚相当悩む。悩んだあげく一つの悟りを開いたところで、ということが一つのあれであったろうと思いますが、これは残虐じゃないか。

田中武夫

1968-05-08 第58回国会 衆議院 外務委員会 第19号

いまも思い出しますが、福沢諭吉中江兆民、これと並ぶ幸徳秋水、この三名の学者のうち、幸徳秋水絞首刑に処せられましたが、あの絞首刑に処せられた明治四十三年の秋、石川啄木は、きょうはかぜぎみであろうか、熱っぽい、気分がすぐれぬと日記帳に書いて、その三行後には、「新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど」、こういう歌を書きとめております。

帆足計

1965-04-28 第48回国会 参議院 国際労働条約第87号等特別委員会 第3号

御承知のごとくわが国において労働運動というものが連合体の形をとって登場いたしましたのは、大正の初めにおける友愛会、その時代はいわゆる幸徳秋水事件のあった直後でありまして、社会とか労働とかいうようなことばさえも使えなかったような時代、しかも選挙制限選挙、さらに労働者保護立法といえばわずかに工場法があるだけという時代、そういう時代に、労働運動というものは、やはり議会を通して法律制度を改正するということよりは

石田博英

1964-02-27 第46回国会 衆議院 法務委員会 第7号

有名な幸徳秋水とか管野スガというような人もその中に入っている。この人たちはいま出てきていないのですけれども、もしこの二人がかりに無罪ということになったときに、あとの犯罪に参加したと思われて死刑になった人たち遺族、その遺族はこれを請求するのにやはり再審を請求してからでなければできないのですか。

神近市子

1963-06-06 第43回国会 衆議院 法務委員会 第20号

その中には、現に幸徳事件があげられたような皇室に関する罪、これを何とかして復帰するかどうかというようなことがやはり問題になっているのであります。そうすると、これは将来にわたっても危険な問題だ、こういうことになりますので、これはぜひともこの際再審請求が成功するように参考人の御努力をお願いしたいのであります。  

志賀義雄

1963-06-06 第43回国会 衆議院 法務委員会 第20号

猪俣委員 いま再審を申し立てております坂本清馬氏と幸徳秋水関係ですが、いわゆる幸徳伝次郎外二十五名の大逆事件判決書というものを見ますと 坂本清馬判決文の中にも明らかにされておりますが、幸徳秋水坂本とは非常に仲たがいしてしまって、絶交してしまっているということが判決文自身にも書いてあるわけでございますが、どういう事情でそういうふうに仲たがいをしたのか。

猪俣浩三

1963-06-03 第43回国会 衆議院 文教委員会 第20号

そして簡単に申し上げますと、たとえばそれまで実力抗争百姓一揆というようなことは書かないほうがいいんだろうというような解釈をして、よく見ましたけれども、落第した教科書にも簡単に二カ所出てきただけで、とても生活を暗くする、児童の心を暗くするとは思われなかったわけでありますが、二カ所を一カ所に削り、それからたとえば日露戦争のところで、そのあと堺利彦幸徳秋水内村鑑三与謝野晶子というような名前をあげて

徳武敏夫

1963-03-22 第43回国会 衆議院 法務委員会再審制度調査小委員会 第2号

猪俣委員 今裁判官の官僚性相当論じられて私ども同感でありましたが、あなたも検事の肩書を持っておられる検事出身者であられますが、実は明治大正にわたりまして天皇政治が極端な時分天皇の名における裁判時分、そういうことに対して幸徳秋水大逆事件なんというものが今再審のあれになっているわけです。それから先ほど説明されました占領中における裁判、これに対して相当再審の道の要が出てきた。

猪俣浩三

1962-03-27 第40回国会 衆議院 法務委員会再審制度調査小委員会 第1号

において、旧々訴時代に行なわれた裁判に対することについてのみ一つの意味の特別な立法で、刑事訴訟法の改正じゃなしに、特別立法で何か再審のできる道を開く方法はどうだろうかというようなことが委員の間に多少話されているわけですが、そこでそういうようなことが、特別法ですよ、つまり刑法を改正するのじゃなくて、特別法で旧々訴時代の誤判と思われるものについての救いの道、たとえば今考えられることは吉田石松氏のほかに幸徳秋水事件

猪俣浩三

1959-03-03 第31回国会 参議院 文教委員会公聴会 第1号

明治三十年に、神田三崎町に片山潜によって設けられたキングスレー館活動を初めとして、多くの先覚者たちが上から押しつけられた教育や、外から与えられる教育を排して、みずからのためのみずから生み出す教育必要性に目ざめ、そのような活動が真に起りかけて参りましたときに、時の政府は、これを明治末年の幸徳事件のでっち上げによって葬っております。

渡辺英雄

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