2010-03-24 第174回国会 参議院 厚生労働委員会 第7号
これは年金論と基本的に認識の違いでございますが、そういうことを含めて大きな問題がある。 それから、私はその重要な論点として、現金給付の制度は要するに家計に入るわけでありますが、私たちはそれ以上に社会的消費の世界が重要なんです。
これは年金論と基本的に認識の違いでございますが、そういうことを含めて大きな問題がある。 それから、私はその重要な論点として、現金給付の制度は要するに家計に入るわけでありますが、私たちはそれ以上に社会的消費の世界が重要なんです。
長妻さん、年金論の根本なんだけれども、一番古い年金は何でしょう。そして、一番古い年金というのは、成熟度が高まるから一番困るんですね、支払いについても、積立金についても。保険料を高くしなきゃならぬ。ところが、公務員の年金は、保険料も一番低いんですよ、支払いは一番高いんですよ。どうしてこんなことができるか。 もうきょうは時間がありませんから、問題提起だけにしておきます。
そして、財源の問題ですが、これは年金論だったら幾らでもお話しいたしますが、これは国民年金を中心に言われるんだと思いますが、私もお話ししましたように、要するに、社会保障制度の原理原則であります、ILOなんかも指摘します社会的連帯性と所得再分配機能、これを原則にかんがみますと、我が国の国民年金制度なんというのは世界のどこにもない非常識であります。
先ほど阿部知子先生からの御質問もありましたように、単なる枝葉末節的な技術的年金論ではなくて、責任準備金は年金支給のみに消費する、年金準備金は年金支給のみに消費する、この大原則に刑事罰もつけていち早く法文化することが急務であると思います。 以上です。
支出総額で議論をいたしますと、実は、個々の国民の方にとっては一人一人の年金論とは違いますから、ここが非常に誤解を招く原因であると思います。 年金というのはトータルの負担と給付のバランスの問題ですから、支給総額をどの程度抑制すれば保険料負担はどの程度下がる、あるいは保険料の総額はこの程度になる、こういう議論は、マクロ的な、制度を運営する側の視点であります。
私は十日の議論を聞いていて、戦後処理の問題で年金論を議論していたら答えは絶対出てこないのですよ。なぜあの戦後処理の問題、年金問題が今出てきたかといえば、二十七年間施政権がなかったという事態によって生じたことなのだ。年金論を幾ら議論しても答えは出てこない。マラリア補償だってそうでしょう。
○柄谷道一君 この問題は私、年金論を闘わせる時間的余裕がございませんけれども、この問題は世代間の負担の問題であり、また本人のいわゆる保険料ないしは共済掛金という負担の比率といわゆる税金というもので負担する比率、これは社会保障の根幹にかかわってくる私は論議であろうと思うんです。
とにかく、先ほど御答弁がありましたように、児童家庭局長のいわゆる年金論によりますと、これは月と年の違いはありますけれども、むしろ三つとも年金にした方がいいんじゃないですか。公衆衛生局長さん、いかがですか。
そうすると、この雇用保障と、それから年金という所得保障、これをどう連動させるか、この議論を抜きにして年金論は成り立ってこないと思うんです。で、定年問題は労働省の所管であるというだけではこれは済まされないんですね。
こういう金額は、年金論から見れば論ずるに値しない金額でありますが、政府が今度の改正に熱意があるとすれば、少なくとも私が示したような水準までこれは引き上げを行なうべきでないかというふうに考えますが、大臣のお考えはいかがですか。
それよりも、いまのスライド制のない年金はそんなに置いておいてもしかたがないから早くくれというこの主張というものは、私は年金論から言うと当然こういうことは通らぬけれども、いまの情勢から見たら選択制でいってもらいたいという主張は私は正しいと見るのですが、その点どうですか。
あらかじめ年金局長が、こういう理屈があるから、こういうときにこれでごかんべんくださいというようなへ理屈を教え込んだか、また、あなたが命令してなされたかわからぬけれども、そういうことは一切忘れて、これからほんとうの国民の立場の年金論を展開いたしますから、この立場で御判断になって、そのとおりだ、それをやりましょう、そういう答弁をこれから逐次五十も六十も重ねていただかなければならないと思う。
私は母子世帯に対しては国の責任を明らかにする意味においても、諸般の年金論とは多少異なった無醵出制を主張する者の一人でございますけれども、しかしながらこれなども無醵出のものあり醵出のものありということでは政府でもお困りでございましょうから、やはりある種の醵出制のワクの中に入れるといたしましても、今の月二千円という金額を考えると——これは私は無醵出制でそのくらいの金額が必要であろうということを私なりに計算